5.お粗末すぎる悪巧み(3)
初めて感じた違和感は、国王夫妻と新年の挨拶を交わした時だった。
「グランデ・マーレ大聖堂所属、トリステラ伯爵家が当主ラファエロが、国王陛下と王妃殿下にご挨拶申し上げます」
「アルディーティ侯爵家エヴェリーナが、国王陛下と王妃殿下にご挨拶申し上げます」
ラファエロに倣ってエヴェリーナが貴族の礼を執った時、王妃は僅かに目を見張った。
「……あなたが、アルディーティ侯爵夫人?」
「さようでございます。家のことに追われ社交の場には滅多に出ませんもので、王妃殿下におかれましてはご挨拶が遅くなり、大変ご無礼をいたしました」
エヴェリーナのデビュタントは前国王の御代であった。現国王はエヴェリーナがガブリエーレを身籠っている時に即位し、その後に結婚している。そのためエヴェリーナが正式に王妃と対面するのは今日が初めてだった。
王妃がちらりと視線だけで国王の方を見る。それに気づいた国王が無言でゆるく首を振る。何だかそこはかとなく緊張感を感じる。
(もしかして、何か無礼を働いてしまったかしら。それとも今更ご挨拶に伺ったものだからお気を悪くされたのかしら)
思わず身を固くしたエヴェリーナだったが、その場の緊迫した雰囲気も束の間、王妃は晴れやかな笑顔でエヴェリーナの手をとった。
「今夜は我が王家のために素晴らしい活躍を見せてくれてありがとう、アルディーティ夫人。流石マリアンナが選んだだけのことはあるわね。サン・ラファエロ、あなたもよくやってくれました。お二人の活躍により、今年はこのベルフィオーレ中で、運命の女神が愛の車輪を回してくださるでしょう」
(……良かった)
どうにか無事に挨拶を終えられエヴェリーナはほっと胸を撫で下ろしたが、おかしな反応はそれだけに留まらなかった。
「初めまして。本日のマードレ・ステラーレを務めさせて頂きました、アルディーティ侯爵家エヴェリーナ・アルディーティと申します」
「アルディーティ侯爵夫人……?」
ラファエロの紹介により初めて会った相手に挨拶をすると、皆一様に驚き戸惑った表情を見せた。中にはあからさまに疑わしそうにする者もいた。しかしそういった相手もラファエロが取り成してくれ、最終的には丸く収まった。
不思議なのは全員が全員そうなのではなく、若い頃何度か交流のあった相手は、寧ろ驚きつつもエヴェリーナの参加を手放しで歓迎してくれたことだった。また、今後は何としても積極的に社交界に顔を出すべきだと強く勧めてくる者もいた。
(何かあるのかしら……?)
理由はすぐに判明した。それはステラーレとしての主だった挨拶回りを全て終え、ちびちびと舐めるように果実酒で口を湿らせていた時のことである。
「まあ、お久しぶりねアルディーティ夫人!」
貴婦人に似つかわしくない甲高い声がエヴェリーナを呼んだ。そこそこ遠くから聞こえたが、エヴェリーナのかつての知人にそのような品のない振る舞いをする者はおらず、エヴェリーナは慌てて振り向いた。
(あれは……コルヴォ男爵?)
問題の夫人の隣にあまり思い出したくない顔を見つけ、思わず眉を顰める。しかし本当の問題は、コルヴォ夫人がここまで届く様な声量で必死に話しかける人物にあった。
エヴェリーナの脚の力ががくんと抜ける。
「夫人……!」
「ト、トリステラ卿……」
これまでの違和感の原因がわかった。わかってしまった。
上手く立っていられず、咄嗟に自分を支えてくれたラファエロに縋りつく。気遣わしげにこちらを見下ろすラファエロの瞳の中には今にも泣きだしそうな自分が映っている。怒りか、悲しみか、恐怖か、不安か。それとも全く別の感情か。声も体も震えが治まらない。
「落ち着いてください、夫人。呼吸が浅くなっています。深呼吸をしてください。ゆっくり吐いて、そう、その調子です。あなたは堂々としていればいい、疚しいことがあるのはあちらなのだから。大丈夫、何も恐れる必要はありません」
優しく背中を撫でる手が、エヴェリーナにマリアンナの温かさを思い出させた。ラファエロの言葉がけに従い何度か意識的に深い呼吸を繰り返していると、少しずつ冷静さも戻ってくる。
「どこかで休みますか?」
「……いいえ、大丈夫です」
漸くどうにか自力で立ち上がれるようになったエヴェリーナは、コルヴォ男爵夫妻の方を睨みつけた。正確には、夫妻と話をしている一組のカップルを。
「トリステラ卿、どうやらご挨拶すべき方々がまだお一組残っていたようですわ」
「行けそうですか?」
「むしろ今行かなければ後悔するでしょう」
「それはいけない。やりたいことで今すぐできることはその瞬間に手をつけるべきです。目に物を見せてやりましょう」
ラファエロの顔が好戦的に歪む。笑顔というにはあまりにも怒りに満ちた表情に、エヴェリーナは危うく折角の毒気が抜かれてしまうところだった。
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