ワンッワワンッ!
幾多の聖犬召喚を繰り返し、筆頭が導き出した答えは、初心に返るだった。
非常にシンプルである。
だが無駄を削ぎ落とし、変換させた箇所が相互干渉を起こしていたのなら、あの魔法陣は一つとして不要な要素が無いことになる。
だから長年そのままの形で受け継がれて来たのではないか?
そう考えれば、行き着く先はそこしかない。
十を超えるイヌを召喚しまくり、ようやく導き出したにしては、いささか平凡過ぎる答えである。
それでも描き慣れたおかげか、かつて言われていたように、三昼夜も掛からずとも描き切ることが出来た。
途中付き添うのに飽きたエミルとボール遊びに興じていなければ、恐らく半日程度しか掛からなかっただろう。
大勢の人とイヌとが見守る中、筆頭が人選した魔道士達と共に、魔法陣へと魔力を注ぐ。
青白く、煌々と輝きが増すその光景は、見慣れたものだ。
集った者達は、特に感動する素振りを見せずに傍観している。
期待に満ちているその顔は「次はどんなイヌが来てくれるのだろう」というものだが、今回に限ってはその希望に応えることは出来ない。
召喚に成功したとしても、恐らく聖剣になる。
指定した召喚するモノが、他の術式によって元に書き換えられたならば、勇者が招かれるだろう。
目を閉じ、ボルゾイやグレートピレニーズ、オールド・イングリッシュ・シープドッグやスキッパーキを思い浮かべる。
どのイヌも同じ種族とは思えない程に個性的で、それぞれの可愛さがあった。
もっと沢山のイヌが見たい。
その欲は筆頭にも勿論ある。
しかし皆忘れていそうだけれど、この召喚はあくまで我が国を、また世界を救うための勇者を招くための魔方陣である。
決して貢ぎ先や依存先を作るためのものではない。
ここらで一回喝を入れねば、気付かないうちに魔族に侵略されてしまう!
孤児だった自分を受け入れてくれた陛下のためにも、私だけは己を律しなければ!
背中にシバイヌをおぶったような格好で、顔の横から鼻先が覗いているような状態でも、最近では珍しく、筆頭は真面目一辺倒なシリアスモードで魔力を注ぎ続けた。
だが筆頭の真面目腐った雰囲気に感化されたのか、次第に魔方陣から、ドス黒いモヤが立ち上り始めた。
目を瞑り集中していた、筆頭を含む魔道士達は、ソレに気付くのが遅れた。
ざわめきが大きくなるのは、魔法陣に現れたモノの姿がいつものイヌと違うからだろう。
そうスルーした。
「辞めろ!」
国王陛下自らが発した静止の言葉に、ようやく、魔道士達は魔法陣から手を離した。
だが、時既に遅し。
黒いモヤは不吉な力を帯びて広間中に広がり、魔法陣から渦巻くように出現しようとしている、闇そのものを手招くようにユラユラ妖しく揺らめいている。
窓から射し込んでいた光は消え失せ、変わりに空は灰色に濁っていた。
大地が割れんばかりの雷鳴が轟くと同時に、広間は光の白一色に包まれた。
……――誰か、いる。
魔法陣の中心に、一つの気配が出現した。
部屋を漂っていたエネルギーを全て集め、煮詰め、人型にしたような、不穏な気配だ。
注視をした人々は、息を飲み、その姿を視界におさめられた幸運に、感謝した。
しかし同時に、酷く後悔もした。
奪われた目を、逸らすことが出来ない。
中央に現れたのは、イヌではなかった。
人だ。
なのに魔王の二文字を、想起させた。
見目は酷く、麗しい。
男か女か、見ただけでは判断出来ない中性的な出で立ちが、儚くも蠱惑的な雰囲気を醸し出している。
清潔感のある、よく梳られた魅力的な烏の濡れ羽色の髪。
切長の双眸に収まっているのは、黒曜石を思わせる純粋な黒色。
その瞳が伏せられると、雪を思わせる程透き通る白い肌には、くっきりと影が落ちた。
すうと顔の中心を通る鼻梁は高く、紅を引いたかのように赤い曲線を描いている、薄く開かれた口元からは、目が離せなくなるほどの色香を感じる。
細身のネクタイはカジュアルさを演出しているようにも見えるが、全体的に細身に見える彼のしなやかそうな肉体を考えれば、ダービータイでは少々野暮ったく感じることだろう。
彼にナロータイを勧めたコーディネーターに称賛の拍手を送りたい。
スラリと伸びる長い脚の先には、よく磨かれた、一切の汚れもくすみも見えない、鈍く光る黒い革靴。
同じく黒く光るボタンのホールから伸びるのは、細く繊細な金色の鎖。
優雅な所作でその鎖を引き出しポケットから取り出したのは、小型の時辰儀のようだ。
一挙手一投足が洗練とされており、指先の動き一つとっても、どこか演技めいて見える。
その姿を見て、この人物は勇者でも、ましてや魔王でもなく、役者か何かではないかと考えを改めた。
ヒトを惑わすとされる、女夢魔や男夢魔の類でも、ここまで美しくはないだろう。
あれは交わることでヒトの生気を吸う魔族だ。
このような、見ただけで脳が蕩けるような感覚には、さすがにならない。
しかしどう思考を安全な方へと誘導しようとしても、本能がそれに抗って許さない。
酷く恐れる感情が、どう足掻いても拭えない。
魂を直接鷲掴みにされたような……
蛇に睨まれた蛙ですら、脂汗くらいはかけるだろうに、それすら許されない感覚に陥った。
魔族の頂点に君臨する、魔王にその人に違いない。
その場にいる者全員が、そう感じ取った。
今すぐ逃げなければ。
そう思いはする。
‘’死‘’という不穏な言葉が魔王の口からから発せられ、頭の中で警鐘が鳴り響く。
だが誰もが動けない。
誰もが目を離せない。
そんな中、背後からかけられる生暖かい息によって、筆頭の金縛りが解けた。
自分が守らなければ、誰がエミルを守るのか!
筆頭に続き、自分達の庇護下にあるイヌの前に、皆が躍り出た。
しかしイヌは人間の考えなんてお構い無しに、スルリとすり抜けて、魔王の元へと走っていってしまった。
魅了の効果でもあるのか、魔王の持つ細長いモノに釘付けで、誰の言葉も耳に届いていないようだ。
「待って!」
「待てっ!」
悲痛な静止の叫びと、魔王の言葉が重なる。
なんか、響きのニュアンスは違うが。
誰の言葉を聞き入れたのか、イヌ達はキキッと床を鳴らして、その場に踏ん張って止まった。
そして期待の眼差しを、魔王の手元へと向ける。
そのエミルの反応は、奮発して買ったミノタウロスの肉を目の前にした時を彷彿とさせる。
思い当たる節が、他の者にもあるのだろう。
誰ともなく顔を見合せ、ようやく魔王の菅田から逸らせた視線で、魔王の手を注視した。
イヌが魔導兵器を食らうような悪食ではないことは、皆が分かっている。
肉を好んで食べるが、魚も野菜も、なんなら穀類ですら食べる。
酒場で皿の代わりにされていたパンを、酔った勢いで目の前に差し出したら食べたと報告した者がいた。
「そんなゴミを食わせるな!」と聞いていた他の者達にタコ殴りにされていたが、様々な食べ物の汁を吸った硬いパンを好んで食べるイヌは、確かにいる。
金がない貧乏人は皿も食べるのだから、一応食物分類にしても良いだろう。
ならば食性は人間と同じと考えられる。
イヌは魔導兵器を食べない。
つまり魔王の持つアレは、よく似てはいるが、兵器ではない……?
そう安心したのも束の間、起爆装置を稼働させるのと同じ動作を魔王がした。
マズイ!
そう身構えたのは一部の者だけで、その他大勢は魔王の手に群がるイヌを、ただ呆然と見ていた。
見たことのない、千切れそうな勢いで左右に振られる尻尾。
潤んだ瞳に床に池を作り出すヨダレ。
ミノタウロスの肉を目の前にしても、ああはならない。
嫉妬の炎に身が焼かれそうになる。
(なんだ、アレは!?)
(なんなんだ、アレは!?)
(クッソ羨ましい……っ!)
全てのイヌから熱烈な視線を受ける魔王にジェラった者達は、魔王に直接文句を言えるはずもなく、手が痛むのも構わず床を激しく叩いて昂った感情をなんとか抑えようと必死だ。
最近はちょっとアレだけれど、理性の申し子と名高い筆頭だけは、床に突っ伏すことなく、その光景を見ていた。
……いや、行動が他と違うだけだ。
胸を押さえ食いしばった唇は裂けて血が流れている。
決して平気では無さそうだ。
放っておいたら血涙を流しそうな勢いである。
コレはまずい。
こういう時に立ってこそ、一国を統べる王である。
そう己を奮い立たせた王は、魔王へ一歩近づき、ようやく言葉を発した。
「召喚されし者よ。
其方は……勇者であられるか」
しゃがんでイヌ達と視線を合わせていた魔王に、一応念のため、万が一もあるかもしれないと、勇者かどうか、王は問うた。
魔王か聞いて肯定されてしまった時に、膀胱が決壊する恐れがあったからではない。
全くの人違いだった時、突然魔王呼ばわりされるよりも、勇者と勘違いしていた方が、角が立たない。
処世術というやつだ。
多分違う。
「私はさる高貴な御方に使われている、従僕だ。
よくお嬢様には、駄犬、と呼ばれている」
批判や罵倒する際の言葉だろうに、酷く嬉しそうに魔王改め、駄犬は言った。
その言葉に、現場は混乱した。
とりあえず。
この人は魔王ではない。
しかし……またイヌを召喚したのか、コイツ……
口にはせずとも、筆頭に向けられた眼差しには、そんな言葉が込められていた。




