3.殺した本音にやすらぎを(4)
「あなたはまず、自分を許すことから始めるべきね」
向かいに座っていたマリアンナがおもむろに立ち上がり、エヴェリーナの隣に座し直す。小柄だが温かく柔らかな手が、自分の右手を包み込んだ。
「社交期間が終わったら、わたくしたちの領地にいらっしゃい。ラファエロに話はつけておくわ。今のあなたに必要なのは、ご自分の心と向き合って、ゆっくりその傷を癒すこと。どうかわたくしたちに手伝わせてちょうだい。あなたはわたくしたちの恩人だもの。あのような最期を迎えさせてしまってごめんなさい。未来であなたに何もしてあげられなかったわたくしたちを許してちょうだい。ラウラを助けてくださって本当にありがとう。愛しているわ、エヴェリーナ。あなたは自分が愛されることを自分に許可していいのよ」
いくら大聖女であっても初対面の貴婦人を呼び捨てるなんてマナー違反だ。しかし「愛しているわ」と優しい声で抱きしめるように何度もそう繰り返され、エヴェリーナはどうして彼女が大聖女にまで昇りつめたのかを本当の意味で理解した。もし神の愛というものが本当にマリアンナの言葉通りなら、きっと彼女自身が人間の姿をした神の愛そのものなのだろう、と。
これまで治癒の能力で病人や怪我人を癒すのが聖人聖女だと思っていた。しかしこの大聖女はきっと真の意味で神に仕える聖女なのだ。
「わ、私がお邪魔しても、よろ、よろしいんでしょうか……」
喉が震えて上手く声が出せなかった。つかえつかえ、どうにか言葉を絞り出すと「もちろん」と返される。
「大歓迎よ。ぜひ遊びに来てちょうだい。大丈夫。今度はきっと何もかも上手くいくわ」
その後のことは朧げにしか憶えていない。ただこれまでの堰を切ったようにマリアンナに縋りついてわんわん泣いていたことだけは記憶している。いい歳をしてみっともないと思ったが、少しでもそんな風に恥じ入ると今度は「しっかり泣けて偉いわねぇ。涙は心の浄化にとても良いの。泣きたい時は泣くのが一番よ」と褒められたのでそれで更に泣いてしまった。
これまで誰もエヴェリーナに「泣いていい」なんて言葉をかけてくれる人はいなかった。
とても屋敷に帰れる状態ではなかったため、その晩はマリアンナの口利きでそのまま王宮に宿泊させてもらうことになった。マリアンナの隣で一頻り泣いた後だからか、翌日はこれまでの人生でかつてないほどスッキリと晴れやかな気持ちで目が覚めた。
(マリアンナ様にまたお会いできるのは楽しみだわ。ガブリエーレを置いていくのは心配だけど……私がいない方がきっとあの子のためにもなるし、仕方ないわね)
あの夜会以降も結局息子と顔を合わせる勇気がなく、エヴェリーナは書斎に引きこもり家財管理と領地経営の仕事に逃げていた。家に寄り付かない夫はこういう時だけは役に立つ。
ガブリエーレのことは気がかりだが、いまだにどう接すれば良いのかもわからない。我が子ながら年齢に似合わずしっかりした性格なので、使用人たちを信じて預けることに決めた。
家令に見送られて馬車に乗り込む。少し大きめの音を立てて馬車の扉を閉めると、御者の掛け声が聞こえ、馬車が滑るように走り始めた。
トリステラ伯爵領までは三日ほど。街道は整備されており、中継地となる町にはどこもしっかりとした宿がある。旅行など初めてだが、多少の不便はあれどそれなりに快適な道のりのはずだ。
「人生は冒険よ。来る道中も楽しんできてね」というマリアンナの言葉を思い出し、今回はできるだけ楽しむ努力をしよう、と気を引き締めた矢先のことだった。
「若様! お待ちください! 危険です!! 若様!!」
(……え?)
家令の言葉に驚いて窓の外に目を向けると、走り出した馬車を追いかけてくる小さな人影が見えた。エヴェリーナが慌てて窓を開け外へ顔を出したのと、幼い息子が走る馬車に飛びついたのは同時。
「何をやってるの!?」
ガブリエーレは運動神経が良い。成人後の息子は教会所属の騎士団に入団し、最年少で団長職まで昇りつめるほどだった。しかしこれはあまりにも無謀である。騎士団長を務めたガブリエーレであれば造作もないことであろうが、今のガブリエーレはまだ剣術の基礎を教わっている最中なのだ。
エヴェリーナは慌てて息子に手を伸ばし、窓から小さな体を引き上げた。幸い、息子の運動神経はこの頃から頭角を現していたらしく、子どもにしては危なげなく馬車に乗り込むことができた。驚愕と心配とこれまで経験したことのない重労働で息も絶え絶えなエヴェリーナと対象に、ガブリエーレは息ひとつ乱さず、向かいの席に鎮座した。悪びれた様子もないその態度に思わず怒鳴りつける。
「危ないでしょう! あなた、自分が一体何をしたかわかってるの!?」
「母上がひと言の断りもなく私を置いていこうとするからです。私も行きます」
ガブリエーレが怯むことなくこちらを睨み返してきた。その眼差しが、処刑前に自分を睨めつけた未来の彼の姿と重なり、エヴェリーナは声が出なくなった。
「トリステラ卿からは同行の許可を得ています。私もご一緒します。母上を一人で行かせるわけには参りません」
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