第1話 アルフェリア王国立魔法学校
石造りの正門をくぐった瞬間、音が変わった。
それまでの朝の静けさが消えて、大勢の声が一気に押し寄せてくる。笑い声、呼び合う名前、緊張した息遣い。
アルフェリア王国立魔法学校の敷地は広く、校舎は古い。そして異様なほど人で溢れていた。
ゼノは一度立ち止まり、全体を見渡した。
情報を整理する。生徒の数はおよそ百二十。引率の教師が数名。保護者の姿もある。
建物は三棟構成で、正面が式典用の大広間だと思われる。導線は正門から中央通路を直進。迷う要素はない。
大広間は、想定より広かった。
天井が高く、両側に長椅子が並んでいる。すでに多くの生徒が座っており、ゼノが入ると自然と空いてる席に流れた。隣の生徒がちらりと視線を向けてきたが、すぐに前を向いた。
式典が始まるまでの間、ゼノは周囲を観察していた。
右隣の生徒は手を膝の上で固く握っている。緊張の身体反応。左斜め前の生徒は何度も後ろを振り返って保護者席を確認している。安心を求める行動。三列前では二人の生徒が小声で話しながら笑っている。既知の関係、緊張の緩和を互いに図っている。
感情があちこちに溢れていた。
ゼノにはそれが現象として見えた。体温の上昇、発汗、声のピッチの変化、視線の動き。感情とは要するに身体の状態変化であり、外部から観察できる情報だった。観察すれば相手の状態が読める。有用なデータだ。
ただ、その感情が何を意味するのかは頭で分かっていても、腑には落ちなかった。
なぜ緊張するのか。なぜ誰かに会いたくなるのか。なぜ笑いたくなるのか。
理屈は分かる。身体で分かるかどうかは、別の話だ。
先生が前に出て整列を促し、しばらくして式典が始まった。
在校生の誘導、来賓の挨拶、先生の紹介。それぞれの場面で大広間の空気が動いた。拍手が起きる、歓声が上がる、どこかで嗚咽を抑えている音がする。
ゼノは淡々と記録していたが、非効率だと思った。
式典に一時間以上かける意味が、合理的な観点から見出しにくい。伝達すべき情報だけを整理して渡せば、三十分もあれば十分なはずだ。にもかかわらず拍手があり、音楽があり、人が泣いている。
なぜそれが必要なのか、答えは出なかった。
校長が演台に立ったのは、式典が始まってから四十分ほど経った頃だった。
フォート・アシュレイン学校長。
白髪で、背筋が真っ直ぐで、声がよく通る老人だった。大広間が静まり返る。それだけで場を支配できる人間だ。
「諸君の入学を、心より歓迎する」
フォート校長の声は落ち着いていた。
歓迎の言葉、学校の歴史、魔法の意義。順を追って話が進む中、ゼノはその内容を処理しながら同時にフォート校長の話し方を観察していた。
抑揚の付け方、間の取り方、視線の動かし方。聞いている人の反応を見ながら言葉を選んでいる。経験のある話し方だ。
そして、フォート校長は最後にこう言った。
「魔法とは、力ではない。意思の表れである」
大広間が静かになった。感動の静けさ、とでも言うべき種類の沈黙だった。隣の生徒が小さく息を呑む音がした。
ゼノは一瞬、その言葉を頭の中で転がした。
意志。定義が曖昧だな。
意志とは何を指すのか。目的を持った行動の傾向か、それとも感情を含む動機の総体か。魔法が意志の表れだとするなら、意志を持たない場合は魔法が使えないのか。だが魔法の発動は魔力の制御によるものであり、意志という曖昧な概念が介在する余地は——
拍手が起きた。
ゼノも少し遅れて手を合わせた。周囲に合わせることが最も目立たない行動だという判断だった。
式典の後、クラス発表があった。
名前が読み上げられ、生徒たちが一喜一憂する。同じクラスになった相手と顔を見合わせて笑う者、離れ離れになって残念そうにする者。また感情が、あちこちで動いていた。
「ゼノ・アルディス——Bクラス」
ゼノは頷いて、Bクラスの列へ歩いた。
特に感慨はなかった。AでもBでも、受けられる教育の質に大差はないはずだ。クラスの構成を把握して、最適な行動を取る。
Bクラスの列に並ぶと、周囲の生徒が少しざわついた。ゼノは前を向いたまま、何も言わなかった。
その夜。
意識が内側に落ちて、円卓の前に立っていた。
ウェントスがいつもの椅子に座って、両腕をテーブルについてこちらを見ていた。待っていたような顔だった。
「式典どうだった?」
「情報量が多かった。生徒の感情反応のバリエーションが予想より多様だった。泣く人、笑う人、固まる人。同じ状況に置かれても、反応の種類がここまで違うとは思っていなかった」
「......それ、感想じゃなくて観察報告だよね」
「何が違う」
「全部違う!」
ウェントスが身を乗り出した。
「楽しかったとか、疲れたとか、なんかそういうのないの?」
「楽しかったかどうかは判断できない。楽しいという状態が何なのか、まだ正確に把握できていないから。疲れたかどうかは——」
ゼノは少し考えた。
「情報処理の負荷は高かった。それを疲れと呼ぶなら、そうかもしれない」
ウェントスが額に手を当てた。呆れているというより、困っている顔だった。
「校長が『魔法は意志の表れ』って言ってたんだって?」
「聞いていたのか」
「ゼノが考えてたからなんとなく。どう思った?」
「定義が曖昧だ。意志が何を指すのかによって意味が変わる。感情を含むなら、俺の魔法には何かが欠けているという意味になる。ただ魔法は実際に使えている」
「ゼノ」
ウェントスが、静かな声で言った。
「難しく考えなくていいよ。意志ってたぶん、そんな複雑なもんじゃないから」
「ではどういうものだ」
ウェントスは少しの間、宙を見た。それから「今はまだ、あたしにもうまく言えない」と言った。
「でも、ゼノが自分で分かる日が来ると思う」
「曖昧な答えだ」
「そういうもんだよ」
ウェントスが足をぶらぶらさせながら笑った。
その笑い方には、何かが混じっていた。楽しさなのか、寂しさなのか、ゼノには判別できなかった。
六つの空席が、静かにそこにあった。
ゼノはしばらくそれを見てから、目を閉じた。
明日も観察することがある。それだけは確かだった。
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ではまた。




