第38話 学園最後の夜
卒業式の前夜。
夕食の後、レオンが「みんなで中庭に行かないか」と言い出した。理由は特になかった。ただ、行きたいと思ったらしい。エリナが「いいですね」と言い、ライナスが「俺も行きます」と言った。セレンが「一緒に」と言った。
ゼノは少し考えてから「構わない」と言った。
中庭は静かだった。
他の生徒はほとんど部屋に戻っていた。石のベンチと、手入れされた草木と、夜空があった。雲が少なく、月も星が見えた。
五人が中庭の中央近くに座った。ベンチではなく、草の上に輪になって座った。レオンが「こういう時はこういう座り方だろ」と言った。理由は説明されなかった。
ゼノは輪の中に入って座った。
しばらく誰も話さなかった。遠くで鳥の声がした。学園の建物が周囲に見え、一年間、毎日歩いていた場所だった。
「なんか、感慨深いな」
「感慨深い、とはどういう意味だ」
「なんか、こう、いろいろあったな、って気持ちになること」
「定義が曖昧だが、概念としては理解できる」
「お前は感慨深くないのか」
「感慨深いかどうかを、今確認している」
レオンが「確認してるのか......」と言った。笑っていて、呆れてはいなかった。
「三年間、あっという間でした。入学式が昨日のことみたいな気がします」
「時間の感覚が早く感じられるのは、密度の高い経験をしているからだと聞いた」
「ゼノさん的に言うと、そうなりますね。でも、あっという間だったけど、いろいろありましたね」
「俺、入学した時は魔法も満足に出せなかったのに」
ライナスが草の上に膝を抱えて、夜空を見上げながら言った。
「最初はフォームが原因だった。修正した結果、改善した」
「そうなんですけど。ゼノさんって、そういう言い方するんですよね。でも、あの時ゼノさんに声をかけてもらわなかったら、今もフォームが悪いままだったと思って」
「通りかかったついでに気づいた点を述べただけだ」
「それが助けてもらったってことです」
「セレンも魔法すごく上手くなりましたよね。」
「わたしは最初から今と同じやり方だったんですけど。でも、みんなと一緒に練習することで、安定してきた気がします......みんながいたから、ここまで来られた気がする」
ゼノは一人一人を見た。
レオンが夜空を見ていた。感慨深い、という感情が顔に出ていた。エリナが草の上に手をついて、少し微笑んでいた。作られた笑顔ではない。ライナスが膝を抱えたまま、少し遠くを見ていた。セレンが静かに座っていた。
三年間の観察データが頭にあった。
レオンの悔しさが燃料に変わる瞬間。ライナスが初めて強い魔法を出した時の涙。エリナの笑顔が変わっていく過程。セレンの水魔法に引っかかりを覚えた放課後。それぞれが、今この場所に座っている。
「......お前たちと過ごした三年間は、データとして有用だった」
「それだけかよ!!」
レオンが即座に言った。
「データとして有用だ、という評価は高評価だ」
「高評価でも言い方があるだろ!!」
「他にどう言えばいい」
「だから、よかったとか、楽しかったとか!!」
「楽しかったかどうかは——」
「もういい!!」
ライナスが笑っていた。エリナも笑っていた。セレンが静かに微笑んでいた。
「......それ以上の何かがあるかどうか、まだ言語化できていない。データとして有用だ、という評価の外側に、何かがある気がする。ただ、それが何かを正確に表現する言葉が、今の俺にはない」
「......それはそれで、素直な答えだな」
「言語化できなくても、私たちはゼノさんと一緒にいたかったです」
エリナが言った。
静かな声だった。主張でも訴えでもなく、ただ事実として述べた声だった。
「三年間。最初、すごく変わった人だと思って。感情がなくて、何を考えてるか分からなくて。でも、嘘をつかない人だって分かってから、ずっと一緒にいたかった」
「なぜ嘘をつかないことが、一緒にいたい理由になるんだ」
「嘘をつかない人には、素の自分でいられるから。作った笑顔を指摘してくれたのも、技術的な改善点を教えてくれたのも、全部そのままのゼノさんだったから。それがよかったんです」
素の自分でいられる相手。エリナにとって、ゼノがそういう存在だった。
「俺はそのつもりで行動していたわけではない」
「分かってます。でも、そうなっていました」
少し間があった。
夜の中庭が静かだった。月の光が草の上に落ちていた。
「......俺も、悪くなかった」
ゼノは言った。
レオンが少し止まった。それから「おい、それ最高の褒め言葉じゃないか。」と言った。
「悪くなかった、というのはゼノさんの最上級ですよね」とライナスが笑いながら言った。
「定義の問題だ。悪くなかったは——」
「悪くなかったは最高だよ。お前が言う場合は!」
レオンが笑った。声が中庭に響いた。ライナスも笑った。エリナが声を上げて笑った。セレンが口元に手を当てながら笑っていた。
笑い声が広がった。
ゼノはその輪の中にいた。
笑っていなかった。ただ、輪の中にいた。
一人一人が笑っていた。それぞれの笑い方があった。レオンは声が大きく、ライナスは少し照れたように、エリナは自然に、セレンは静かに。
この状態を何と呼ぶのか、まだ分からない。
全員が笑っている。自分は笑っていない。しかし輪の中にいる。輪の中にいることが、奇妙に思えなかった。一年前なら、これが何なのかを分類しようとして、保留にしていた。今もまだ完全には分からなかった。
ただ、一つだけ分かったことがある。
失いたくないと思った。
初めてだった。
この状態が、この笑い声が、この輪が。失われることを想像した瞬間に、何かが来た。失いたくないという感覚が来た。今まで感じたことのない種類のものが、胸の辺りに来た。
「ゼノさん、今どんな気持ちですか?」
エリナが笑いが収まってから聞いた。
「......言語化できていない」
「何かはあるんですね」
「処理できない何かがある」
「それで十分です。言語化できない何かがある、って分かるだけで十分」
「テラも似たことを言っていた」
「え?」
エリナが首を傾けた。
「何でもない。独り言だ」
レオンが「なんか時々独り言言うよな、お前」と言った。
「処理中の確認だ」
「ふーん」
レオンが特に追わずに夜空を見上げた。
「明日、卒業式だな」
「そうだ」
「終わったら、すぐ旅か」
「準備が整い次第」
「楽しみだな」
「楽しみの定義が——」
「もういい!!」
また笑い声が起きた。
しばらく、他愛のない話が続いた。
レオンが旅での食事の話をした。ライナスが魔物の森について聞いてきた。エリナが装備の確認の話をした。セレンが水源の確保について静かに提案した。
ゼノはそれぞれの発言を聞いていた。
一人一人の声の質が頭に残っていた。
今夜、円卓で話すことが一つあった。
失いたくないという感覚が来た。それが何なのかを聞こうと思っていた。
だが今夜はまだ、中庭にいた方がいい気がする。
なぜそう思ったのかは、分からなかった。
ただ、もう少しここにいようと思う。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




