第11話 魔物学と外の世界
魔物学の教室は、他の授業と雰囲気が違った。
壁に魔物の図解が貼られている。骨格図、生態分布図、危険度の分類表。窓際の棚には標本らしきものが瓶に入って並んでいて、正体が分からないものもあった。
担当のサリ・メスカは二十代後半で、教壇に立つと「今日から魔物学を担当するサリです。最初に言っておきます。この授業は楽しいです」と言った。
「楽しいと感じてもらえるかどうかは皆さん次第ですが、わたしは毎回そう思って教えています。今日は魔物の基礎から入ります。生態、危険度の分類、そして討伐の基礎知識」
サリ先生が黒板に魔物の分類図を描き始めた。
魔物の種類は大きく分けて三つ。単独行動型、群れ行動型、知性型。それぞれに生態的な特徴があり、討伐の際には異なるアプローチが必要になる。サリ先生の説明は具体的で、実例を交えながら進んだ。生徒たちが教材に書き込む音が続いた。
群れ行動型の説明に入った時、サリ先生が図を指しながら言った。
「この種は群れで行動し、個体単独では脅威度が低い。ただし数が集まると危険度が跳ね上がります。討伐の際には——さて、どうするのが効率的でしょうか」
問いかけに、教室が少し止まった。
ゼノは図を見ていた。群れの構造、行動パターン、移動の方向性。図から読み取れる情報を処理した。
「この種は群れの統率者を排除すれば統制が崩れます」
声に出ていた。
「統率者がいなくなると個体の行動に一貫性がなくなり、散開します。散開した後は各個体の脅威度が低いため、討伐が容易になります」
教室がざわついた。
サリ先生が少し止まった。それから図をもう一度確認するように見て、ゼノを見た。
「......正解です」
教室のざわめきが大きくなった。
「ただ実戦では簡単ではありませんが。統率者は群れの中心にいることが多く、外縁から近づこうとすると先に個体群と交戦することになる。正解だけれど、それをどう実行するかが問題です」
「外縁との交戦を囮で引き受けながら別動隊が中心を突く、という構成が考えられます」
サリがゼノを見る時間が少し長くなった。
「......それも正しい。後半の授業でその戦術について扱います」
隣でレオンが「お前、魔物と戦ったことあるの?」と小声で聞いてきた。
「ない。論理的に考えれば導ける」
「論理で導くのか......」
レオンが何かを言いかけて、やめた。感心しているのか、引いているのか、どちらとも判断できない顔だった。
授業が終わると、サリ先生が「ゼノ君、少しいいですか」と声をかけてきた。
他の生徒が出て行く中で、ゼノは教壇の前に立った。
「さっきの分析、教科書に載っていることじゃないですね」
「図から読み取りました」
「独学で魔物の生態を?」
「図書室にある文献を読みました。ただ実戦経験はないです。座学上の知識です」
サリ先生が少し笑った。怒っているわけでも驚いているわけでもなく、興味を持った時の顔だとゼノは判断した。
「実戦とのギャップはあります。でも、知識として持っていることは強みです。これからの授業でそのギャップを埋めていきましょう」
「授業の内容に期待しています」
「ありがとう。感情のない言葉だけど、なんか嬉しいですね」
放課後、図書室に向かった。
今日の授業で扱われた群れ行動型魔物の生態について、教科書以上の情報が必要だと判断した。図書室の魔物関連棚を確認すると、授業で使う教材より詳細な生態書が数冊あった。一番情報量が多そうなものを選んで、窓際の席に座った。
群れ行動型の中でも統率型と分散型に分類があること、統率者の識別方法、統率者が排除された後の群れの挙動の変化。授業で得た知識を補完する情報が揃っていた。
しばらくして、隣に人が来た。
椅子が引かれる音。座る気配。ゼノは視線だけで確認した。
エリナだった。ただゼノの読んでいる生態書とは別の、一般的な魔法理論書だった。
「魔物学、興味あるんですか?」
「情報収集だ」
「そうですか」
エリナが自分の本に視線を落とした。
それから少し間があって「......一緒に読んでいいですか」と言った。
一緒に読む、という行為の定義が曖昧だった。同じ空間にいながらそれぞれ別の本を読むのか、同じ本を読むのか。前者なら特に支障はない。後者なら情報処理の速度に影響する可能性がある。
「構わない」
前者という前提で答えた。
エリナが「ありがとうございます」と言って、自分の本を開いた。
二人で並んで読んだ。
会話はなかった。ページをめくる音と、遠くから聞こえる他の生徒の足音だけがあった。窓から差し込む光が、テーブルの上でゆっくりと角度を変えていった。
知性型魔物の章に入った。知性型は群れを作らないが、単独での問題解決能力が高い。罠を認識する、人間の行動パターンを学習する、魔法に対して適応的な回避行動を取る。数は少ないが、遭遇した場合の危険度は最も高い分類だ。
エリナがページをめくる音がした。
読むペースが違う。エリナの方が遅い。それは単純な読解速度の差かもしれないが、内容を丁寧に処理しているからかもしれない。
そのまま、しばらくの時間が過ぎた。
外の光が橙色に変わり始めた頃、エリナが小さく呟いた。
「こういう時間、好きです」
独り言のような声だった。ゼノに向けて言ったのか、自分に言ったのか、判別できなかった。
「好きの定義を——」
「もう、そういうとこです!」
エリナが笑いながら言った。
今度の声は独り言ではなかった。ゼノに向けていた。笑い声が図書室の中で少し響いて、近くにいた別の生徒がちらりとこちらを見た。エリナが「すみません」と小声で謝った。
笑っていた。声を上げて笑った後の、少し残った笑いだった。目が細くなっていて、作られた笑顔ではなかった。ゼノの返答に対してツッコむ形で笑いが出た。
それを引き起こしたのが自分の発言だということが、少し頭に引っかかった。
「好きの定義が何かを確認しようとしていた。おかしいか?」
「おかしくはないですけど。そういう言葉に定義を求めない方がいいこともあるって言いたくて」
「定義なしに使う言葉は精度が下がる」
「でも、精度が下がっても伝わることがありますよ」
「......伝わる、というのはどういう状態を指しているのか」
「もう!」
エリナがまた笑った。今度は声を抑えた小さな笑いだったが、本物だった。
「ゼノさんと話してると、いつもそうなる」
「いつもそうなる、とは」
「なんか、ぐるぐるするんです。でも嫌じゃないんですよね、不思議と」
エリナが少し首を傾けて言った。自分でも少し意外そうな顔だった。
嫌じゃない、という評価。ぐるぐるする、という表現は、処理が循環して結論が出ない状態を指しているらしい。それが嫌ではない、とエリナは言っている。なぜそういう状態が嫌ではないのか。
「なぜ嫌ではないのか」
「さあ、分からないですけど、そうなんですよね」
ゼノには理解しにくい構造だったが、エリナはそれで十分そうだった。
二人はまた本に向かった。外の光がさらに傾いた。
図書室が閉まる時間になってエリナが「また来てもいいですか、ここ」と聞いた。
「図書室は誰でも使える」
「そういう意味じゃなくて、ゼノさんと一緒に、ってことです」
「......構わない」
エリナが「ありがとうございます」と言って本を返しに行った。
ゼノはその背中を見てから、生態書を棚に戻した。
今日、エリナが笑いながらツッコんだ。それがゼノの発言に対する反応だった。どういう意味があるのかは、まだ分からなかった。
ただその笑い方は、今まで見てきた中でまた少し、自然に近かった。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




