第105話 最終決戦・終幕
魔王の魔法が止まっていた。
その隙間に、後方が動いた。
「今だ!」
レオンの声と同時に、討伐隊が動いた。
城内の複数の方向から、同時に魔法が来た。レオンが火属性の最大出力を解放した。ライナスが速度を使って眷属の統率を乱した。セレンが広範囲の水属性を展開して、魔王の魔力の流れを外側から制限した。
エリナが全員に最後の回復魔法をかけた。魔力が底をつきかけていたが、残っているものを全部使った。
全員が動いていた。
城全体を覆っていた結界が、内側からと外側からの同時攻撃で、乱れ始めた。
城が揺れた。石の壁が震え、天井から大きな破片が落ちた。
魔王は瞬時に、結界の維持に意識を向けた。
その瞬間、ゼノが動いた。
六属性すべてを解放した。
魔王の核心部に向かった。
魔力の密度が最も高い場所だった。感知で確認していた場所だ。そこに六属性を同時に向け、全力の魔法を放った。
魔王が体勢を崩した。
一度も体勢を崩したことがなかったかもしれなかった。今日初めて、崩れた。
ゼノは攻撃の続きを出そうとして、止まった。
魔王が倒れていなかった。膝をついていたが、崩れていなかった。
ゼノは攻撃を止めた。
「俺もここまでのようだな……最後にお前と話せてよかったと思う」
魔王が膝をついたまま言った。声が来た。今日の最初の声とは違う声だった。何かが混じっていた。
「最後に聞く。なぜ、お前は俺を倒す前に話しかけてきた」
「最初に行ったように、倒すことが目的ではなかったからだ」
「では何が目的だ」
「……お前に、もう一度感じてほしかった。何かを」
「もう一度感じてほしかった、か」
「そうだ」
「なぜ俺がそれを望む。俺はお前の敵だ。討伐の対象だ。なぜ敵に感じてほしかった」
「お前は、俺がなりえた姿だ」
魔王が動かなかった。
「同じ出発点から来た。大切な人が傷ついた。感情を封じた。だが、俺には仲間がいた。お前には誰もいなかった。その違いが、今日の俺とお前の違いを作った。状況が違えば、俺がお前になっていた可能性がある」
「……そう思うのか」
「そう思っている」
「だから——お前には、俺を倒すだけでは終われないということか」
ゼノは言った。
「ああ」
「倒すことで、この戦いは終わる。俺の力がなくなれば、魔物の統率が消える。討伐の目的は達成される。それだけでいいはずだ」
「それだけでいい、とは思えなかった」
「なぜだ」
「お前が悲しかったということが、わかったから。それだけで終わらせることが、俺にはできなかった」
城がまた揺れた。
結界の崩壊が続いていた。魔王の核心部へのダメージが広がっていた。城の構造が限界に近づいていた。
「城が崩れる前に終わらせる必要がある」
「そうだな」
「一つだけ聞いていいか」
「……何だ」
「もう一度感じることが、お前にできるか。今日、何か来たか」
魔王が少し間を置いた。
「……来た」
「何が来たのか」
「まだ名前をつけられない。お前が俺の悲しみの話をした時に来た。それが何かは、まだわからない」
「わからなくていい。来たことが、わかったから」
「来たことが、証明になるのか」
「なる。感情を完全に捨てた存在に、来るものはない。来たということは、完全には捨てていなかったということだ」
「……完全には、捨てていなかった」
「壁に刻んでいた。来たものがあった。どちらも同じことを示している」
「なぜ俺はお前に話しただろうな」
「どういう意味か」
「お前に問いかけ続けた。答えた。話した。なぜそうしたのかが、今はわかる気がする」
「何かわかったのか」
「誰かに話したかったのかもしれない。ずっと一人だった。話す相手がいなかった。お前が来た時、六属性の存在が現れた時、何かを話せる相手が来たと感じたのかもしれない」
「それも感情の一部だ」
「……そうかもしれないな。ゼノ・アルディス」
「何だ」
「お前は変な奴だったな」
ゼノは少し止まった。
「変な奴、か」
「敵に感じてほしかった、などという目的を持って来る者は、いない。討伐に来た者が、討伐の前に話し続ける。戦いながら対話しようとする」
「変だと思うか」
「思う。だが——否定しない」
「否定しないのか」
「今日来たものが、お前の変さから来た部分がある。変でなければ、俺にここまで話しかけなかった」
「そうかもしれない」
「否定しない理由が、それだ」
「……よく言われる」
「何を」
「変な奴だと。学園に入った時から言われてきた。旅に出てからも言われた」
「慣れているのか」
「慣れている。ただ、否定されなかったのは今日が初めてかもしれない」
「否定する理由がないから、しなかっただけだ」
「それでいい」
「……城が崩れる。時間がない」
「そうだな」
「最後に一つだけ」
「何だ」
「その人たちに、会いたいか。大切だった人たちに」
長い沈黙があった。
城が揺れ、後方でレオンが「ゼノ、急げ!」と言った。
「……わからない」
「わからないか」
「会えるかどうかも、わからない。ただ——」
「ただ?」
「……悲しめるなら、会えた証明になる、とお前が言っていた」
「ああ」
「悲しみは大切だったことの証明だとお前が言った。大切だったなら、そこにいた証明になる」
「そうだ」
「……お前の言葉を使わせてもらったぞ」
「俺の言葉でも、お前が言えたなら、それは本物だ」
「……」
「ようやく、行けるな」
「どこへ」
「その人たちのそばに。いつかどこかで。俺にはわからないが、行ける気がする」
「根拠は」
「ない。ただし、そう思う。感覚だ」
魔王が少し動いた。
立とうとしていた。崩れていた体勢を、立て直そうとしていた。
「俺は、どうなるだろうな」
「城が崩れる前に、終わらせる必要がある」
「俺を倒すのか」
「討伐隊が来ている。結界が崩れた。止める方法がない」
「そうか」
「俺には止められない。ただ――今日話せたことは本物だった」
魔王が立った。
ゆっくりと立った。体勢が戻っていた。
「やはり、変な奴だな」
「そうだな」
「今日、俺はお前と話した」
「そうだ」
「それが何かは、まだわからない。ただし——悪くなかった」
ゼノは少し止まった。
「悪くなかった、か」
「お前がよく使う言葉だろう」
「最上の評価だ」
「最上か」
「俺にとっては」
「……そうか」
城が大きく揺れた。
天井から石が落ちた。
「行け」
「何だ」
「全員を連れて行け。お前の仲間を、連れて脱出しろ」
「お前は」
「俺は——ここで終わる。それが、今日の答えだ」
「……」
「変な奴。最後まで変だった」
「よく言われる」
「……ゼノ・アルディス」
「何だ」
「ありがとう――」
魔王からの感謝。
ゼノはそのまま受け取った。
「……俺もだ」
魔王がゆっくりと、散っていった。
魔力が消えていく中で、その表情に最後に何かが来ていた。
空虚でも怒りでもなかった。
悲しみだった。悲しみが、最後の表情に来ていた。
それが戻ってきたものだった。捨てても残っていたものが、最後に来た。
そして完全に、消えた。
広間が静かになり、城の崩壊の音だけがあった。
ゼノは立っていた。
魔王がいた場所を見ていた。
まるでそこには何もなかった場所を見ていた。
ゼノは言語化しようとしたものを、止めた。
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ではまた。




