第63話 レオンとの夜
街へ出かけた夜。
ライナスが「今日は早く寝ます」と言って部屋に戻った。セレンとエリナが「少し話してから戻ります」と言って二人で出て行った。
食事処に残ったのはレオンとゼノだった。
「もう少しいるか?」
「構わない」
レオンが飲み物を頼んだ。ゼノは水を頼んだ。
外に人の往来があり、食事処は少し賑やかだったが二人がいる端の席は静かだった。
しばらくは話をしなかった。
レオンが杯を両手で持って、テーブルの木目を見ていた。何かを考えている時の姿勢だ。急いでいない時間だ。
ゼノは今日の市場での情報を整理していた。必要な物資のリスト。価格の比較。明日の買い出しの順序。
「……なあ、ゼノ」
「何だ」
「お前最近変わってきてるよな。なんか、前よりちょっと……人間っぽい」
「人間っぽい、の定義が——」
「そういうとこはまだ変わってないけど!」
苦笑いだったが、温かかった。
「人間っぽいという評価の基準がわからないと、それが変化なのか退化なのか判断できない」
「退化するわけないだろ。良い意味だよ」
「良い意味での人間っぽい、か」
「そう。なんか前は機械みたいだった。反応は正確だけど、何かが入ってない感じ。最近は、入ってくるようになった気がする」
「入ってくる、とはどういう意味だ」
「言葉に色がついてきた感じ、とでも言うか。同じ言葉でも、前と今で質が違う。任せてくれとか、頼むとか。昔のゼノが言ってたら、指示として聞いてたと思う。最近言われると、なんか別のものが入ってくる」
「別のもの、とは何だ」
「わからん。そこまでは分析できない。ただ、違う」
「お前が感じている変化を、俺は内側からは確認できていない部分がある。外から見える方が正確な場合があるようだ」
「そうなのかもしれないな。……ゼノ、一個言っていいか?」
「言ってくれ」
「俺さ、ゼノのこと最初は怖かったよ」
「怖かった?」
「感情がないって、何考えてるかわかんなくて。反応は来るけど、何が動いてるのかがわからなくて。透明な壁の向こう側にいるみたいで」
「それが今は違うのか」
「全然違う。今は、一番信頼できる奴だと思ってる」
ゼノは少し止まった。
「……なぜ」
「嘘つかないじゃん、お前」
「嘘をつかないことと、信頼できることが繋がる理由がわからない」
「繋がるよ。絶対に。いつも本当のことしか言わない。それって、すごいことだよ」
「俺が嘘をつかないのは、感情がないからだ。感情があると、相手への配慮や自己保護のために言葉を変える場合がある。俺にはその感情が薄いから、そのまま言う。嘘をつかないことが、信頼に繋がるのか」
「繋がる。本当のことを言ってくれる人間が、一番信頼できる。社交辞令で良いことを言ってくれる奴より、正直に言ってくれる奴の方が、いざという時に頼れる」
嘘をつかないことが信頼に繋がる。その論理は理解できた。
ただ、自分がそれを意図してやってきたわけではなかった。感情が薄かったから、言葉を変える動機が少なかった。結果として嘘をつかなかった。意図した誠実さではなかった。
「俺が嘘をつかないのは、能力の問題ではなく、感情の薄さからきている可能性がある。それが信頼に値するかどうか、わからない。」
「関係ないさ。結果として正直でいてくれたなら、それが信頼できる理由になる。動機がどうだとか、感情がどうだとか、そういうことは俺には関係ない」
「俺には、理由がわからない」
「何が?」
「お前が俺を信頼できると思う理由が。感情が薄いから嘘をつかないだけで、それがなぜ信頼に繋がるのかの感覚が、俺にはない」
レオンが少し考えた。
「じゃあこう言う。俺が感じていることが事実だ。ゼノを信頼できる奴だと俺が思っている。その理由を俺が説明できるかどうかは別として、感じていることは本物だ」
「俺には、感情から来る確信というものがまだよくわからない」
「知ってる。でも、それでいいんだよ。俺が信頼してる。それが事実だ。ゼノが理解できなくても、俺の中では本物だから」
感情から来る確信は、相手が理解できなくても本物だ、という話だった。
ルミナが大好きと言った時に似た構造だ。相手の理解や同意を前提にしていない。自分の中にある感情が本物であることを主張している。
「……俺には、理由がわからない。ただ、お前が言うなら、そうなのかもしれない」
「それだけ言えれば十分だ」
レオンが杯を持ち上げた。ゼノも水の杯を持ち上げた。
特に何も言わなかった。二人で杯を合わせた。
しばらく静かに飲んだ。
食事処の賑やかさが遠かった。二人がいる端の席だけ、別の時間が流れているような気がした。
「ゼノ、もう一つ聞いていいか」
「何だ」
「俺のこと、友達だと思うか」
ゼノは少し間を置いた。
以前にも似た問いがあった。友達の定義を整理する必要がある、と言い続けていた。
「以前、同じことを聞かれた」
「知ってる。その時は有用な関係だとか言ってたな」
「今は——」
「今は?」
「今も、有用な関係だという評価は変わらない。ただ、それだけではない気がする」
「それだけではない、というのは?」
「お前がいなくなれば何かが変わるという感覚がある。以前からある感覚だが、今は以前より明確だ。何が変わるかはまだ言語化できないが、変わる」
「それが友達だよ。いなくなったら困る奴のことを友達って言う」
「困る、という感覚かどうかは確認できていないが」
「困るで合ってる。信じろ」
「……お前が言うなら、そうかもしれない」
「俺も、ゼノがいなくなったら困る。最初は怖かった奴が、今は一番頼りになる奴で、一番信頼できる奴だ。そういう人間が友達だと俺は思ってる」
「俺がお前を怖いと思ったことはない」
「知ってる。お前は怖がらないから。その分、俺が怖がった。でも今は怖くない」
「なぜ怖くなくなったんだ」
「わかるようになったからさ。何を考えてるかが。透明な壁が薄くなってきた感じ。全部見えるわけじゃないけど、少しずつ見えてきたんだ」
「俺が変わったからか」
「ゼノが変わったのと、俺がゼノを知ろうとしたのと両方だと思うぞ」
二人で静かに飲んだ。
外の往来が減ってきていた。夜が深くなっていた。
「旅に出てよかったよ。本当に」
「レオンにとってよかったことが、俺にもよかったことになっているのか」
「どういう意味だ」
「お前が旅に出てよかったと思う理由と、俺が旅に出てよかったと思う理由が、重なっているかどうかという問いだ」
「重なってると思う。少なくとも俺はそう思ってる」
「……俺も」
「おお」
「何だ」
「珍しく即答したな」
「即答できる確信があった」
「どういう確信だ」
「旅に出てよかった、という評価が来たのは、お前たちがいたからだ。お前も含めて。それは確認できる。だから即答できた」
「ありがとう」
「礼を言う必要があるか。」
「言いたいから言う。」
「……そうか。」
ゼノは水を飲んだ。
レオンが杯を置いた。
「そろそろ寝るか。明日も買い出しあるし。」
「ああ。」
「ゼノ、また飲もうな。旅が続く間、たまに。」
「たまに、とはどのくらいの頻度か。」
「定義しなくていい。また来た時に来ればいい。」
「……了解した。」
二人が食事処を出た。
夜の街を歩いた。宿まで少しの距離だった。
宿に向かいながら、ゼノは今夜の話を処理していた。
嘘をつかないことが信頼に繋がる。感情が薄いからそうなったという動機は関係ない。結果として正直でいたことが、信頼の理由になった。
感情が薄いことが、誰かに何かを与えていた。
その事実が、頭の中で新しい位置に来た気がした。
感情がないことが欠如だと思っていた。感情がないからこそ生まれていたものがあった可能性があった。
それが全部良かったかどうかは、まだわからなかった。
ただ、レオンが一番信頼できる奴だと言った。
その言葉が、今夜は頭の中に残り続けた。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




