第17話 笑顔が変わった日
変化に気づいたのは、魔法実技の授業中だった。
ガード先生が今日の課題を説明している間、ゼノは全体を把握していた。習慣的な観察だ。誰がどこにいて、どういう状態にあるか。特に意味を求めているわけではなかった。
エリナが前の方で、他の生徒と話していた。
セレンとそれからもう一人。会話の内容は距離があって聞こえなかった。ただ、その生徒がエリナに向けて何かを言い、エリナが返答した。
その時のエリナの顔を、ゼノは見ていた。
訓練場での実技が始まった。
今日の課題は二人組での連携演習だった。実戦に近い形で動く。エリナは複数の組み合わせで回復役を担った。
ゼノは自分の演習をこなしながら、エリナの動きを時々観察した。
回復魔法の精度が上がっていた。
先日の練習で指摘した複数対象への同時回復が、安定した形で出ていた。呼吸のリズムと発動のタイミングが合っている。以前と比べて回復速度のムラが減っていた。技術的な改善が実戦形式でも維持されている。
ガード先生が「エリナ、今の回復は精度が上がっているな」と言った。
周囲の生徒が振り返った。ガード先生が授業中に個別の評価を口にすることは珍しくなかったが、肯定的な評価は特に口にすることは少ない。
エリナと組んでいた生徒が「すごい、安定してる」と言った。別の方向から「さっきの複数回復、どうやったんですか」という声が来た。
称賛の言葉が続いた時、エリナの顔が変わった。
いつものように笑顔を作ろうとした、と思った。口角が上がりかけた。しかしそのまま固定されなかった。
少し照れていた。目が少し細くなったが、過剰ではない。口元が緩んでいたが、維持するための力が入っていなかった。頬に自然な熱が出ていた。
作られていなかった。
今までのエリナの笑顔と比較して、筋肉の動きが違う。口角を上げる筋肉への意識的な力がなく、目の奥と表情のずれがない。これが本来の表情か。
これが、エリナの本来の笑い方だ。
ガード先生が「次の演習に移れ」と言った。訓練場が動き始め、エリナの表情は平常に戻ったが、さっきのものとは少し違う状態だった。作られた表情が薄くなっていた。
授業が終わった後、ゼノは後片付けをして訓練場を出た。
廊下に出たところで、後ろから足音がした。
「ゼノさん、少しいいですか」
エリナだった。
「何だ」
「今日の授業で、先生に言ってもらえて。みんなにも言ってもらえて。先日教えてもらったことが、ちゃんと出せた気がしました」
「技術的な改善が定着した結果だ」
「そうなんですけど。なんか、ちょっとだけ楽になった気がします。ずっと届かないって思ってた基準が近くなった気がして」
「練習の方向性を修正した効果が出た」
「ありがとうございます」
「俺が何かをしたという認識が薄いが」
「したんですよ、ちゃんと」
きっぱりとした声だった。柔らかいが、確信がある声だ。
「訓練場で見つけてくれて、声かけてくれて、分析してくれて。あれがなかったら、今日みたいにはならなかったと思います」
「観察して、気づいた点を伝えただけだ。エリナが修正したのはエリナ自身だ」
「でも、気づかせてくれたのはゼノさんです......ゼノさんって、気づいてないだけで、すごくいろんな人を助けてますよね」
言葉が来なかった。
否定しようとした。「助けているという意識がない」という返答は正確だった。実際に意識していない。ライナスへの指導も、エリナへの分析も、合理的な判断の結果として行動した。助けようとしたわけではなかった。
気づかせてくれた。その結果として今日の授業があった。ライナスが魔法を出せるようになった。エリナの笑顔が変わった。
自分の行動が、誰かの何かを変えている。
その連鎖を、ゼノは今まで一点として処理していた。ライナスの件。エリナの件。それぞれが独立した観察データだった。だが今、エリナが「いろんな人を」と言った時、それが複数の点として繋がった。
点が、線になった瞬間があった気がした。
「返答できないのは珍しいですね」
「......処理できていない部分がある」
「どんな部分ですか?」
「エリナが言ったことの意味が、まだ分かっていない」
「分からなくていいと思います。分かることより、ゼノさんが自然にしてることの方が大事な気がするので」
エリナが「では」と言って先に行こうとした。
「一つ聞いていいか」
「何ですか?」
「今日の授業中、称賛された時の表情。普段と違った」
「そうですか?」
「作られた笑顔ではなかった。自然に出ていた」
エリナがしばらく黙った。廊下の向こうから他の生徒の声が聞こえた。
「......気づいてなかったです、自分では。でもそうだったかもしれないですね。嬉しかったので」
「嬉しい時に自然な笑顔が出るのか」
「普通そうじゃないですか?」
「エリナは普段そうでないことが多い」
「......そうですね。でも最近は少し変わってきてる気がします。ゼノさんに作ってるって言われてから、なんか無理して笑わなくていいかもって思い始めて」
「俺の指摘が影響したのか」
「そうなりますね。ゼノさんが助けてくれた、の一つでもあると思います」
エリナが行った後、ゼノは廊下に一人立っていた。
処理できなかった部分が、頭の中に残り続けていた。
ライナスの声が変わった時。エリナの笑顔が変わった時。それぞれの場面が、続けて浮かんだ。自分が何かを伝えた後に、相手の何かが変わった。その変化の記録が、今まで個別のデータとして蓄積されていたものが、一つの意味を持ち始めようとしていた。
自分が誰かの何かに貢献している。
喜び、という言葉は出てこなかった。しかし、何かが動いている気がした。
ただ確かなことが一つある。
処理できないことが増えている。そしてその処理できないことが、悪いものだという感覚ではなかった。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




