第99話 魔王の亀裂
戦闘が再開し、先に魔王が動いた。
魔王の六属性が解放された。規模が大きく、広間全体に魔力が広がった。
ゼノは蒼海抱擁の感知を最大限に使った。魔力の流れが見て、どこから何がくるか、全部が把握しようとしていた。
魔王が水属性と風属性の複合魔法を放った。速度が今までのよりも一段階上がっていた。
ゼノが受け流した。流れを読んで、カウンターで返した。
魔王はカウンターにも対応した。
完全に互角ではなかった。魔王の出力は高かった。ただ、受け流しで耐えられていた。
「水属性の魔法が変わったな」
「覚醒した」
「覚醒……感情から来たのか」
「悲しみから来た。大切だったものを思い出した」
「悲しみが力になるのか……」
「俺の場合はそうだった」
ゼノは魔王の魔法の流れを見続けていた。流れの全部が把握できていた。
その中で、気づいたことがあった。
魔王の魔力に、一定のパターンがあった。
怒りがあった。
感情を捨てた存在の魔法に、怒りが混じっていた。意識的に混じっているのではなかった。捨てたはずの感情の欠片が、魔法の構成に入り込んでいた。
「お前の魔法に、何かが混じっている」
ゼノは攻防を続けながら言った。
「何が」
「……怒りだ」
「俺に感情はない」
「意識の上では捨てた。ただ、魔法の流れに混じっている。復讐の怒りだけで構成されている部分がある」
「黙れ」
初めて、魔王から感情的な言葉が来た。
声のトーンは変わらなかった。しかし言葉の内容が変わっていた。今まで魔王は、確認する言葉か、否定する言葉を使っていた。黙れという言葉は、そのどちらでもなかった。
「感情的な言葉が来た」
「……」
「黙れ、という言葉は感情から来る言葉だ。論理的な制止なら、その話題は不要だ、という言い方になる。黙れという言葉には、止めたいという感情が入っている」
「分析するな」
「また感情的な言葉だ」
魔王の攻撃が来たが、先ほどより強かった。
今度は完全には受け流しきれなかった。
「怒りが出ると出力が上がる。怒りを刺激すると、魔法の出力が一時的に上がる。それが証拠だ。怒りが混じっていることの」
「……黙れ」
「二度目だ」
「俺も怒りを覚醒させた時、わかった」
「何をわかった」
「怒りは燃料になる。出力が上がる。守りたい時に、怒りが来ると力が出る。だが——」
「だが?」
「怒りだけでは燃料切れになる。怒りは激しいが、持続しない。怒りだけで動き続けると、消耗が来る。怒りの先に何かが必要だ」
「何が必要だ」
今日の対話の中で、魔王が質問してきた場面はいくつかあった。ただ、この質問は違った。確認ではなかった。知りたい、という質問だった。
「守りたいものだ」
「……俺の守りたいものは、死んだ」
声に変化がなかった。しかし、その言葉の内容が違った。
今まで魔王が自分から言ってきた言葉の中で、最も直接的な言葉だった。記録を読んだわけではなく、問いに答えたわけでもなく、自分から言った。
「知っている。だから、俺に聞いてほしい」
「何をだ」
「俺も同じだった。大切な人が傷ついた。自分のせいだと思った。感情があったから間違えたと思った。だから感情を封じた」
「……それを聞いて、どうする」
「聞いてほしいだけだ。俺がそこから変わってきたことを知ってほしい」
「お前と俺は違う」
「違う部分もあるが、同じ部分もある」
「何が同じだ」
「出発点だ。大切なものが傷ついた。感情を封じた。その順序が同じだ」
「何が違う」
「俺には、仲間がいた。感情を封じた後で、仲間ができた。感情を取り戻す機会が来た。お前には、その機会がなかった」
「機会がなかったか……」
「そうだと思っている。違うか」
「……」
魔王が答えなかった。
「大切なものが死んだ後、一人だったのか」
「……全員死んだ。俺の周りに、残っていた者はいなかった」
「そうか」
「だから一人で動いた。一人で復讐を遂行した。感情は不要だった。一人で動くのに、感情は邪魔だったからだ」
「一人だったから、感情を捨てることを選んだということか」
「そうだ」
「俺は一人ではなかった。だから感情を取り戻す機会があった。その違いだ」
「その違いが、今のお前と俺の違いになっているということか」
「一つの要因としては、そうだと思っている」
「……では、俺はそもそも変わることができなかったのか」
そうだ、という答えを出すことはしなかった。
「変わる機会が来なかった。今まで来なかった。ただ——」
「今は来ているということか」
「お前が判断することだ。俺が決めることではない。俺は話している。聞くかどうかはお前が決める」
「なぜ話す。俺を倒すことが目的なら、話す必要はないはずだ」
「倒すことだけが目的ではない」
「それは前にも言った」
「そうだ。繰り返す。倒すことだけが目的ではない」
「何が目的だ」
「まだ全部言語化できていない。だが、一つは確かだ」
「何だ」
「お前が悲しんでいることを、俺は知っている。悲しみを司る力を今日覚醒させた。その力で確認できる。お前の魔法の流れに、怒りの下に別の何かがある」
「別の何か」
「まだ名前をつけられない。怒りではない。復讐でもない。それが何かは、お前自身が一番知っているはずだ」
魔王が動かなかった。
長い沈黙だった。
後方でレオンが言った。
「なんか、止まってるな」
「止まってます」
「ゼノさんが何か話してますね」
「本当に対話してるんだな」
「ゼノさんが最初から言ってましたよね。倒すことだけが目的じゃないって」
「証明してるよな。今も。感情があるから、相手を見ながら動ける。戦いながら話ができる。それが感情を持つ強さってことか」
魔王がゼノを見ていた。
「お前は、俺を変えようとしているのか」
「変えようとしているわけではない。ただ、俺が今日来たものを、話している。大切だったものを思い出した。悲しみが来た。それが力になった。それを話している」
「なぜそれを俺に話す」
「お前も同じ出発点だったから。同じ場所から来たなら、俺が来たものを、お前も受け取れる可能性があると思うから」
「……可能性があると思う、か」
「確信はない。ただし、可能性は否定できない」
「亀裂が来ていると思うか」
奇妙な問いだった。
「何への亀裂だ」
「俺が捨てたものへの」
「……来ていると思う」
「根拠は」
「感情的な言葉が二度来た。守りたいものは死んだ、と自分から言った。答えるべきではないことに答えてきた。それが亀裂だ」
「……」
「亀裂が来ていることを、お前自身が感じているから、今の問いが来た」
魔王が何も言わなかった。
それが、今までで最も長い沈黙だった。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
次の更新をお楽しみに!
ではまた。




