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六属性を持つ最強転生者は、感情という魔法を知らない  作者: 猫眼鏡博士
第一章

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第31話 守れなかった感覚

 報告から二日が経っていた。

 上級生グループへの調査は進んでいる。クルス先生とガード先生が中心になって、事実関係を確認していた。ただ処分が決まるまでには時間がかかるということで、上級生たちはまだ学園内にいた。


 ゼノはその間も状況を把握し続けていた。

 上級生グループの行動パターンを観察した。どの時間帯に動くか、どの場所を使うか、誰を標的にしやすいか。情報が蓄積されていった。

 危険の可能性がある時間帯と場所を特定した。

 そのはずだった。


 三日目の放課後。

 ゼノは図書室にいた。魔王に関する文献を引き続き調べていた。禁書区画の件から、魔王の覚醒に関する情報を集める必要性を感じていた。


 廊下から走る足音が聞こえた。

 複数の足音だった。急いでいる。その方向をゼノは一瞬で判断した。

 北棟への渡り廊下。上級生グループが使いやすい場所の一つだった。

 本を置いて、立ち上がった。

 廊下に出て走って向かった。

 渡り廊下に着いた時——終わっていた。


 ライナスの友人が、壁に背中をつけて座っていた。

 今回は腕ではなく、足だった。魔法を受けた跡が制服に残っている。幸い、深刻な怪我ではなかった。ただ、またやられたという事実がそこにあった。


 上級生たちの姿はなかった。

 傷ついた生徒が「ゼノさん」と言った。ゼノを見上げた。その顔に、責めている様子はなかった。ただ疲れた顔をしていた。


「来てくれたんですね」

「間に合わなかった」


 その場の処理を終えた後、ゼノは一人になった。

 ライナスが来て、友人に付き添った。先生への報告もした。必要な手順は踏んだ。


 ゼノは廊下に立って、分析しようとしていた。

 俺は間に合わなかった。なぜ間に合わなかったのか。

 ルートの計算が足りなかったのか。図書室から北棟の渡り廊下まで、最短経路を選んだ。それでも間に合わなかった。出発のタイミングが遅かった可能性がある。足音を聞いてから判断するまでに、時間がかかりすぎた。


 情報収集が足りなかったのか。上級生グループの行動パターンを把握していた。ただ全てのパターンを把握していたわけではない。今日の時間帯は比較的安全だと判断していた。その判断が間違いだった可能性がある。

 事前の対策が不十分だったのか。もし傷ついた生徒の行動予定を把握していれば、その経路に注意を払えた。だが全ての生徒の行動を把握することは現実的ではない。


 ゼノは分析を続けようとした。

 だが何かが、それを邪魔していた。


 分析の手順を踏もうとするたびに、何かが途中で止まった。

 ルートの計算を始めると、間に合わなかったという事実が来た。情報収集の見直しを始めると、また来た。

 間に合わなかった。この言葉が他の処理を押しのけて、繰り返し来る。


 これは何だ。

 ゼノは処理しようとして、できなかった。

 間に合わなかった事実は変わらない。変わらない事実を繰り返し処理しようとすることに意味があるのか。意味がないなら、止めればいいはずだ。でも止められなかった。


 廊下を歩きながら、ゼノは同じ問いを何度も繰り返していた。

 なぜ間に合わなかったのか。次はどうすれば間に合えるのか。何が足りなかったのか。

 答えは出ていた。出力として出てくるが、それが次の処理に繋がらなかった。答えが出ても、何かが収まらなかった。


 夜の円卓。

 ウェントスが黙っていた。

 入った瞬間から分かった。いつものウェントスは何かを言うが、今日は何も言わなかった。足もぶらぶらさせていなかった。両手を膝の上に置いて、ゼノが来るのを待っていた。


 イグニスがいた。

 椅子に座っていた。今日はこちらを向いていた。腕を組んでいなかった。膝の上に手を置いて、ゼノを見ていた。


「今日、間に合わなかった」


 イグニスが何も言わなかった。ウェントスも何も言わなかった。


「分析しようとしているが、処理が止まる。何かが邪魔をする。同じ事実が繰り返し来る。間に合わなかった、という事実が」


 ウェントスがゼノを見ていた。目が少し潤んでいた。ただし泣いてはいなかった。

 イグニスが「......ゼノ」と呼んだ。


「何だ」

「今どんな気持ち?」


 気持ち。その問いへの答えを探した。


「処理できていない」

「それが怒りだ」


 静かな声だった。いつもの尖った声ではなかった。今までゼノに向けてきた声の中で、一番静かだった。


「自分への怒り。間に合わなかった自分への」

「怒りは合理的でない。間に合わなかった事実は変わらない。自分に怒ることで状況が改善しない。感情的な反応に意味がない」

「合理的かどうかの話じゃないんだよ」


 口調が変わらなかった。反論でもなく、諭すでもなかった。ただ事実として述べた声だった。


「怒りって、合理的かどうかで来るものじゃない。来るから来る。抑えようとして抑えられるものじゃなくて、来た時に来るもの」

「来ることに意味があるのか」

「意味があるかどうかより、来てるかどうかの話をしてる」

「......来ているのかどうかが分からない」

「来てる。来てるから処理できないんだよ。分析しようとして止まる。それが怒りが来てるサインだ」

「怒りが分析を止めるのか」

「感情は処理を上書きすることがある。特に怒りは。頭で整理しようとしても、感情がそれを押しのけてくる」

「それは非効率だ」

「そうかもしれない。でも、非効率だからって感情は止まらない」


 ウェントスが静かに「ゼノ、間に合わなかった時、どうなりたかった?」と聞いた。


「間に合いたかった」

「なんで?」

「傷つけさせたくなかった」


 ウェントスが頷き、何も言わなかった。

 イグニスが続けて話し始めた。


「傷つけさせたくなかった。その気持ちが、間に合わなかった事実にぶつかると怒りになる。自分への怒り。なんで間に合わなかったんだって」

「俺は傷つけさせたくないと思っていたのか」

「思ってたんじゃないの。じゃなきゃ走らないよ。足音を聞いて、本を置いて、走ったんでしょ」


 足音を聞いて判断した。走った。その順序を振り返った。判断の前に、身体が動いていた部分があった。足音を聞いた瞬間に、何かが来ていた。


「......判断の前に、動きがあった」

「そう。それが感情だよ。傷つけさせたくないっていう感情が先に来た」

「それが今も残っている」

「間に合わなかったから。来た感情の行き場がなくなってる。それが処理を止めてる」


 円卓は静かだった。

 ウェントスがまだ何も言わなかった。イグニスが膝の上の手を見ていた。赤い瞳が下を向いていた。


「イグニス」

「何」

「自分への怒りは、何かを改善するか」


 イグニスが少し考えた。


「ものによる」

「今の状況では」

「......次に間に合うための理由になる可能性がある。間に合わなかったことへの怒りが、次に間に合おうとする力になる。怒りは燃料だって、ガード先生も言ってたでしょ」

「燃料として使える」

「使えるかどうかは、怒りをどこに向けるかで変わる。自分を責め続けるだけなら消耗する。でも、次は傷つけさせないという方向に向けたら、力になる。」



 怒りを次の行動に向ける。自分への怒りが、次への原動力になる。


「......まだ完全には理解できない。」

「今すぐ分かる必要はない。ただ、今感じていることを否定しないでくれ」

「否定する理由を探しているが、見つからない」

「じゃあ、それでいい」

「......ゼノ、今日、走ったじゃん。足音聞いて、本を置いて」

「ああ」

「それって、ゼノが変わってきてるってことだよ。前だったら、もっと計算してから動いてたと思う」


 ゼノは処理した。

 以前の自分なら、足音を聞いてから状況を分析して、動く必要があると判断してから動いた。今日は判断の前に動いていた。


「感情が先に来るようになっている、ということか」

「そうかもしれない」

「非効率だ」

「でも、間に合いたかったんでしょ」

「......そうだ」


 その言葉が、今夜初めて、迷わずに出た。

 イグニスが赤い瞳でゼノを見ていた。何かを測っている目ではなかった。ただ見ていた。

「......もうすぐだよ。」とウェントスが言った。


「何がだ」

「ゼノが怒りを、ちゃんと感じる日が」


 イグニスは何も言わなかった。言わなかったが、否定もしなかった。

 それだけで、何かが変わっている気がした。

最後まで読んでくれて、ありがとうございます!

次の更新をお楽しみに!


ではまた。

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