第47話 焚き火の中の想い
見張りの時間は静かだった。
焚き火が低くなっていた。燃料を足すタイミングを計りながら、ゼノは周囲の気配を確認し続けていた。中層の夜は外縁部より濃く、魔力の密度が高い分、気配の読み取りに集中が必要だった。
木の隙間から差し込む月の光が、地面に不規則な模様を作っていた。
三人の寝息が聞こえていた。レオンが一番大きく、ライナスが小さく、セレンがほとんど聞こえなかった。
エリナの寝息が聞こえなかった。
ゼノは気づいていたが、声はかけなかった。眠れていない可能性があったが、横になって休んでいるなら、それでいい判断だった。回復には横になることも有効だ。
その判断をしていた十分後に、エリナが起き上がった音がした。
「眠れなくて」
エリナが焚き火の近くに来て座った。毛布を肩にかけていて、声に眠たさはなかった。
「珍しいのか」
「旅に出てから、たまにあります。変な夢を見そうで、眠れない夜が」
「変な夢、とはどういう内容だ」
「具体的に覚えてないんですけど。なんかうまくいかない感じの夢で。目が覚めた後、気分が重くて」
「疲労が夢に影響することがある。昨日の戦闘の記憶が処理されている可能性があるな」
「そうかもしれません。......ゼノさんは夢を見ますか?」
「記憶にない」
「一度も?」
「覚えていない。見ているかもしれないが、記憶として残らない」
「なんか、羨ましいですね。嫌な夢を覚えてなくて済むのは」
しばらく二人で焚き火を見ていた。
森の奥から遠い気配がした。ゼノが確認したが距離があった。脅威の距離ではない。
「ゼノさんって、怖いものってないんですか?」
「怖いの定義を——」
言いかけて、止めた。
ウェントスがいつも言う。そういうもんじゃないんだよ、と。エリナが今聞いているのも、定義の話ではなかった。
「......いや。まだ分からない」
「......定義の話をしないんですね」
「定義の話ではないと思った」
「そうです。怖いって感じるものがあるかどうか、聞きたかっただけです」
「まだ分からない。怖いという感覚が何かが、まだはっきりしていない。来ている気がする場面はある。ただ確信がない。」
「私は、みんなを守れなかったらどうしようって怖いです......」
エリナが言った。焚き火を見たまま言った。
「具体的には何を想定しているんだ」
「戦闘中に、回復が間に合わなかったとしたら。私の判断が遅くて、誰かが大怪我をしたとしたら。そういうことを考えると、眠れなくなることがあって」
「エリナの回復魔法は十分な水準にある」
「技術じゃなくて、気持ちの問題で。技術があっても、大事な場面で動けなかったらどうしようって」
ゼノは少し考えた。
気持ちの問題。技術的な評価を求めているのではなかった。感情的な不安に対して、何を言えるか。
感情的な問題については俺には詳しくない。ただ、何も言わないことが正しいかどうかも分からなかった。
「気持ちの問題は、俺には詳しくない」
正直に言った。
「ただ、エリナが守ろうとしている事実は俺にとって有用なデータだ」
「有用なデータ、ですか」
「エリナが守ろうとしていることは、俺が把握しているものの一つだ。エリナが守ろうとしているという事実があるから、俺の全体判断にエリナの動きへの信頼が含まれる。怖いという気持ちがあっても、守ろうとしていることは変わらない。それは俺にとって、判断の根拠になる」
エリナが少し黙った。
「......有用なデータって言い方、ゼノさんらしいですね」
「悪い意味か、それは」
「いいえ。悪い意味じゃないです」
「なぜ悪い意味ではないのか」
「ゼノさんが、ちゃんと見ててくれてるって分かるから」
「見ている」
「分かってます。データとして見てるって言い方でも、ゼノさんが見てくれてるっていうことは変わらないから。見ててくれてる人がいるって分かるだけで、少し楽になります」
見ていることが、相手を楽にする。技術的な評価を伝えることとは違う。ただそこにいて、把握していることが、何かを与える。
その構造が、今日初めて少し具体的になった気がした。
「......そうか」
「怖くても、ゼノさんが見ててくれてるなら、動けます。今日のライナスさんも言ってたじゃないですか。ゼノさんが見てくれてるから安心できるって」
「聞こえていたのか」
「近くにいましたので。私も同じです」
焚き火に木を一本足し、炎が少し大きくなった。ゼノは周囲の気配を確認したが変化はなかった。
何かが胸の辺りにあった。
何かが。それ以上の言葉が出なかった。エリナが「見ててくれてるから動ける」と言った。その言葉を受け取った時に、何かが来た。良い方向の何かだとは判断できた。ただ、それが何なのかを表現する言葉がなかった。
「ゼノさん」
「何だ」
「ありがとうございます。なんか、話せてよかったです」
「......眠れそうか」
「少し。さっきより楽になりました」
「なら戻ってくれ。体力の回復が優先だ」
「はい。おやすみなさい」
「ああ」
エリナが横になり、しばらくして寝息が聞こえ始めた。穏やかな寝息だった。
ゼノは見張りを続けた。
胸の辺りにあった何かが、まだそこにある。見ていることが相手を楽にする。守ろうとしている事実が判断の根拠になる。怖くても動ける、という状態がある。
処理できない部分が、今夜は多かった。
ただ、処理できないことが不快ではなかった。
焚き火が静かに燃えていて、月が木の間を動いていた。




