第55話 森の罠
森の中に向かって進んで三日目が経過した。
これまでの探索で、森の内部の地形がある程度把握できていた。上位魔物の行動圏を避けながら、さらに奥を目指す経路を確認していた。
ゼノは先頭を歩きながら、周囲の気配を確認し続けていた。
魔物の反応は前方左側にあったが距離がある。こちらの動きに気づいていない可能性が高い。右側の経路を進めば回避できると判断して、方向を変えた。
「右に曲がる。左に魔物の気配がある」
全員が指示通りに動き、右側の木の間を進んだ。
ゼノの足が地面の微細な変化を感じた。
違和感があった。地面の密度が周囲と微妙に違う。
判断が間に合わなかった。
地面が動いた。
落とし穴ではなかった。地面に埋められた魔法の仕掛けが発動した。光が広がって、全員の視界が一瞬遮られた。
同時に、強い風が来た。
魔法的な風だった。自然のものではない。方向がバラバラだった。全員を別の方向に押した。
ゼノが土属性で地面に固定しようとしたが、間に合わなかった。
五人が別々の方向に弾き飛ばされた。
木の幹に背中をぶつけた。
痛みはあったが骨に異常はない。服が少し破れた程度だった。
周囲を確認したが誰もいなかった。
「ライナス、レオン、エリナ、セレン」
声を上げた。
近くから返事が来た。
「ゼノさん! ここです!」
ライナスだった。十メートルほど左の木の間から姿が見えた。怪我の様子はなかった。急いで近づいた。
「怪我はないか」
「大丈夫です! ゼノさんは?」
「問題ない」
ゼノは周囲を確認したが、他の三人の声が聞こえなかった。
「エリナとセレンの位置は把握できるか」
ライナスが「多分、南の方向に……声が聞こえた気がして。でも確信がなくて」と言った。
「俺が確認する」
ゼノは土属性と水属性を組み合わせて、地面と空気の振動から位置を探った。六属性の感知を広げた。
二つの気配が南南東にあった。近い位置にいた。一緒にいる可能性が高い。
「エリナとセレンは南南東にいる。二人一緒の可能性がある」
「よかった。レオンさんは?」
「東だ。単独だが、動いている。こちらを探しているようだ。合流できる」
「すごい。あの状況でみんなの位置が分かるんですね」
「ある程度の距離なら把握できる。まずエリナとセレンに合流するか、レオンに合流するかだ」
ゼノは状況を判断した。
「エリナとセレンが先だ。回復役を確保することが優先だ」
「分かりました」
「俺の後ろについてくれ。速度を上げる」
「はい!」
ゼノが先頭を歩いた。ライナスが後ろについた。足元の罠を警戒しながら進んだ。先ほどの仕掛けは地面に埋められていた。触れるまで分からなかった。次は触れる前に感知できるかを確認しながら進んだ。
「ゼノさん」
「何だ」
「大丈夫ですか、本当に」
「問題ない、と言った」
「そうじゃなくて。なんか、急に一人になったじゃないですか。俺はゼノさんがいてよかったけど、ゼノさんにとっては突然こういう状況になって、どんな感じかと思って」
突然こういう状況になってどんな感じかという問い。状況の分析ではなく、ゼノ自身の感覚を聞いていた。
「処理できていない部分がある」
「どんな部分ですか?」
「全員の位置が把握できていない時間があった。あの瞬間、何かが来た」
「心配したってことじゃないですか?」
「......その可能性が高いのかもしれない。ただ、確認中だ」
「俺はゼノさんと一緒でよかったです。ゼノさんがいれば、みんなの位置が分かるので。あの状況で、一人だったら何もできなかったです」
「ライナスは速度がある。単独でもある程度動けた」
「でも、ゼノさんがいた方がいい」
話している途中、地面に別の違和感を感じた。
「止まれ」
ライナスが即座に止まった。
「前方二メートル、同じ仕掛けがある。右に迂回する」
「分かりました」
右に迂回して通り過ぎた。仕掛けを踏まずに済んだ。
「よく気づきましたね」
「先ほどの仕掛けの感覚を記憶した。似た感知反応を探しながら進んでいる」
「それができるんですね」
「経験として蓄積した。次は最初から感知できた」
「ゼノさんって、本当に頼りになります」
ライナスが言った言葉が、頭に残った。
頼りになる。以前にも言われたことがあった。学園での練習の時、旅に出てからも複数回。その都度、なぜそう評価されるのかを処理してきた。
今日は、その言葉に対して何かが来た。
処理しようとする前に、言葉が出ていた。
「......任せてくれ」
声に出ていた。
ライナスが少し止まった。
「え?」
「任せてくれ、と言った」
「はい、聞こえました。でも......ゼノさんが、そういう言い方をするのが珍しくて」
任せてくれ。
指示ではなかった。頼んでいた。俺に任せることを、ライナスに求めていた。
その言葉が出た経緯を振り返った。頼りになる、とライナスが言った。その言葉を受け取って、任せてくれという言葉が来た。
「合理的な判断として出た言葉ではなかった」
「どういう意味ですか?」
「俺が全員の位置を把握して、安全に合流させることができる。それは事実だ。だから任せてくれ、という言葉が出てもおかしくない。ただ、計算してその言葉を選んだわけではなかった」
「来た、って」
「言葉が先に出た。判断の前に」
「それって、ゼノさんが本当にそうしたかったってことじゃないですか」
「本当にそうしたかった、の定義が——」
「定義しなくていいと思います。任せてくれって言ってくれたことが、俺はすごく嬉しかったから」
「嬉しかったのか」
「はい。ゼノさんに任せてくれって言われると、頼りにしてもらえてる感じがして。それが嬉しいです」
「俺がライナスに頼りにしてほしいと思っているかどうかは、まだ分からない。ただ、言葉が出た」
「それで十分です」
南南東の方向に、エリナとセレンの気配が近づいていた。
「もうすぐ合流できる」
「よかったです」
「ライナス」
「はい」
「後ろの確認を頼む」
「はい!」
ライナスが後ろについた。
前後の確認。ゼノが前を担当して、ライナスが後ろを担当する。背中を任せる形だ。
任せてくれ、という言葉が出た後で、ライナスに後ろを任せた。
その順序が、自然だった気がした。
以前なら、後ろを任せることへの計算が入っていた。ライナスの能力評価、リスクの検討、判断の根拠。全部が整ってから任せていた。
「エリナ、セレン」
「ゼノさん!」
エリナの声が返ってきて、二人が駆け寄ってきた。
エリナが「大丈夫ですか? 怪我は?」と確認した。セレンが全員の状態を目で確認していた。
「問題ない。全員無事か。」
「私たちも大丈夫です。あの罠、人工的なものですよね」
「そうだ。魔物ではなく、人間が仕掛けた可能性が高い」
「誰が」
「分からない。ただ、確認が必要だ。次にレオンと合流する」
東に向かった。
四人で移動した。途中でもう一つ仕掛けを感知して迂回した。
レオンの気配が近づいた。
「レオン」
「ゼノ! よかった、無事か!」
レオンが木の間から走り出てきた。全員を確認して、ほっとした顔をした。
「全員いるな」
「全員いる」
「あの罠、何だったんだ。急に全員バラバラになって」
「人工的な仕掛けだ。魔物ではない。誰かが設置した」
「誰がこんな場所に」
「不明だ。ただ、調べる必要がある。今日はここで引き返す。この情報をギルドに持ち帰る」
「賛成。さすがに今日はもういい」
引き返す前に、全員の状態を確認した。
ゼノが各自を見た。エリナとセレンが少し疲れていたが、怪我はない。レオンも問題なかった。ライナスが「俺は大丈夫です。」と言った。
「全員、今日はよく動いた。分断された状況で、各自が冷静に行動できた」
「ゼノさんが位置を把握してくれてたからですよ」
「それも含めてパーティの力だ」
「ゼノさん、今日は珍しい言葉が一回ありましたよ」
「何て言ったんだ?」
「任せてくれ、って」
全員がゼノを見た。
「言った」
「なんか、良かったです。いつもより、一緒に動いてる感じがしました」
ゼノは処理しなかった。
今回は処理するより先に、受け取った。
「......行くか」
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