第101話 六人の言葉
ノクスに声をかけた瞬間、意識が円卓に向かった。
全員がいた。七つの椅子すべてに、人格が座っていた。
緑のウェントス。赤のイグニス。茶色のテラ。金色のルミナ。水色のアクア。黒のノクス。そして、ゼノの席。
全員が揃ったのは、初めてだった。
七つの椅子。七つの光。それぞれが違う色で、それぞれが違う質で、それぞれがそこにいた。
「全員いる」
「初めてだね、全員揃ったのは」
ウェントスが言った。静かな声だった。いつものはしゃいだ声ではなかった。
「ねえゼノ」
ノクスが話しかけてきた。
「今、何が怖い?」
「……エリナが死ぬかもしれない。それが——」
「リアルに感じてる? 想像じゃなくて」
リアルに感じているか。
戦闘が続いている中、エリナが回復魔法を使い続けていた。魔力が底をつきかけていた。
エリナや他のみんなが死ぬ可能性が、今の状況に存在していた。
それが頭の中にあった。可能性として計算しているのではなかった。
「……ああ。初めて、リアルに感じている」
「それだよ」
「それが何だ」
「失うかもしれないって、初めてリアルに感じた瞬間。計算で出した確率じゃなくて、胸の中で実感した時。それが恐怖だよ」
「今まで来ていたものとは違うのか」
「違う。今まで怖いかもしれない、端っこが来てるって言ってたでしょ。今日は違う。もう確信があるでしょ」
「……ある」
「それがボクが来た理由だよ」
確かに、魔王と対峙して初めて恐怖というものを感じたと思う。
「恐怖はね、大切なものができた証拠だよ。怖いってことは、失いたくないってことだから。失いたくないものがある人間が怖いと感じる。失いたくないものがない人間は、怖くない。怖いことと、大切なものがあることは同じことだよ」
「……愛情と恐怖が繋がっているのか」
「繋がってる。ルミナが来た後にボクが来る。大切なものができてから、失う怖さが来る。順序があるんだよ」
「……ノクスが一番強い人格だと聞いていた」
「そうだよ。なんでかわかる?」
「……わからない」
「恐怖を知ってる人間が、一番強いんだよ」
「どういう意味だ」
「失いたくないものがある人間が、一番粘れる。諦めない。どんな状況でも、失いたくないものがある限り、もう一歩動ける。恐怖は弱さじゃなくて、粘り強さの源だよ」
「恐怖があるから、諦めない」
「そうだよ。怖いから止まるんじゃなくて、怖いから動き続ける。失いたくないから、失わないために全力を出す。それが恐怖の力だよ」
「六人の人格の中で、最後に来た」
「そうだよ」
「最後に来た理由がわかった気がする」
「なんで?」
「他の全部が揃ってから来なければ、俺には受け取れなかったからかもしれない。喜びがあった。怒りがあった。信頼があった。愛情があった。悲しみがあった。それが全部来てから、恐怖が来た。大切なものが全部揃ってから、失う怖さが来た」
「そうだね。理解してくれたね」
「理解したかどうかは確認中だ。ただ、そう感じた」
「それで十分だよ」
全員がゼノを見ていた。
七つの椅子に七人がいた。
ウェントスが口を開いた。
「ゼノ」
「何だ」
「行ってきて」
声が静かだった。いつもの声と違った。長い時間一緒にいた人間の声だった。
「最初から一緒にいた。ゼノが感情を封じる前から、ずっとそこにいた。今日まで来たよ。行ってきて」
「……ああ」
「行けよ」
イグニスが言った。
横を向いていた。ただし、声は確かにゼノに向いていた。
「お前が守りたいものがあるだろ。守ってこい。それだけだ」
「……ああ」
「あなたなら大丈夫ですよ」
テラが言った。
「また言うのか」
「これからも言います。あなたなら大丈夫。証拠はないです。でも、ずっとそう思ってきました。今も同じです」
「……受け取った」
「ありがとうございます」
「大切な人がいるでしょ」
ルミナが言った。
「いる」
「その人を、守って。理由はそれだけでいいわ。守りたいから守る。愛情から動いていい。それが力になるから」
「証明してきた」
「してきたわね。今日まで。最後まで、してきて」
「……ああ」
「悲しみたくなければ、守って」
アクアが言った。
静かな声だった。水色の瞳が穏やかだった。
「悲しみたくなければ、か」
「失ったら悲しい。悲しみたくなければ、守ること。それが悲しみを持つわたしからの言葉です」
「悲しみが動機になるのか」
「なります。失いたくないという感覚と、悲しみは繋がっています。悲しんだ経験があるから、もう悲しみたくないという力が来る。それがゼノさんを動かす」
「……わかった」
「——全部、持っていって」
最後にノクスが言った。
「全部、か」
「そうだよ。喜びも怒りも信頼も愛情も悲しみも恐怖も。全部持っていって。どれか一つじゃなくて、全部。全部あるから、全部使える」
「全部持てるか」
「持てるよ。今日まで来たんだから。だから全部持てる」
「……わかった」
「ゼノ」
「何だ」
「ボクが来たってことは、準備ができたってことだよ。覚醒が来るかどうかは、まだわからない。でも、準備は来た。あとはゼノが動くだけだよ」
「……ああ」
「行ってきなよ」
円卓から意識が戻った。
魔王が動き始めていた。眷属の再配置が終わっていた。
後方でレオンが「ゼノ、来るぞ!」と言った。
「エリナ」
「はい」
「エリナが死ぬかもしれない、という感覚が来た。それが怖かった」
「ゼノさん……」
「怖いと言える。今日、言えるようになった」
「……聞かせてくれてありがとうございます」
「礼を言われる理由があるか」
「あります。ゼノさんが怖いと言ってくれるのが、嬉しいから」
「怖いことが、なぜ嬉しいんだ」
「怖いと感じてくれるということが、大切に思ってくれているということだからです」
「……行ってくる」
「はい」
「後ろを頼む」
「任せてください」
「全員が帰る。条件は変わらない」
「はい」
ゼノは前を向いた。
七つの椅子が全員で埋まった。
喜び。怒り。信頼。愛情。悲しみ。恐怖。
全部ある。全部持って、動く。
エリナが後ろにいた。
失いたくない、という感覚を来たままにした。
それが力になる、とノクスが言った。
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