第60話 覚醒の代償
目が覚めた時、空が見えた。
木の葉の隙間から、青い空が見えた。朝だった。いつの間にか眠っていたらしかった。見張りの途中で眠ることは今まで一度もなかった。
体を起こそうとしたが、動かなかった。
正確には、動こうとした意志はあったが、身体がそれに応えなかった。腕に力が入らない。足も重い。魔力の感知をしようとしたが、いつもより遠かった。
覚醒のデメリットが出た。
昨日の戦闘中から消耗は感じていた。覚醒後に急激に来ることは把握していたが、これほど完全に動けなくなるとは想定していなかった。
「ゼノさん! 起きてたんですか!?」
エリナの声が来た。
見下ろされていた。エリナが心配そうな顔でゼノを見ていた。後ろにライナスとレオンも来た。
「大丈夫ですか。昨日から心配で。夜中に倒れてて」
「倒れた、という認識はなかった。意識がなかったのか」
「ありませんでした。見張り中に急に横になって、そのまま動かなくなったので」
「……記憶がない」
「それだけ消耗していたんだと思います」
エリナの回復魔法が流れてきた。
「魔力の消耗が極度に達しています」
エリナが言った。魔法を通じて確認しているらしかった。
「回復には時間が必要です。今日は絶対に動かないでください」
「任務が——」
「だめです」
エリナが即答した。
ゼノは止まった。
いつもなら反論を探していた。任務の優先度、効率的な行動、判断の根拠。言葉が来るはずだった。
来なかった。
「……わかった」
「え」
レオンが声を上げた。
「ゼノが素直に従った」
「驚くことか」
「驚く。絶対何か言い返すと思ってた」
「言い返す根拠がなかった。エリナの判断が正しい。魔力の回復には時間が必要なことは、俺も理解している。動いたところで戦力として機能しない。むしろ消耗を増やす」
「合理的に納得したのか」
「そうだ」
「……なんか、それも珍しい気がするな。前だったら、合理的に分析してから動こうとした気がする」
「今は動けない。物理的に」
「それがわかった上で素直に従ってる、って話だよ」
「回復を待つことも判断のうちですよね」
セレンが言った。
静かな声で、セレンがゼノの近くに来ていた。
「そうだ。無理に動いて消耗を増やすより、回復して戦力を維持する方が合理的だ」
「それができるようになったんですね」
「以前はできなかった」
「以前は、動いた方がいいと判断したら動いていたと思います。今は、動けないと判断したら休める。それが変わったと思います」
ゼノは少し処理した。
「……変わったか」
「はい。良い変化だと思います」
「俺たちで周辺の警戒をします。ゼノさんは休んでてください。俺たちに任せてくれれば大丈夫ですから」
ゼノは返答しようとした。
指示を出すべきか、確認事項を伝えるべきか、を考えた。警戒の範囲、優先度、魔物が来た時の対応方針。いくつかの項目が頭に来た。
それを全部言いかけて、止まった。
「……頼む」
二文字だった。
ライナスが少し目を丸くした。
「頼む、ですか。」
「お前たちに任せる。詳細な指示を出さなくても、判断できると思っている。」
「……わかりました。任せてください」
全員が動き始めた。
ライナスが周囲の確認に出た。レオンが外縁部の方向を確認すると言って歩き始め、セレンが水源の方向を確認すると言った。エリナが回復魔法を一回かけ直してから、付近の安全確認に向かった。
あっという間に、ゼノ一人になった。
横になったまま、空を見た。
木の葉が風に揺れていた。光が差し込んでいた。
「任せた」
声に出た。全員がもう聞こえない距離にいた。自分に向けて言った言葉だった。
しばらく空を見ていた。
任せた状態で横になっている、という状況がどういうものかを確認していた。
指示が出せない。把握できていない部分がある。全員が何をしているかが、今は詳しくわからない。そういう状態だ。
それが怖いかどうか、確認した。
来なかった。不安ではなかった。任せた、という状態が、今は自然だった。
テラが言っていた言葉が頭に来た。背中を預けること。傷つくかもしれないのに、それでも任せること。
今は、傷つくかもしれないという恐れより、任せられるという感覚の方が大きかった。
円卓に入った。
「どうですか、ゼノ君。任せられましたか?」
「頼む、と言った」
「全員に?」
「全員に。詳細な指示なしで。判断をお前たちに委ねるという意味で」
「いつもと何か違いましたか?」
「……思ったより、難しくなかった」
テラが嬉しそうに笑った。いつもの穏やかな笑いより少し輝いていた。
「難しくなかった、というのはどういう意味ですか?」
「任せることへの抵抗が、今日は薄かった。以前は、任せる前に根拠の確認が必要だった。今日は根拠の確認をしてから任せたわけではなかった。ただ、頼む、と出た」
「それはなぜだと思いますか」
ゼノは考えた。
「信頼が蓄積しているからかもしれない。昨日の戦闘で、全員が自分の判断で動けることを確認した。その経験が根拠として機能している」
「それだけですか」
「……それだけではないかもしれない。根拠の確認より先に頼む、という言葉が来た。根拠が出る前に来た」
「それが変化だと思いますよ。以前は根拠を確認してから動いていた。今は、動く気持ちが先に来た」
「動く気持ちが先に来る、というのはどういう状態だ」
「信頼が根拠になっているんです。経験から積み上げた信頼が、根拠として機能している。だから確認の前に動けた」
「感情と合理性が統合されてきた、ということか」
「そういう言い方ができるかもしれませんね」
「……一つ確認したい」
「何ですか?」
「今日、全員に任せた状態で横になっていた。それが怖くなかった。その理由を整理したい」
「どうぞ」
「信頼があったから怖くなかった、という説明は成立する。ただ、それだけではない気がする」
「何がありますか?」
「全員が無事であってほしいという気持ちが、任せることに繋がっている気がする。俺が無理に動いて消耗するより、全員に任せて回復する方が、全員の生存確率が上がる。その判断が、任せることへの抵抗を薄くした」
「守ることと任せることが繋がったんですね」
「……そうかもしれない」
「テラ」
「はい」
「テラがずっと言っていた言葉の意味が、少しずつわかってきている」
「あなたなら大丈夫、ですか」
「ああ。最初は根拠がない言葉だと思っていた。今は——根拠がないからこそ、意味がある言葉だと感じ始めている」
「どうしてそう思いますか?」
「根拠がある言葉は、根拠がなくなれば意味を失う。根拠がない言葉は、変わらない。だから、信頼として機能し続ける」
「……それは、ゼノ君が考えたんですね」
「そうだ」
「すごく、嬉しいです」
「何が嬉しいんだ」
「わたしが言い続けてきた言葉の意味を、ゼノ君自身が言語化してくれたから」
円卓から意識が戻った。
空が見えた。光が少し動いていた。時間が経っていた。
足音がした。ライナスが戻ってきた。
「ゼノさん、周辺の確認が終わりました。今のところ魔物の接近はないです」
「ありがとう」
「えっ」
「何だ」
「ゼノさんがありがとうって言った」
「頼んだことをやってくれた。礼を言うのは適切だ」
「それはわかるんですけど。なんか、自然に言ってましたよね」
「自然に出た」
ライナスが「……すごい」と言った。
「何がすごいんだ」
「ゼノさんの変化が、止まってないから。毎日少しずつ変わってる。」
そう言いながらライナスが腰を下ろした。ゼノの横に座った。
「ゼノさん、今どんな気持ちですか」
「今は――悪くない」
「悪くない、が最上評価でしたよね」
「最上かどうかはわからない。ただ、今は悪くない、という言葉では足りないかもしれないという感覚がある」
「足りない、って」
「悪くない、の外側に何かがある気がする。名前がまだない」
ライナスが少し黙ってから「それって、良い、ってことじゃないですか」と言った。
「良い、か」
「はい。悪くないより上が良いだと思います」
ゼノは少し間を置いた。
「……そうかもしれない」
空が木の葉の隙間から、変わらずそこにあった。
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ではまた。




