表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/14

第5話 「消された少年」


駅前を離れても、ユウは何度も振り返った。もう空白は見えない。人混みの奥に紛れて、ただの何もない場所に戻っている。


だが、あそこにはいた。


崩れたホームの奥に立つ少年。灰色の景色。無数の人影。そして、亀裂の奥で動いた黒い何か。


全部が幻だったとは思えなかった。


「やっと見えるようになったんだ」


あの声だけが、やけにはっきり残っている。




――翌日の放課後

ユウはまた駅前にいた。


来るつもりはなかった。

少なくとも朝まではそう思っていた。

けれど、授業を受けていても、友人と話していても、弁当を食べていても、意識のどこかがずっと駅前に引っ張られていた。


まるで、胸の奥に細い糸を結ばれているみたいだった。



駅前広場は昨日と同じだった。

改札へ向かう人々。電車の音。夕方の光。誰も何も気づいていない。


ユウは空白の前で足を止める。


「……いるんだろ」


返事はない。


当然だ。

ここは現実だ。人もいる。音もある。世界は正常に動いている。

それでもユウには、分かってしまう。



この景色の奥に、もう一つの景色が重なっていることを。

一歩、近づく。



ザッ――



頭の奥でノイズが走った。昨日よりも短い。だが、深い。

駅前の喧騒が一瞬だけ遠のき、視界の端から色が抜け落ちる。

夕暮れの街が薄く剥がれ、その下から灰色の駅が滲み出した。


割れたホーム。

煤けた壁。

止まった時計。


そして、少年。



彼は昨日と同じ場所に立っていた。

ユウはゆっくりと空白の中へ踏み込む。


音が消える。

人の声も、車の音も、電車のブレーキ音も、全部遠ざかっていく。

気づけばユウは、崩れたホームの上に立っていた。


「また来たんだ」


少年が言った。


責めるような声ではなかった。

どこか諦めたような、けれど少しだけ嬉しそうな声だった。


「来たらまずかったか」


「たぶん」


「たぶん?」


「僕にも分からない」


ユウは眉をひそめる。


「お前、ここにいるんだろ。分からないのかよ」


少年は小さく笑った。


「ここにいるから、分からないんだよ」


意味は分からなかった。

だが、不思議とふざけているようには見えない。


ユウは周囲を見回す。


駅は酷く壊れていた。

だが、完全に崩れているわけではない。

壊れたまま、そこで止まっている。


火事の跡のような黒い煤。割れた窓。

壁に残る焦げ跡。床に転がった鞄。折れた傘。


すべてが途中で止まっている。

終わった後ではない。

終わる直前で凍りついたような場所だった。


「ここは何なんだ」


ユウが聞く。


少年は少しだけ俯いた。


「忘れられた場所」


「忘れられた?」


「ううん」


少年は首を横に振る。


「忘れさせられた場所」


その言葉に、ユウは黙った。


『忘れさせられた。』


それは、ただの比喩には聞こえなかった。


「じゃあ、お前は?」


少年は答えない。


「お前も、忘れさせられたのか」


ホームに沈黙が落ちる。

少年はユウを見た。

その目に、昨日までの曖昧さはなかった。


「僕は、消された」


その一言は、灰色の空気の中に静かに落ちた。

ユウは一瞬、言葉の意味を掴めなかった。


死んだ、ではない。

いなくなった、でもない。

消された。


「誰にだよ」


「分からない」


「なんで」


「それも、分からない」


「お前分からないことばっかりだな」


「うん」


少年は困ったように笑った。


「でも、ひとつだけ分かる」


「何が」


「僕は、もう外にはいない」


風もないのに、ホームに落ちていた紙片が揺れた。

ユウはそれを拾う。


古い学生証だった。


端が焦げている。写真の部分は黒く潰れていて、顔は見えない。名前の欄も擦れて読めない。ただ、学校名らしき文字だけがかろうじて残っていた。


『私立――学園』


途中が削れている。


「これ、お前のか」


少年は学生証を見つめた。


だが、手を伸ばさない。


「触れないんだ」


「自分の物なのに?」


「自分の物だったもの、かな」


ユウは学生証を見る。

軽い。ただのプラスチックの板。

なのに、妙に重かった。


「持っていけるかもしれない」


少年が言った。

ユウは顔を上げる。


「現実に?」


少年は頷かない。ただ、学生証を見つめたままだった。


「もしそれが外に出られたら、僕がいた証拠になるかもしれない」


ユウは学生証を握る手に力を込めた。


「ふーん、じゃあ持っていってやろうか」


ユウがほほ笑んだ、その瞬間だった。

ホーム全体が小さく軋んだ。


パキッ。


足元に細い亀裂が走る。


ユウは身構える。


少年の表情が変わった。


「だめだ」


「え、」


「それを持っていこうとすると、気づかれる」


「気づかれるって誰に」


少年は答えなかった。


代わりに、灰色の空を見上げる。

ユウもつられて見上げる。


空の一部が、黒く沈んでいた。

昨日見た、あの黒い何か。


それが遠くからこちらを見ている気がした。


「戻って」


少年が言った。


「今すぐ」


「でも、これ」


「持っていって」


「は?」


「でも、今は戻って」


矛盾した言葉だった。

だが、その声は震えていた。


少年は怖がっている。

黒い何かを。

いや、黒い何かに見つかることを。


「ったく、指示がおおいな」


ユウは学生証を握ったまま、一歩後ろへ下がる。

その瞬間、現実の音が戻ってきた。


電車の音。

人の声。

夕方の風。

灰色のホームが剥がれ、駅前の景色が重なる。


―――


ユウは現実へ戻っていた。

そして手の中には、焦げた学生証が残っている。


「あ……持ってこれた」


思わず呟いた。


「何を?」


横から声がした。

リリアだった。


「お前、またいるのか(笑)」


「……来ない方がいいって言ったよね」


「言われたっけな」


「じゃあ何で来たの」


「それ、お前に言われたくないんだけど」


「?」


「お前も来てるじゃん」


リリアは少し黙る。


「私は確認」


「俺も確認」


「違う」


「何が」


「私は前から来てる」


お互い一歩も引かないが、ユウは苦笑する。


「じゃあ俺が来る時間まで待ってたの?」


リリアは一瞬固まる。


「違う」


「それにしてはタイミング良すぎだろ」


「偶然」


「毎回?」


「……」


「ストーカーかよ」


リリアは少し眉をひそめる。


「違うって」


「じゃあ何」


少しだけ間が空く。


リリアは空白から目を離さないまま、小さく言う。


「…心配だっただけ」


少しだけ照れくさそうに視線を逸らす。


ユウは少し驚いた。

昨日会ったばかりなのに。

そんなふうに言われるとは思っていなかった。


ユウは一瞬黙る。その空気が少し気まずくなって、


「……そっか、ありがとな」


リリアは照れ隠しのように話題を変える。


「それより何を持ってこれたの?」


「ああ、これだよ。」


ユウはそういって学生証を見せた。


リリアの表情が変わった。

彼女は学生証を見て、次に空白を見た。


「これ、どこで拾ったわけ」


「中」


「え、中?」


「あの空白の中だよ」


リリアはすぐには返事をしなかった。

信じられないものを見るような目で、学生証を見つめている。


「……そんなの、持ってこられるの」


「持ってこれたな」


「今まで、ああいう空白はいくつも見てきたけどさ、中に入ったり、物を持って帰ってきたり…そんなことしてたのあなたが初めて。あなたってやっぱり普通じゃないわね。」


「おれはこの数日普通じゃないことばっかりだよ。三日連続で初対面のやつと同じ場所でしゃべってるし…」


ユウがそう言うと、リリアは苦笑いをするが否定しなかった。

そしてリリアが学生証へ目を向けると。


「その文字、さっきまで見えなかったのに」


ユウは手元を見る。


確かに、先ほどよりも文字が浮かび上がっている気がした。

まるで、現実に出たことで、存在が少しだけ濃くなったように。


その時、空白が揺れた。


ほんの一瞬。

崩れたホームが重なる。


少年が立って、ユウを見ていた。

そして、口を動かした。


今度は、声が聞こえなかったのにユウにはなぜか分かった。


――見つけて。


次の瞬間、景色は消える。


ユウは学生証を握りしめた。


リリアが不安げに言う。


「ユウ、それは持っていない方がいい気がする」


「でも、あいつがいた証拠だ」


「あいつって中にいた人のことだよね。でも証拠があるってことは…」


リリアは言葉を切った。


「何だよ」


「それを消したい何かにも、見つかるってことだと思う」


ユウは空白を見る。


何もない。

何もないはずの場所。

けれど、今は確かに感じる。


誰かがそこにいる。

誰かが、自分に何かを託した。


そして同時に。

その何かを許さないものが、こちらを見ている。


ユウは学生証をポケットにしまった。


「確かにな。お前頭いいよな。でも俺はそれでも調べる」


リリアは呆れたようにため息をつく。


「どうして」


「やっぱり、そう言うと思った。」


「止めるか?」


「止める。」


「でも止まらない。」


「……うん。」


「分かってるなら聞くなよ。」


「一応。」


「一応?」


「言わないと後悔する気がするから。」


ユウは少し笑った。


「真面目だな。」


「よく言われる。」


「自覚あるんだ。」


「ある。」


「意外。」


「失礼。」


少しだけ沈黙が流れる。

リリアは空白を見つめたまま、小さく言った。


「怖くないの?」


「怖い。」


即答だった。


リリアは少し驚いたようにユウを見る。


「怖いけど。」


ユウはポケットの中の学生証を握る。


「怖いからって、見なかったことにはできない。」


「……。」


「もし本当に誰かがいたなら。」


「助けたい?」


「助けたいとかじゃない。」


ユウは少し考える。


理由はいくらでも言える。


気になるから。

見えてしまったから。

放っておけないから。


けれど、一番近い答えは違った。


「消されたって言ってたんだ」


「え?」


「あいつ、自分のことをそう言った」


ユウは空白を見る。


「死んだんじゃない。消されたって」


リリアは何も言えなかった。

ユウは続ける。


「だったら、本当にいなかったことにしていいのかよ」


リリアはしばらく黙っていた。

やがて、小さく言う。


「あなたって。」


「ん?」


「変。」


「褒めてる?」


「褒めてない。」


「即答かよ。」


「でも。」


リリアは少しだけ目を細める。


「嫌いじゃない。」


ユウは思わず笑った。


「それ、褒めてるだろ。」


「……。」




夕方の駅前で、人々は変わらず歩いている。

誰も知らない。

誰も覚えていない。


このすぐ隣に、消された誰かの痕跡が残っていることを。

その奥に、消された少年がいる。


そして、その少年が残した学生証が、現実に存在している。

その事実だけが、世界の正常さを静かに壊していた。



その夜。

ユウは学生証の学校名を検索した。

だが、何も出てこなかった。


学校も。

生徒も。

事件も。

事故も。


何ひとつ。


まるで、最初から存在しなかったかのように。

しかし、机の上には焦げた学生証がある。


そこに刻まれた一文字だけが、現実に残っている。


『瀬』


ユウは画面を閉じた。


そして、初めて思った。

あの少年は幻ではない。


この世界が、彼を消したのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ