第112話 エリナへの言葉
最終話まであと2話!
明日から20時の一本投稿にします!
翌日の朝。
ゼノが食堂で一人で地図を見ていると、エリナが来た。
「ゼノさん、今日の予定は?」
「特に決まっていない」
「じゃあ、散歩に行きませんか? 街の外れに川があって」
「川か」
「はい。昨日セレンさんが行ってたって聞いたので、私も行きたくて。ゼノさんも来ませんか」
「行く」
街の外れに向かった。朝だったが、人が出ていた。市場が動き始め、食べ物の匂いがした。
二人で並んで歩いた。どちらも話さなかった。それが不快ではなかった。並んで歩いていることが、それだけで何かがあった。
川に着いた。
昨日のセレンがいた場所だった。朝の光が水面に当たっていた。しばらく二人で川を見ていた。
「ゼノさん」
「何だ」
「昨日はよく眠れましたか?」
「眠れた。色々と落ち着いた」
「そうですか。よかったです」
「……昨日、笑った」
エリナが振り返った。
「え?」
「初めて、笑えた気がした」
「笑ったんですか」
「今まで口角が上がることはあった。ただ、来たから出たのは昨日が初めてだった気がする」
「そうなんですね……見たかったです」
声が残念だという声だった。
「見たかったのか」
「はい。ゼノさんの笑顔、見たかったです」
「見せる機会はある」
「え?」
「これからもある。昨日来たなら、また来る可能性がある」
「これから、もっと見せてもらえますか?」
「……努力する」
「努力するって言い方が、ゼノさんらしいですね」
「約束する、と言うと確定になる。来るかどうかが俺の意志で制御できない場合は、努力する、が正確だ」
「そうですね。でも、努力してくれるなら十分です」
「来た時には、エリナに見せる」
「ありがとうございます」
川の音があった。
二人で並んで川を見た。
「ゼノさんって、最初は怖かったんですよ。本当に」
「この前も聞いた」
「また言いたくなったので。聞いてもらえますか?」
「ああ」
「感情がなくて、何を考えているかわからなくて。最初に話しかけた時、無表情で、短い返答しか来なくて。怖いというより、どう接したらいいかわかりませんでした」
「以前も似たことを聞いた」
「はい。でも今日言いたいことが少し違うんです」
「……続けてくれ」
「怖かったけど、一番正直な人だって気づいてから、変わったんです」
「気づいた時期はいつだ」
「最初の頃ですよ。ペアの練習で一緒になって、腕の角度を直接指摘してくれた時。嘘をつかない人だって思って。それから、そばにいたいって思い始めました」
「嘘をつかないことが、そばにいたい理由になったのか」
「なりました。一番正直な人のそばにいると、私も正直でいられる気がして。作った笑顔をしなくていい、って思えて」
「俺がいることで、エリナが自分でいられた」
「そうです。一番そばにいたくなりました。学園の頃から、旅の間も、今も」
「今も変わらないのか」
「変わらないです」
「理由が増えたか、それとも最初の理由が続いているのか」
「両方です。最初の理由が続きながら、旅の中で理由が増えました」
「どんな理由が増えたんだ」
「ゼノさんが変わっていく様子を見てきたから。少しずつ感情が来ているのを見てきたから。昨日、笑ったと言ってくれたから」
「増え続けているのか」
「増え続けています。これからも増えると思います」
「俺は——エリナが笑う顔を、最初は観察対象として見ていた」
「知っています。観察してくれていたんですよね?」
「そうだ。感情を現象として観察できる相手だと思っていた。笑顔の種類が多く、変化が読みやすかった」
「今は?」
「今は——」
ゼノは少し止まった。
観察対象だった。その頃の自分がいた。エリナの笑顔を見て、データを取っていた。今はどうか。
「……見るたびに、何かが増える」
「何かが増える……」
「言語化が追いつかない。エリナが笑う顔を見た時に来るものが、増えている。どんな増え方をしているのかが、まだ正確に言えない」
エリナが笑った。
「それで十分です」
「十分か」
「はい。言語化できなくても、何かが増えているってわかる。それが嬉しいです」
「十分なのか」
「十分ですよ。ゼノさんが何かが増えると言ってくれるなら、それが全部です」
「全部か。」
「全部です」
「……エリナが笑うと、俺も——何かが来る気がする」
「何かが来る、ですか」
「ああ。エリナが笑った時に来るものが、他の場面で来るものと違う気がする。どう違うかがまだわからない」
「それってどんな感じですか?」
「……悪くない、という言葉では足りない」
「足りない、ですか」
「悪くないの外側に何かがある。以前から感じていた。その外側が何かを、まだ正確に言えない」
「言えそうですか? いつか」
「わからない。ただ、言えるようになっていく気がする。言語化できることが増えてきた。この感覚も、いつか言語化できるかもしれない」
「見つかったら、教えてください」
「ああ」
「また約束しましたね」
「そうだな」
「ゼノさんって、約束を守る人だから。楽しみにしています」
「楽しみにする、という感覚がどういうものかはまだわかっていない。だが、俺も——何かを待っている感覚がある。言葉が来るのを待っている感覚が」
「一緒に待ちましょう」
「一緒に待つ、か」
「はい。私が待って、ゼノさんも言葉を探す。それが一緒に待つということだと思います」
「……そうだな」
川の音が続いていた。水が流れていた。朝の光が上がっていた。
「ゼノさん」
「何だ」
「今日、来ていますか。何か」
「来ている」
「どんな何かですか?」
「整理できていない。悪くない、では足りない何かが来ている。川の音があって、エリナがそばにいて、来ている」
「それが何か、いつかわかりますよね」
「わかるかもしれない。まだわからない」
「わからなくていいですよ、今は。来ているなら、それで十分です。今日のところは」
「今日のところは、か」
「明日はまた増えるかもしれないからです」
「増えるかもしれないのか」
「増えると思います。ゼノさんは毎日少しずつ変わってきたから。明日も変わると思います」
「……エリナ」
「はい」
「昨日、笑えた。今日、言語化できない何かがある。この二日で来たことが、以前より多い」
「そうですね」
「旅の終わりに近いから来ているのか、終わったから来ているのかわからない」
「どちらでもいいと思います。来ていることが大事ですから」
「来ていることが大事か」
「はい。来ている間に言葉を探せばいい。急がなくていいですよ」
「急がないことを、覚えてきた」
「覚えてきましたね。旅の最初の頃は、すぐに答えを出そうとしていたから。今は待てるようになった」
「エリナに言われることで確認できる変化がある。外から見える方が正確だと、旅の途中で確認した」
「今もそうですよ。私から見えるゼノさんの変化が、たくさんあります」
「全部教えてくれるか。これらも」
「教えます。これからも」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
その笑顔が来た。悪くない、という言葉では足りない何かが、また来た。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




