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六属性を持つ最強転生者は、感情という魔法を知らない  作者: 猫眼鏡博士
第一章

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第25話 評価の手紙と解決策

 夕方の寮の廊下は静かだった。


 ゼノは図書室から戻るところだった。魔物の生態書の続きを読んでいた。知性型魔物の章が途中になっていたので、今日中に終わらせるつもりだった。


 寮の入口に近い廊下を曲がった時、エリナがいた。

 窓際に立って、手紙を読んでいる。

 封筒は既に開いていた。中から取り出した紙を、両手で持って読んでいた。背中を向けていたので表情は分からなかった。ただ、肩の位置が低かった。普段のエリナよりも、何かが下がっていた。

 ゼノは通り過ぎることもできたが、足が止まった。


「何かあったのか」


 声をかけた。

 エリナが振り返り、手紙を素早く封筒に戻した。一瞬で笑顔を作った。完璧な速度だった。ただ今日のその笑顔は、いつもより少し歪んでいた。作る力が、十分でなかった。


「何でもないです。大丈夫ですよ」

「また作っている」


 エリナの笑顔が止まった。

 力が抜けた。口角が下がった。目の細め方が消えた。残ったのは、廊下で一人でいた時の顔だった。疲れていた。何かを抱えていた。


「......見れば分かるんですよね、ゼノさんには」

「表情の変化が出ていた」

「そうですか。隠すのが下手になってきたのかな、最近。」


 下手になってきた、という言い方は以前は上手かったという意味を含んでいる。エリナが笑顔を維持する技術は、長い時間をかけて習得したものだ。それが最近変化している。


「何かあったんだ」


 もう一度聞いた。

 エリナが少し黙った。

 廊下の向こうから、他の生徒の声が遠く聞こえた。夕食の準備の音がどこかからしていた。ここには今、二人しかいなかった。


「......家から、手紙が来て」


 封筒を持つ手が、少し動いた。


「魔法の成績に関して。まだ期待に応えられていないって」

「成績は上位だ」

「はい」

「模擬試験の結果は二位だ。実技の評価も高い。何が不足しているのか」


 エリナが苦笑いした。困った顔に近い笑いだった。


「数字じゃないんです、こういうのは」

「数字でない評価基準が存在するのか」

「存在するんですよ。ソーレル家には、代々続いてきた基準があって。点数とか順位とか、そういうものじゃなくて。魔法の使い方に品格があるかどうか、とか。回復魔法の質が家の歴史に恥じないものかどうか、とか」

「品格」

「品格って言っても、ゼノさんにはピンとこないですよね」

「ピンとこない、とは」

「数字で測れないもの、ということです。私にも、正直よく分からないんです。品格がある魔法と、ない魔法の違いが。でも家は分かるらしくて。あなたの魔法にはまだ足りないものがあるって、毎回そう書いてくる」

「数字でない評価基準に対して、数字以外のアプローチが必要になる。ただ、俺にはその基準の内容が分からないから、改善の提案ができない」

「提案しようとしてくれたんですか」

「問題があるなら最適解を探すのが通常の手順だ。ただ、今回は基準が不明なので手順を進められない」


 エリナが少し目を細めた。笑いに近い表情だったが、笑っているというよりは、何かに触れた時の顔だった。


「そうですよ。そういうの、ゼノさんには分からないですか」


 ゼノは少し止まった。

 数字でない評価基準。品格。家が定める、測れない何か。それを理解することが、ゼノにはできるのかどうかを考えた。


「分からない。そういった基準の設定方法も、適用の仕方も、俺には理解できない。合理的な説明がつかない基準は、処理できない」

「そうですよね」

「ただ――」


 続きを言おうとして、少し止まった。

 言葉を探した。分からない、ということは言えた。では何がわかるのか。今エリナの前に立って、ゼノに確認できることは何か。


「エリナが苦しんでいることは分かる」


 エリナが静かになった。

 廊下は静かだった。遠くの声が、さらに遠くなった気がした。

 エリナがゼノを見ていた。確かめるような目だった。何かを測っている目ではなく、ただ見ている目だった。


「......どうして分かるんですか」

「肩の位置が低い。手紙を持つ手の力が均一でない。笑顔を作る力がいつもより弱かった。それぞれが、普段と違う状態を示している」

「それが、苦しんでいることになるんですか」

「状態の変化として観察できる。名前をつけるなら、苦しんでいるが近いと判断した」


 エリナが少し黙った。

 それから「そうですね。苦しんでます、少し」と言った。認めた声だ。笑顔がなかった。ただ言えた、という声だった。


「家からの手紙は、毎回こうなんです。点数が上がっても、順位が上がっても、まだ足りないって書いてある。何をすればいいのかが、分からなくて」

「指標が不明なまま努力しても、改善の確認ができない」

「そうなんです。でもやめるわけにはいかなくて。ソーレル家の人間だから、それは変えられないから」

「変えられない前提の中で、変えられることを探す必要がある」

「それも、分かってるんですけど。分かってても、たまに苦しくなることがあって。今日は、そういう日でした。」


 ゼノは返答を探した。

 何が必要なのか。

 クルス先生との会話が頭に浮かんだ。感情を捨てたから守るべき理由が分からなくなった、という話。守りたいという感覚が行動の力になる、という話。

 今のエリナに必要なのは、解決策ではないかもしれなかった。


「お前が苦しんでいることは分かる」


 もう一度、言った。


「解決策は今の俺には出せない。ただ、苦しんでいることは、観察できる」

「......それだけで、十分です」


 静かな声だった。


「ありがとうございます」


 ゼノは返答しなかった。礼は不要だ、と言おうとして、止めた。

 先日、礼は不要だと言ったら、それでも言いたいとエリナに言われた。今日も同じことが起きる可能性があった。

 そういう計算がある、ということをゼノは自分で少し可笑しいと思った。可笑しいという感覚が何かはわからなかったが、何かが少し違う気がした。


「手紙は毎月来るのか」

「そうですね、だいたい」

「次が来た時に、また言えばいい」

「......次も聞いてくれるんですか」

「聞かない理由がない」


 エリナが笑った。今度の笑い方は自然だった。作っていなかった。疲れた顔の中に、小さく本物の笑いがあった。


「......ありがとうございます」

「今日二度目だ」

「二度言いたいこともあります」


 エリナが「夕食に行きます。ゼノさんも行きましょう」と言って歩き始めた。ゼノも並んで歩いた。


 廊下を進みながら、ゼノはさっきの自分の言葉を反芻していた。

 エリナが苦しんでいることは分かる。解決策を出すためではなく、ただそれだけを言いに立ち止まった。


 その行動の理由が、まだ完全には言語化できていなかった。ただ、立ち止まったことに対して、何も感じないということはなかった。

 その何かが何なのかは、今夜の円卓で整理することになりそうだ。

最後まで読んでくれて、ありがとうございます!

次の更新をお楽しみに!


ではまた。

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