第104話 魔王の崩壊
戦闘が続いていたが、魔王の魔法が変わっていた。
技術も精度は変わらなかった。ただ、安定していた流れが揺れていた。
どこから来ているかを、ゼノは感知し続けていた。
揺れが大きくなっていた。
「魔法が不安定になっている」
「……問題ない」
「問題ない、と言えるのか」
「俺の制御の範囲だ」
「制御しようとしている、ということは制御が必要な状態になっているということだ」
魔王が答えなかった。
「俺は、感情を捨てた。完全に」
「捨てた、という確信があるのか」
「ある。捨てた時のことを覚えている。意志を持って、捨てた」
「意志を持って、捨てたのか」
「そうだ」
「捨てたつもりで、封じていたのではないか」
「……封じていた、とはどういう意味だ」
「俺は感情を封じた。封じることと捨てることは違う。封じた感情は、消えていなかった。ずっとそこにあったから取り戻せた」
「……俺は、捨てた」
「そうか。だが——」
「……」
「捨てた者が、壁に名前を刻むのか」
魔王の魔法が、一瞬止まった。
攻撃が来なかった。防御も来なかった。
その隙間に、魔王の顔がゆっくりと変わった。
怒りではなかった。空虚でもなかった。今まで何度か来た、目の奥の揺れでもなかった。
何か別のものが来ていた。名前がつかなかった。確かに来ていた。
ゼノは攻撃しなかった。
「……俺はただ——」
また止まった。
言葉にしていなかったものが、出てこなかった。出そうとして、形にならなかった。感情を捨てた後の時間が長すぎた。言葉にする回路が、機能しなかった。
「……言わなくていい。俺にはわかる」
「何が」
「お前は悲しかったんだ。ただ、それだけだ」
魔王が動けなくなった。それと同時に魔法も止まった。
六属性の展開が、溶けていくように消えた。
広間が静かになった。
ゼノも深淵解放を維持したまま、攻撃を止めていた。
後方でレオンが「何が起きた?」と言った。
誰も答えなかった。
「悲しかった、か」
魔王が繰り返した。
声が変わっていた。今まで聞いたことのない声だった。
「ただ、それだけだった、のか」
「そうだと思っている。大切な人が死んだ。悲しかった。その悲しみが大きすぎて、受け取れなかった。受け取れないから、捨てた。感情を捨てれば悲しまなくて済むと思った」
「そうだ。悲しみたくなかった」
「悲しみたくなかった、ということは悲しみがあったということだ。来ていたものがあったから、来てほしくなかった」
「……来ていた。受け取れなかった。受け取ったら、壊れると思った」
「俺も同じことを考えていた。受け取ったら壊れると思った。だから封じた」
「壊れなかったのか」
「壊れなかった。崩れる感覚は来ていた。ただ、立っていた」
「……俺は」
「お前も、壊れなかっただろう」
「……壊れることを、恐れていたのかもしれない」
「恐れていたのか」
「……恐怖、か。感情を捨てた後も、それだけは残っていたのかもしれない。壊れることへの恐怖が」
「それが、捨てることを続けさせた」
「そうかもしれない。壊れることが怖かった。だから捨て続けた。捨て続けることで、壊れないようにしてきた」
「……恐怖を知っている人間が、一番粘れる。失いたくないものがある人間が、一番続けられる。お前も粘り続けてきた。壊れたくないという恐怖が続けさせた」
「……粘り続けた」
「そうだ」
「……ゼノ・アルディス」
魔王が名前を呼んだ。
初めてだった。
「何だ」
「俺は、何のために今日まで動いてきたのだろうか」
確認でも否定でもなかった。本当に問いかけていた。
「復讐のためだと言っていた」
「そうだ。最初は、そうだった」
「今も、そうか」
「……わからなくなった」
「今日、初めてわからなくなったのか」
「今日が初めてではないかもしれない。だが、今日初めて言葉にした」
「言葉にしたことで、変わったことがあるか」
「……ある」
「何が変わったんだ」
「俺が何のために動いてきたかが、わからなくなった。復讐が終わらないと言った。人間がいる限り終わらないと言った。だが、それは復讐ではないとお前が言った」
「ああ」
「お前が正しいかもしれない……大切な人が死んで、悲しかった。悲しみを捨てた。復讐のために動き続けた」
「その長い時間の中で、誰かがそばにいたか」
「いなかった。ずっと一人だった」
「一人で動き続けたのか」
「そうだ」
「……そうか」
ゼノは少し間を置いた。
「俺には、仲間がいた。一人ではなかった。感情を取り戻す機会が来た。お前には機会がなかった。それだけの違いだったかもしれない」
「機会があれば、俺も変わっていたのだろうか」
「わからない。可能性はあった」
「……可能性があったか」
「そうだ」
「それが——それが、今でも可能性があるのか」
「お前が決めることだ」
「俺が決めることか」
「そうだ。俺に決められない」
「……」
「今日一つわかったことがある」
「何だ」
「お前は悲しかった。それだけだ。大切な人が死んで、悲しかった。それが全部の出発点だった。悲しかった人間が、悲しみを捨てて、動き続けた。それが今のお前だ」
魔王が動かなかった。
広間が静かだった。
魔法の音が消えていた。
後方でエリナが息をしている音がした。レオンが何かを言いかけて、止まった。
「……悲しかった」
魔王が言った。
「ただ、それだけだった」
「そうだ」
「それだけのことが——」
「それだけのことが、全部を変えた。そしてここまで来た」
「……」
「それが人間だと思っている。悲しみ一つが、全部を変える」
「俺は人間ではなくなったと思っていた。感情を捨てた時に」
「今日、悲しかったと言えた。人間ではなくなった存在が、悲しかったと言えるのか」
魔王が何も言わなかった。
答えが来なかった。来ないことが、答えだった。
広間が静かだった。
それが何かを、魔王はまだ言葉にできなかった。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
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ではまた。




