第35話 円卓での信頼
怒りの覚醒から数日が経った。
学園の空気が、少し変わっていた。上級生グループへの処分が周知されたことで、同様の行動への抑止が働いているらしかった。ライナスの友人も、以前より落ち着いた様子で授業に出ていた。
ゼノ自身も、変化を感じていた。
火属性の出力が安定している。以前は何かが足りないという感覚がつきまとっていたが、今は違う。完全に解消されたわけではないが、何かが乗っている状態が続いていた。
ガード先生が「お前の火属性、変わったな。」と言った。詳しく聞こうとしたが「感じるものだから説明できない」と言われた。説明できない、という答えにも今のゼノは以前より納得できた。
その夜の円卓は、いつもより早い時間に入った。
ウェントスが待っていた。イグニスもいた。二人が揃っている夜が、最近は増えている。
「今日はどうだった?」
「火属性の状態を確認した。安定している」
「覚醒の効果が続いてるってことだね」
「そう判断している。ガード先生にも変化を指摘された」
イグニスが「当然だろ。」と言った。腕を組んで横を向いていたが、声のトーンは悪くなかった。
「お前の火の魔法に何かが乗ったんだから」
「乗ったものが何かを、まだ完全には理解していない」
「怒りだよ。何度も言ってる」
「理解と体験が追いついていない部分がある」
「うるさいな」
イグニスがそう言った瞬間だった。
広間の空気が変わった。
ウェントスが顔を上げ、イグニスが口を閉じた。ゼノも感じた。何かが来る、という気配だった。以前にも似た感覚があった。椅子に輪郭が現れた夜。イグニスが初めて来た夜。
今度は、別の椅子だった。
イグニスの隣の椅子だ。以前は薄暗い影だったものが、今夜は違う質感を持っていた。光が、中から出てきているような感じがした。茶色の、柔らかい光だ。
ウェントスが「あ」と言った。
人が現れた。
茶色の髪だった。ショートボブ。茶色の瞳が、ゼノを見ていた。穏やかな目だった。笑っていた。笑い方が、ウェントスともイグニスとも違う、落ち着いた微笑みだった。
「こんにちは、ゼノ君。ずっと見ていましたよ」
その声はとても穏やかだった。
ウェントスが椅子から飛び出した。
「テラちゃん!!」
勢いよく駆け寄って、その人に飛びついた。その人——テラが少し体を傾けながらも受け止めた。苦笑いをした。困っているわけではなく想定していた、という顔だった。
「ウェントス、相変わらずですね」
「来てくれると思ってたよ! 来てくれた!」
「来ましたよ」
テラがウェントスの頭を軽く撫でた。それから視線をゼノに向けた。
ゼノは観察していた。
茶色の髪と瞳。ショートボブ。ウェントスを受け止める動作。苦笑いの表情。どれも、落ち着いた印象を与えた。
「テラ......土属性か」
テラが「そうです」と言った。微笑みが変わらなかった。
「ゼノ君は、すぐに分類するんですね」
「情報として把握することが基本だ」
「そうですね。ゼノ君のことは、ずっと見ていましたから、だいたい分かっていましたよ」
「ずっと見ていた、という点について。イグニスも同じことを言った。来る前から見えているのか」
「見えているというより、感じているという方が正確かもしれません。ゼノ君の中にいるので。それと――」
「何だ」
「ずっと言いたかったことがあって。やっと言えます」
ゼノは待った。
「......あなたなら大丈夫、ってずっと思っていました」
広間が静かになった。
テラが笑っていた。変わらない微笑みだ。穏やかで、確信があった。
「根拠を述べてくれ」
「根拠なんてありませんよ」
「根拠のない判断は信頼性が低い」
「そうかもしれません。でも大丈夫だって、信じています。根拠なしに」
ゼノは返答を探した。根拠のない判断を合理的に処理する方法が、見つからなかった。
「それは、信頼というものか」
「そうですよ。信頼は根拠から来るものじゃない。根拠がなくても信じることが、信頼です」
イグニスが「......なんか腹立つ言い方だな。」と呟いた。
ゼノが聞いた。
「なぜ腹が立つんだ」
「なんとなく。根拠ないのに大丈夫って言われても、こっちは何も言えないじゃないか」
「返答に困る、ということか」
「そういうことじゃなくて。根拠があった方が、反論できるだろ。根拠がない方が、なんか、もっと強い気がして。腹立つ」
テラが「イグニスも、よく頑張りましたね。」と言った。
「......うるさい」
「本当によく頑張ったと思いますよ。ずっと待っていて、来るタイミングを見ていて。ゼノ君に怒りが来た時に、ちゃんとそこにいました」
「べ、別に褒めなくていい!」
イグニスの耳が少し赤かった。ゼノには判別が難しかったが、照れているのかもしれない。
「テラ、うるさいって言われてるよ」とウェントスが笑いながら言った。
「うるさくても、言いたいことは言います」とテラが穏やかに答えた。
広間が少し賑やかになった。
ウェントスがテラに近況を話し始めた。ゼノが喜びを覚醒させた話、怒りを覚醒させた話、その間にあった様々な出来事。テラが静かに聞いていた。相槌が適切だった。全部を知っていたような聞き方だ。
イグニスが横を向いたまま、その話を聞いていた。参加しているわけでも、無視しているわけでもない、中間の距離で。
ゼノは三人を観察した。
「三人になった」
「そうですね。残りは三つ、空席があります」
「ああ」
「会う時に、分かることがあると思いますよ」
「次に来るのはいつだろうか」
「それはゼノ君次第です」
「テラもそう答えるのか」
「みんな同じことを言いますよ。本当のことですから」
「テラ、信頼を司ると言った。信頼の覚醒はどういう形で来るんだ」
テラが少し考えた。
「自分が傷つくかもしれない状況で、それでも相手を信じて背中を預けること。そういう体験が来た時だと思います」
「怖い状況で信じる、ということか」
「怖いかどうかより、確信がない状況で信じるということかもしれません。根拠がなくても、任せると決めること」
「根拠がないことへの抵抗がある」
「知っています。でも、あなたなら大丈夫ですよ」
「また根拠なしに言っているな」
「そういうものなんです、信頼って」
イグニスが「同じことしか言わないのか、あいつは」とボソッと呟いた。
「聞こえてますよ、イグニス」
「聞こえてていい。」
「よく頑張りましたね」
「うるさい!!」
ウェントスが笑い出した。
円卓が賑やかになった。イグニスが「うるさい」と言い、テラが穏やかに受け流し、ウェントスが笑う。その繰り返しが続いた。
ゼノは三人を見ていた。
四つの椅子に人がいた。自分の椅子と、緑と赤。そしてテラが座っている椅子。残りの三つはまだ薄暗かった。
「テラ」
「はい」
「お前は根拠なしに大丈夫だと言った。根拠なしに信じることが、信頼だと言った」
「そうですよ」
「俺には、まだそれが何か分からない」
「分かっていなくていいですよ、今は。体験した時に分かります」
「ウェントスもイグニスも同じことを言った。体験した時に分かると」
「みんな本当のことを言っているからです」
「......そうか」
「あなたなら大丈夫ですよ、ゼノ君」
「根拠がないのに言い続けるのか」
「これからもずっと言います」
ゼノは返答しなかった。
根拠のない言葉がなぜか処理を邪魔しなかった。処理できないのに、不快ではなかった。
広間が賑やかなまま、夜が続いた。
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ではまた。




