第20話 覚醒の余韻
翌朝、学校に着いた瞬間に空気が違った。
廊下を歩くと視線が来た。いつもと種類が違う視線だ。適性検査の後に来た視線とも違う。あの時は六属性という情報への反応だった。今日の視線には、実際に何かを見た後の重さがあった。
声が聞こえた。距離があって内容は聞こえなかったが、ゼノの方を向いて話していることは分かった。別のクラスの生徒だ。
廊下の向こうから知らない生徒が「昨日の人だ」と小声だったが聞こえた。
教室に入ると、Bクラスも似たような状態だった。
ゼノが席に着くと、周囲のざわめきが少し変わった。話題が変わったのか、それともゼノの存在を意識した変化なのか。
ゼノは昨日のことの分析を続けていた。
覚醒時の身体の状態変化。思考の加速度。空中機動のための魔力消費量。四匹目の出現を事前に把握できなかった原因。今後、同様の状況で同じミスをしないための改善点。
データとして処理すべきことは多かった。
「ゼノさん」
声がかかった。
エリナだった。自分の席から移動してきて、ゼノの席の横に立っていた。
「昨日は本当にありがとうございました」
改めて言った。昨日訓練場で言ったものとは少し質が違う声だった。今日は落ち着いた状態で、改めて言いに来た声だった。
「礼は不要だと言った」
「でも言いたいんです」
「......そうか」
エリナが「はい」と言って、自分の席に戻った。その背中を少しの間だけ見てから、ゼノは分析に戻った。
ホームルームが始まる前に、レオンが来た。
「なあ、ゼノ」
「何だ」
「昨日、かっこよかったぞ」
かっこよかった、という評価。定義が曖昧だった。美的な意味なのか、行動の質への評価なのか。前者なら判断基準がない。後者なら効果的だったかどうかで答えられるが、それはかっこよかったへの返答として適切なのか。
「......」
「なんか言えよ」
そこにライナスも来た。廊下側から来て、ゼノの机の前に立った。
「ゼノさん、昨日すごかったです! 本当にかっこよかったです!」
二人から言われた。
ゼノは処理を続けたが、適切な返答が出てこなかった。
ありがとう、と言うのが一般的な返答だとは理解していた。だがかっこよかったかどうかの判断をゼノはしていないので、肯定も否定もできなかった。
スルーすることにした。
「無視するな!」
「処理できていない」
「処理とかじゃなくていい。素直に受け取れ!」
「受け取り方が分からない」
「ありがとうって言えばいい、それだけだ!」
ありがとう、という言葉は感謝の表明だ。ゼノがレオンに感謝しているかどうかは別として、相手の評価を受け取った、という信号として使うことはできる。そういう用法で使う言葉だ、という理解はあった。
「......ありがとう」
レオンが「よし!」と言った。ライナスが「いえ、本当のことを言っただけです」と言った。
それだけのやり取りだったが、何かが終わった感じがした。
ゼノは授業を受けながら、昨日の分析と今日の観察を並行して処理していた。
視線の種類が、昨日までと変わっている。六属性という情報への恐れから、実際に動いている状態を見た後の恐れになっている。好奇も増えている。どういう人間なのかを知ろうとする視線だった。
昼休みになり、いつもの席でいつもの三人で食べた。
レオンが「昨日の四匹目、どっから出てきたんだ」と言った。ゼノが出現位置と建物の構造から推測した侵入経路を説明した。レオンが「そこまで分析してるのか」と言った。ライナスが「ゼノさんって、いつも全部見てるんですね」と言った。
「見えるから見ている」
「それが才能だよ」レオンが言った。
「才能の定義が——」
「もういい!」
レオンが笑い、ライナスも笑った。いつもと同じやり取りだった。昨日何があっても、この三人の食事の形は変わらないらしかった。
その事実を、ゼノは特に何とも思わなかった。
思わなかったが、悪くはなかった。
夜の円卓。
ウェントスがいつもより落ち着いた様子で座っていた。昨日の興奮が収まった後、という状態だった。
「今日はどうだった?」
「視線の種類が変化していた」
「覚醒の後は、魔法の感覚が違わなかった?」
「違った。風属性の扱いが、以前より自然になった気がする。制御に使う意識が減った」
「それが覚醒の効果だよ。馴染んでくるんだよね、段々と」
「次の覚醒はいつ来るんだ」
ウェントスが少し笑った。
「次はあたしの隣だよ」
「ウェントスの隣にいる人格か」
「そう。怒りの覚醒が次に来る。でも、まだ先だと思うよ。ゼノに怒りが届くまで、もう少し時間がかかるから」
「どのくらいかかるのか」
「分からない。ゼノ次第だから」
ゼノは隣の椅子を見た。
薄暗いままだ。前に何かが動いた気がしたが、今日は静かだった。
「エリナが今日また礼を言いに来た」
「うん」
「不要だと言ったが、それでも言いたいと言われた」
「どう思った?」
「......処理が、少しだけ止まった」
「止まった時、どんな感じだった?」
「不要ではなかったかもしれない、という感覚があった」
ウェントスが「そっか」と言った。優しい声だった。
「礼を言ってもらうことが、不要ではない可能性があるということか」
「もっとシンプルに言うと、嬉しかったんじゃないかな、少し」
「......昨日に続いて、また処理できない部分がある」
「うん。覚醒したばかりだからね。これから増えていくよ、そういうの」
「増えていくのか」
「増えていくよ。それが、ゼノが変わっていくってことだから」
変わっていく。その言葉が、どういう意味を持つのかがまだ分からなかった。ただ、変わることへの否定が今は出てこなかった。
「......参考にする」
「それだけ!?」
「今はそれだけだ」
ウェントスが「まあいっか」と笑った。
五つの空席のうち、前に動いた椅子だけがわずかに違う気配を持っていた気がした。気のせいかもしれなかった。
ゼノは目を開けた。
天井が見えた。昨日の「それでいい」という言葉が、また頭の中を通った。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




