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第12話 「観測」

ドクン。


空白が脈を打った。

ユウは反射的に足を踏ん張る。


床が揺れたのではない。

ホームが揺れたのでもない。


もっと根本的なもの。

世界そのものが、一瞬だけ心臓を持ったように震えた。


「っ……!」


リリアがユウの腕を掴む。


「今の、何……?」


「分からない」


ユウは周囲を見回した。


焼け焦げた柱。

崩れたホーム。

割れたガラス。

灰色に沈んだ空。


そのすべてに、細い亀裂が走っていた。


さっきまではなかった。

少なくとも、ユウは気づいていなかった。


パキッ。


柱の表面が割れる。


パキ、パキパキッ。


床へ亀裂が伸びる。

まるで、見えない何かが内側から世界を押し広げているようだった。


律の表情から血の気が引いた。


「……違う」


「何がだ」


ユウが聞く。


律は答えない。

ただ、ホーム全体を見ていた。


壁。


柱。


線路。


空。


そして、ユウには見えない何かを確認するように、何度も視線を動かす。


「昨日までと違う」


「だから何が」


「全部」


律の声は低かった。


冷静に見える。

けれど、その目だけは明らかに揺れていた。


「修正領域が、変質している」


の言葉と同時に、少年が頭を押さえた。


「……っ」


小さな呻き声。

ユウはすぐに駆け寄る。


「おい、大丈夫か」


少年は答えない

両手で頭を抱え、膝をつく。


「見える……」


「何が」


「分からない」


いつもの答え。

だが、今の声は違った。


震えている。

怯えている。


「違う」


少年は首を振る。


「やめろ……」


その目は、ユウたちを見ていなかった。


もっと遠く。

灰色のホームの奥。

何もないはずの空間を見ている。


「やめろ!」


「おい!」


ユウも反射的に追う。

リリアが続く。


律も一瞬だけ遅れて走り出した。


ホームの奥へ。

割れたガラスを踏む音が連続する。


軋んだ鉄骨が、頭上で嫌な音を立てた。


少年は速くない。

けれど、迷いがなかった。

何かに導かれているように、一直線に奥へ向かっていく。


「待てよ!」


ユウが叫ぶが少年は止まらない。


そして、崩れた柱の前で突然足を止めた。

そこには何もない。


灰色の床。

焼けた壁。

倒れた案内板。


それだけだった。少なくとも、リリアと律には。


だが少年は、誰かがそこにいるかのように叫んだ。


「逃げろ!!」


次の瞬間。

ユウの視界が反転した。


灰色が剥がれ落ちる。

燃え尽きた世界に、色が戻る。


夕暮れのホーム。

ざわめく人々。

制服姿の学生。

スーツ姿の会社員。

母親に手を引かれた小さな女の子。

売店の灯り。

電光掲示板。

滑り込んでくる電車。


『まもなく――』


聞き慣れたはずの駅のアナウンス。


そして。


轟音。


世界を裂くような爆発音が、ホーム全体を飲み込んだ。


熱風。


悲鳴。


砕け散るガラス。


炎。


崩れ落ちる天井。


人が倒れる。


誰かが叫ぶ。


誰かが助けを求める。


ユウは腕で顔を庇った。


熱い。息ができない。

鼻の奥に焦げた匂いが刺さる。


「逃げろ!」


誰かが叫んだ。


その声は、少年の声だった。


ほんの一瞬。

本当に一瞬だけ。

世界は事故当時へ戻った。


そして、また灰色に沈む。


「ユウ!」


リリアの声で、ユウは現実へ引き戻された。

いや。

現実ではない。

空白の中だ。


灰色のホーム。


割れた柱。


静まり返った駅。


ユウは荒く息を吐いていた。


「……」


リリアが肩を掴んでいる。


「大丈夫? 顔、真っ青」


「次はちゃんと見えた…」


「何が」


「事故だ」


リリアの手に力が入る。

律が近づく。


「どんな事故だ」


「爆発。炎。人が倒れてた。ホームが崩れて……」


言葉が続かなかった。


見えたものを説明するには、あまりにも生々しすぎた。


律は黙った。

その沈黙が、逆に重かった。

律はユウを見る。


「その場にいたみたいに反応しているな」


ユウは自分の手を見る。

指先が震えていた。

熱もない。

火傷もない。

それでも、身体だけがまだあの爆発を覚えていた。


少年はその場に立ち尽くし自分の手を見ている。


「僕……」


小さく呟く。


「今、何を見たんだろう」


ユウは眉をひそめた。

「お前も見たのか」


少年は頷く。


「思い出したのか?」


少年は首を振る。


「違う」


胸元を押さえる。


「思い出したんじゃない」


「じゃあ何だ」


「戻ってきてる」


「戻ってきてるって何が…」


ユウのその言葉に、律が反応した。


「戻ってきている?」


少年は律の声には反応しない。


律には少年の声は聞こえていない。

姿も見えていない。

ただユウだけを見ていた。


「何かが、僕の中に戻ってきてる」


少年は苦しそうに息を吐く。


「僕の中に戻ってきてる」


「だから何が戻ってきてるんだよ。記憶か?」


律はしばらく黙っていた。

それから、ゆっくりと言った。


「結城ユウ、修正領域の中には理論だけが残っている現象がある」


「理論?」


ユウが聞き、律は頷く。


「誰も目の当たりにしたことはない、でも」


律の視線がユウへ向く。


「今、あなたが起こしているものと一致するかもしれない」


「俺が?」


「そう」


律は空白の中を見渡す。


「私にはあなたのいう人間たちは見えないが…」


亀裂の走ったホーム。

そして、ユウの手の中にある焦げた学生証。


「観測だろうな」


初めて聞く言葉だった。

ユウはそのまま繰り返す。


「観測?」


「存在を認識すること」


律は言った。


「声を聞くこと」


「姿を見ること」


「名前を知ろうとすること」


「そこにいると認めること」


律の声は静かだった。

けれど、どこか震えていた。


「修正された存在は、本来誰にも観測されない」


「だから世界から消える」


「でも、あなたは彼を観測した」


ユウは少年を見るが、

少年はまだ胸を押さえ、苦しそうに立っている。


「声を聞いた、姿を見た、学生証を拾った、彼がそこにいると認めた」


律は一歩、亀裂の入った床へ足を進める。


「だから、この異常事態に修正が揺らいでいる。おそらくこれだろうな。」




パキィン。




空間のどこかで、ガラスが割れるような音がした。

灰色の空に、細い亀裂が走る。


リリアが息を呑む。

「空が……」


「見えるのか?」


リリアは頷いた。


「亀裂だけ」


「人影は?」


「見えない」


リリアは悔しそうに唇を噛む。


「でも、いる気がする」


律が小さく息を吐く。


「観測が広がっている。あなたが観測したことで、修正領域そのものが隠し切れなくなっている」


ユウは空を見上げる。


灰色の亀裂。

それはリリアと初めて出会った日に見た空白のひび割れと同じだった。


あの時も世界は割れようとしていた。

ユウが「広がるな」と思った瞬間、亀裂は止まった。


だが、あれは崩壊じゃなかった。

世界が、隠し切れなくなっていたのか。


「……世界の悲鳴だな」


律が呟いた。


「何?」


「修正領域の亀裂をそう呼ぶ人もいる」


「悲鳴?」


「矛盾を隠し切れなくなった時、世界は割れる」


「俺がきっかけか…」


その瞬間。

ホームの奥に立つ人影たちが、一斉にユウを見た。


声はない。

けれど、その意思だけが届く。


助けて。


いや。


違う。


もっと奥にある言葉。


終わらせて。


止まったままの時間を。


届かなかった想いを。


ユウは拳を握った。


「……っ」


胸の奥が痛む。

自分が何を見ているのか分からない。

でも、この人たちがただの幻ではないことだけは分かった。


「僕…」


少年の声は震えていた。


「僕たちはここにいたのか…」


その瞬間、学生証が熱を帯びた。


ユウは布をほどく。

焦げた学生証。

消えた名前。

その表面に、また一瞬だけ文字が浮かぶ。


今度は名前ではなかった。


数字。

読めるほどはっきりしていたわけではない。

だが、ユウには確かに見えた。


――17。


そこまでだった。

次の瞬間、文字は焦げ跡へ沈むように消えた。


「今度は何が見えた」


律が聞く。


「数字」


「数字?」


「十七」


律の表情が変わる。


「……時刻」


「時刻?」


律がホームの奥を見ると、

そこには、灰色の霧が厚く立ち込めていた。


今までは何も見えなかった場所。

けれど、その霧が少しずつ割れていく。


少年が顔を上げた。


「……あそこ」


「何か見えるのか」


「分からない」


「でも、知ってる」


ユウも霧の奥を見る。

だが、まだ形は分からない。

ただ、何かがある。


白く濁った霧の向こうで、丸い影がぼんやりと浮かんでいる。


時計。


そう直感した。


だが、針までは見えず時間が分からない。

少年はその影を見つめたまま、青ざめていた。


「僕……知ってる」


ユウは何も言わなかった。

ただ、灰色の奥に浮かぶ時計の影だけを見つめていた。


世界は、もう隠し切れなくなっていた。


「知ってるって、何を」


ユウが聞くが少年は答えなかった。

喉の奥で何かを詰まらせたように、小さく息を吸うだけだ。


その肩が震えている。

怖がっている。


いや、違う。

思い出すことを、身体そのものが拒んでいるように見えた。


「ユウ」


リリアが小さく袖を引く。


「寒い」


空白の中は、もともと温度が曖昧で暑くも寒くもない。

ただ、灰色の空気が肌にまとわりつくような感覚だけがある。


けれど今は違う。


冷たい。

背中を撫でるような冷気が、ホームの奥から流れてきていた。


「律」


ユウが呼ぶ。

律はすでに霧の奥を見ていた。

表情が硬い。


「進みすぎた」


「何が」


「観測」


律は短く言った。


「あなたが彼らを認識したことで、修正領域が変化している」


「それはさっき聞いた」


「続きがある」


律は灰色の空を見上げた。

そこには、さっきよりも大きく亀裂が広がり、

ひび割れたガラスの向こう側に、さらに濃い灰色が覗いている。


「観測は、修正に抗う行為。修正された存在は、本来、誰にも認識されない」


「それも聞いたぞ」


律の声が低くなる。


「だから世界は認識されたことを許さない」


パキッ。


空に走った亀裂が、さらに広がる。


「世界は矛盾を放置しないってことだ」


ドクン。


空白が脈を打つ。


人影たちが、同時に小さく揺れ、

少年が振り返る。


「……っ」


ユウも見た。

無数の人影の輪郭が、ほんの少しだけ薄くなっていたのだ。


「おい」


ユウは思わず声を上げる。


「何だよ、これ」


律が静かに言った。


「修正が、強まっている」


その言葉が落ちた瞬間、ホームの奥にいた人影の一人が膝をついた。


音はない。


声もない。


ただ、形だけが崩れる。

砂で作られた人形が風に削られるように、輪郭が少しずつ欠けていく。


少年が走り出した。


「待って!」


手を伸ばす。

届かない。

人影に触れようとした指先は、何もない空間を掴むだけだった。


「やめろ!」


少年の叫びがホームに響く。


「消えないで!」


人影は答えない。

顔も見えない。

それでも、少年に向かって何かを言おうとしているように見えた。


ユウにはそう見えた。


次の瞬間、その人影は薄い灰となって崩れた。

灰は床へ落ちることなく、空中でほどけるように消える。


「……っ」


少年がその場に膝をつく。

両手を伸ばしたまま、何も掴めなかった掌を見つめていた。


「なんで」


声が震えている。


「なんで、また……」


ユウの中で何かが熱くなった。


怒りだった。

誰へ向ければいいのか分からない怒り。

世界へなのか。

修正へなのか。


それとも、何もできない自分へなのか。


「ふざけんな」


ユウは一歩前へ出た。


「消えるな」


その言葉に反応するように、指先が熱を帯びる。


「ユウには一体何が見えてるっていうの…」

リリアは呟く。


起きるはずの結果へ触れる感覚。


今、目の前で確定しようとしているもの。


人影が消える。


空白が崩れる。


少年たちの声が届かなくなる。


その結果へ、手を伸ばせる気がした。


ユウは思い出す。

最初に空白を見た時。


亀裂が広がり続けていたあの時、理由も分からず思った。


広がるな、と。


そして亀裂は止まった。


なら


「止まれ」


ユウは小さく呟いたその瞬間。

世界から音が消えた。


だんだんと広がっていた亀裂が止まり

崩れかけていた床も形を維持し始める。

輪郭を失いかけていた人影たちも、灰色の空気の中で静止する。


本当に、すべてが止まった。


「……止まった?」


リリアが呟く。

ユウ自身も息を呑んでいた。


できた。


そう思った。


自分にはやっぱり、これを止める力がある。


けれど。


パキ。


静寂の中で、小さな音がした。

ユウの視線が動く。

空に走った亀裂の一本が、ほんの僅かに伸びていた。


パキ。


もう一度。


パキ、パキパキ。


止まっていない。


律が叫んだ。

「止まってない!」


ユウは振り返る。


「でも今、止まっただろ!」


「規模と範囲がでかすぎる。完全に止めきれてない」


律の声が鋭く響く。


その言葉に応えるように、床が再び震え始めた。


さっきより遅い。けれど、確実に亀裂は広がっている。

人影たちの輪郭もまた揺らぎ始めた。


「くそ……!」


ユウはもう一度力を込めようとした。


だが、指先が震えている。

拳がうまく握れない

手の甲に、細く赤い線が走っていた。

痛みはほとんどない。


ただ、身体の奥から何かを無理やり引き剥がされたような感覚だけが残っていた。


「ユウ!」


リリアが駆け寄る。


「手、血が……」


「これくらい大丈夫だ」


「大丈夫じゃない」


リリアの声が少しだけ強くなる。

ユウは答えられなかった。


少年はホームの奥を見る。

霧の向こう。

時計の影。

そして、そのさらに奥にある見えない何か。


「向こう側に、気付かれる」


ユウの背筋に冷たいものが走った。


「向こう側……?」


以前も聞いた言葉だった。

ここに長くいると、向こう側に気付かれる。


少年はそう言っていた。

その時は意味が分からなかった。


今も分からない。

けれど、その言葉がただの怯えではないことだけは分かった。


律が反応する。


「向こう側?」


少年の声は律には聞こえていない。

だが、ユウの表情で何かを察したのだろう。


「彼がそう言ったの?」


「ああ」


「向こう側って何だ」


「俺が聞きたい」


律は唇を結ぶ。


(…管理者のことか…いや…)


空白がもう一度脈を打つ。

今度は床の亀裂が広がった。

ホームの端から端まで、黒い線が走る。


リリアがよろめくがユウはすぐに支えた。


「大丈夫か」


「うん」


リリアは頷く。

けれど顔色は悪い。


「ここ、長くいたらダメな気がする」


「…そうだな…」


「この場所が嫌がってる。私たちがここにいることを」


リリアは空白の奥を見つめる。

何も見えていないはずなのに、その瞳は確かに何かを捉えようとしていた。


律が小さく息を吐く。

「感覚としては正しい」


「どういう意味だ」


「修正領域が、観測を拒んでいる」


律はユウを見る。


「あなたが彼らを見れば見るほど、彼らは世界へ戻ろうとする」


「ならいいことじゃないのか」


「同時に、世界はそれを矛盾として消そうとする」


ユウは歯を食いしばる。


見れば救いに近付く。

でも、見れば消される。


最悪の綱引きだった。


「じゃあどうすればいい」


律は答えなかった。

分からない。

そう言われるよりも、沈黙の方が重く感じた。


少年はゆっくり立ち上がり、

消えた人影がいた場所を見つめたまま、拳を握った。


「……思い出せない。でも、分かる…あそこに行けば」


少年の声が震える。


「僕が何をしようとしてたのか…」


灰色の霧が、少しだけ晴れ、

時計の影が、さっきよりもはっきり見える。


丸い文字盤。


割れたガラス。


歪んだ針。


けれど、時刻だけはまだ見えない。

まるで世界が最後まで隠そうとしているように。


少年はその時計を見つめて、青ざめた。


「知ってる。僕はあれを知ってる」


少年は時計から目を離さない。

震える唇が、小さく動く。


「あと少し……」


「あと少しで……思い出せる。」




布越しに、また熱が戻ってくる。


ゆっくり布をほどく。

焦げた学生証。

名前はまだ読めない。


だが、焼け跡の奥に、また数字が浮かび上がる。


ユウは拳を握った。

学生証が熱を持った。

ユウは布をほどく。


焦げた学生証。

消えた名前欄。


そこに、また数字が浮かび上がる。


――17。


その下に、かすかにもう一つ。


――1。


そして、すぐに消えた。


「17、1……」


ユウが呟く。

律の表情が変わる。


「時刻ね」


「分かるのか」


「事故の断片には、繰り返し出てくる数字があるの」


律は時計を見る。


「ただ、最後の一桁だけが欠けていた」


「欠けていた?」


律の声が少しだけ震えていた。


「事故が止まった時刻」


「その最後の一桁だけが、世界から抜け落ちている」


ユウは時計を見る。やはり時計の針は見えない。


十七時…何分。


あと少し。


あと一つ。


そこまで来ているのに届かない。

まるで、世界が最後の扉だけを閉ざしているようだった。


少年が一歩、時計へ向かって進む。

ユウも続こうとした。

リリアが腕を掴む。


「行くの?」


「ああ」


「危ないよ」


「分かってる」


「でも、行くんだ」


「ああ」


リリアは少しだけ目を伏せた。

それから、掴んでいた手に力を込める。


「じゃあ、私も行く」


「見えないんだぞ」


「見えなくても」


リリアはユウを見る。


「あなたが見てる」


その一言だけで、ユウは何も言えなくなった。

律が時計の方へ一歩踏み出す。


「止めないのか」


ユウが聞き律は短く答えた。


「もう遅い」


「え?」


「ここまで観測した以上、引き返しても修正は止まらないだろうな」


律は霧の奥を見据える。


「だったら、最後まで見届ける」


律自身も、もうこの現象から目を逸らせなくなっている。


ユウは少年を見る。


「案内してくれ」


少年は頷く。


4人は前へ進む。

灰色の霧が、ゆっくりと左右へ割れていく。


誰かが道を作っているわけではない。

それでも、少年が一歩踏み出すたびに、霧は彼を拒むことなく、その奥を見せていった。


世界が、思い出すことを許し始めている。


ホームの空気が変わる。

冷たかった風に、ほんの僅かな温度が混じる。



そして進んだその奥には、壊れた駅時計。


まだ時刻は見えない。

けれど、その場所へ近付くほど、ユウの耳には遠い音が聞こえてきた。


人の声。


電車の音。


アナウンス。


笑い声。


そして。


まだ起きていない爆発の気配。

ユウは思わず足を止めた。


「……聞こえる。」


リリアも耳を澄ませる。


「私にも。」


さっきまで何もなかった空白に、少しずつ時間が流れ始めていた。


そして、少年が時計の前で立ち止まる。

肩が震えていた。

ユウたちもその後ろで足をとめる。


「思い出したくない」


誰に向けた言葉でもなかった。

それでも、ユウには聞こえた。


「でも」


少年は顔を上げる。


「思い出さないといけない」


時計の針が、霧の向こうでわずかに姿を現す。

これまでになく空白内部の観測が進むのだった。

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