4.否定が踏ませた同じ轍(1)
夏が終わろうという気候では馬車の中も過ごしやすく、旅程は予想以上に順調に進んだ。しかしエヴェリーナの「楽しむ」という努力は結局空回りすることになった。
「ほら見てガブリエーレ、海が見えるわ。素敵ね、帰りに寄ってみましょうか?」
「あそこはラミント湾ですから近寄ってはいけません。あの辺り一帯はセイレーンの縄張りですから、母上が立ち入ろうものならたちまち水中に引きずり込まれてしまいます。それに海ならトリステラ領にもあります」
「そ、そうなのね……。あら、何かしらあの花? 初めて見るわ」
「あれは「魔狼の牙」と呼ばれる魔花です。迂闊に触らないでください。うっかり触ると魔物を引き寄せますから、次の町で聖騎士団に報告した方がいいでしょう」
「……」
ガブリエーレが始終この調子なので会話が全く盛り上がらないのである。
「母上、初めての旅行で浮かれるお気持ちは理解できますが、もう少し落ち着かれた方がよろしいかと。先ほどから言動が危なっかしくて目が離せません」
挙句の果てに呆れたように小言まで食らうはめになった。これでは今までと立場が丸きり逆である。
(何よ、あなただって前の人生では聖騎士団に入団するまで王都から出たことがなかったじゃない! そもそもまだ子どもなのに、一体どこでそんな知識を身に着けてきたのよ……)
見たこともない花が聖騎士団に報告しなければならないほど危険だなどと普通の貴婦人に判断できるはずもない。かといって息子を前に始終無言を貫くのも気が引ける。しかし当たり障りのない会話といえば馬車の窓から見える風景より他にない。
この不毛なやり取りは結局トリステラ伯爵領の本邸に到着するまでの三日間、ずっと続いたのである。
「いらっしゃいエヴェリーナ、久しぶりね。公子様も、ようこそお出でくださいました。ラファエロから話は伺っております。二人とも、帰るまでゆっくりくつろいでちょうだい」
マリアンナの温かい笑顔に出迎えられた時、エヴェリーナがどれほど安心したことか。
「お招き頂きありがとうございます、マリアンナ様。しばらくご厄介になります」
「厄介だなんて! わたくしはあなたたちが来てくださって本当に嬉しいのよ。ラファエロもあなたたちの到着を楽しみにしていたわ」
「トリステラ卿も、もうこちらにご到着されているのですか?」
エヴェリーナがトリステラ領へ来ることが決まってから、ラファエロは夜会の時より足繁く侯爵邸を訪ねて来るようになった。エヴェリーナたちが出発する前日も、旅程の最終確認に来ていたはずだ。エヴェリーナは書斎に引きこもっていたため顔を合わせていないが、彼がガブリエーレと親し気に話している様子は窓から見ていた。
「二日ほど前にね。今日はグランデ・マーレ大聖堂で騎士団の訓練に参加しているわ」
騎士団、と聞いて息子の肩がぴくりと揺れた。どうやら興味があるらしい。流石未来の騎士団長、この年齢からもう騎士への憧れがあるのか、とエヴェリーナは感心する。
(そういえば私、前の人生ではこの子が何に興味があるのか、ちっとも知ろうとしなかったわ……)
罪滅ぼしというわけではないが、今回の人生では思う存分、息子に好きなことをさせてやりたい。回帰した直後はそんな風に考える余裕もなかったが、一ヶ月前と比べて少しは自分の心に余裕が出てきた気がする。それもこれもマリアンナのお陰だろう。
「ガブリエーレ、もし興味があるなら後で見学に行ってらっしゃい」
「よろしいのですか?」
息子が弾かれたように顔を上げてエヴェリーナの方を見た。夫譲りの青い瞳が見たこともないほどキラキラと輝いている。
(こんな顔もする子だったのね)
前回の人生も含め初めて自分に明るい表情を見せた息子に、心の底から申し訳ない気持ちになる。
「ええ。その代わり護衛騎士から離れないようになさい」
「はい!」
馬車の中での妙に子どもらしからぬ言動とは打って変わって、ガブリエーレは漸く年相応の笑顔を見せた。記憶に残っている限り、息子の笑顔を見たのは、エヴェリーナにとってこれが初めてのことだった。
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