第58話 背中を預ける
野営地は静かだった。
眷属との戦闘から引き返して、安全な距離まで来てから野営を設営した。全員が無言だった。食事をとり、それぞれが片付けをした。ライナスの傷はエリナの回復魔法で塞がっていたが、消耗が大きかった。
「今日はみんな早めに休んでくれ」
「異論なし」
レオンがいつもより早く横になった。
ライナスが「ゼノさん、見張りを一人でやるつもりですか」と言った。
「俺でいい。今日は全員消耗している」
「でも——」
「寝てくれ。俺の方が消耗が少ない」
嘘ではなかった。ゼノも消耗していたが、全員の中では相対的に余裕があった。
「……わかりました。でも、辛くなったら起こしてください。」
「了解した。」
全員が横になった。
焚き火が静かに燃えていた。ゼノは周囲の気配を確認していた。遠くに魔物の気配があったが、近づいてくる動きはなかった。
今夜は静かなまま過ぎそうだ。
一人で見張りをしながら、ゼノは今日の戦闘を整理していた。
眷属の特性。再生速度の高さ。防御の突破。ライナスの前進。行け、という言葉。
今日起きたことの中で、処理できていない部分が残っていた。
円卓に入ると、テラがいた。
いつもと少し違う。穏やかな笑顔は変わらなかったが、静かだった。いつもより声数が少ない雰囲気だった。
「今日は大変でしたね」
「眷属との初めての接触だった。情報通りだったが、予想より消耗が大きかった」
「そうですね......ゼノ君、一つ聞いていいですか」
「何だ」
「さっき、どんな気持ちでしたか。ライナス君に任せた時」
どんな気持ちだったか。その問いを処理しようとした。処理しようとして、出てくるものが通常と違った。
「......処理できなかった」
「どの部分がですか?」
「合理的な判断かどうか、確信がなかった。ライナスの速度が眷属の攻撃を回避できるかどうか。計算はした。リスクも考えた。ただ、出た答えが確信を持てるものではなかった」
「それでも行けと言いましたね」
「それでも——」
ゼノが止まった。
テラが待っていた。急かさなかった。
「......信じた。根拠が薄かったのに」
円卓に静寂が訪れた。
テラが優しく微笑んでいた。責めているわけでも、褒めているわけでもなかった。ただ、受け取っている笑い方だった。
「それが信頼です、ゼノ君」
「根拠が薄くても任せることが、信頼か」
「そうではなくて。傷つくかもしれないのに、背中を預けること。そういうことです」
「傷つくかもしれないのに、という部分を詳しく説明してくれ」
「ライナス君が傷つくかもしれなかった。それは分かっていましたよね?」
「分かっていた」
「でも、行けと言いました」
「......ああ」
「その時、傷ついてほしくないという気持ちと、任せるという判断が、同時にあったんじゃないですか?」
「......何かが来ていた。行けと言った時に」
「どんな何かですか?」
「言語化できない。ただ、計算とは別の場所から来ていた」
「それが、傷ついてほしくないという気持ちだと思いますよ。傷ついてほしくないのに、任せた。それが信頼なんです」
「非合理的だ」
「そうです」とテラが言った。
「非合理的だということに同意するのか」
「信頼は非合理的なんです。合理的な根拠だけで成立するなら、それは能力評価です。信頼は根拠が足りない部分を、それでもという気持ちで埋めるものですから」
「それでも、という気持ちが信頼の本質か」
「そうだと思います。傷つくかもしれないと知りながら、それでも任せること。その時に信頼が成立する」
「......俺は今日、それをしたのか」
「しましたよ」
テラは穏やかに答えた。それに対してゼノは少し黙った。
長い沈黙があった。
テラは待っていた。急かさなかった。円卓は静かだ。焚き火の音が遠くに聞こえた気がした。
「......そうか」
「どうですか?」
「何が」
「分かった、という感覚がありますか?」
「......分からない。ただ、処理できない部分が少し整理された気がする。整理されたのに、まだ残っている」
「何が残っていますか?」
「行けと言った時に来た、言語化できない何かが、まだそこにある。消えていない。何かが来たまま、残っている」
「それは消えなくていいものだと思いますよ。信頼した時に来たものですから」
円卓を出た。
意識が戻ると、焚き火の前だった。周囲の気配は変わっていない。全員が眠っていた。
ゼノは全員の顔を見た。
レオンが口を開けて眠っていた。ライナスが小さく丸まっていた。エリナが少し微笑みながら眠っていた。セレンが整然と横になっていた。
全員の寝顔があった。
一人一人を、順番に見た。
テラが言っていた。傷つくかもしれないのに、背中を預けること。
ライナスに行けと言った時、傷ついてほしくなかった。その感覚があったことを今は確認できた。傷ついてほしくないのに任せた。
それが信頼だとテラは言った。
眠っている間は、全員がゼノに背中を預けている状態だった。見張りをしているゼノに、周囲の安全を任せている状態だった。ゼノが見ていない方向を各自が気にしないで眠れている状態だ。
それもまた、信頼の一形態かもしれなかった。
「これが——信頼か」
気づくと声に出た。誰も聞いていない。
ゼノは自分が言った言葉を確認した。
断言していた。疑問形ではなかった。「信頼か」という確認の声が出ていた。
これが信頼だ、という感覚が来た。論理で到達したのではなかった。
全員の寝顔を見ていた時に来た。傷ついてほしくない全員が、ゼノを信頼して眠っている。その両方が同時にあった時に来た。
これが信頼だ、という感覚か。
焚き火に木を一本足し、炎が少し大きくなった。
四人の寝息が続いて、ゼノは見張りを続けた。
テラが言っていた。消えなくていいものだと。信頼した時に来たものだからと。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




