わんっわわわんっ!
振動と共に、天井からパラパラと埃か石かが落ちてきた。
前国王から仕えている宰相は、幼い頃の王の姿を思い返していたのだろう。
焦ったせいで、幼少期の呼び方になっていた。
この春に側近へと召し上げられた側仕えは、決して多くはない、しかし大切な思い出を振り返り、涙した。
その悲痛な叫びを咎める者はもう、この世には、ない。
……なんてこともなく、呆けた顔で、相変わらずそこにいた。
思わず、何で無事なの? と言いた気な視線が、一斉に国王へと向けられる。
「や、アンタなんで無事なんスか」
つい、筆頭が皆の心の声を代弁するかのように、不敬この上ないセリフを吐いてのけた。
無礼者、場を弁えろと普段なら叱責の一つや二つ飛ぶのだが、そのセリフを言う立場の者達は、何より王が無事であることを喜び、そんなタメ口は些細なことだとスルーした。
視線が合った王と筆頭は、同時にフェンリルの方へと顔を向ける。
……腹を、出していた。
ハスキーがしていたように、服従のポーズを、なぜかフェンリルが。
あの神々すら恐れるとされる、伝説の生き物フェンリルが……!
ハスキーが甘えた時のように、舌をへっへっと出して身体をくねらせ、なんだか良い笑顔を向けてくる。
訳が分からない。
しかもシッポを腹側へと丸めて、視線をシバイヌとハスキーから逸らしている。
その行動は、魔物が思いがけず強者の縄張りに侵入してしまった際に見せる行動と、酷似していた。
まさかこの小さな二匹が、フェンリルよりも強いとでも言うのか……っ!?
ハスキーは長い白黒の尾をブンブンと振って、シバイヌはフェンリルの顔に近付き鼻同士をくっつけた。
するとフェンリルもその大きなシッポを振り出し、シバイヌの顔を舐めてみせた。
風圧で燭台が倒れ火事になりかけたのを消し止め、もやしと称される魔導師達が次々に吹き飛ばされ、負った怪我の手当てが終わる頃。
先程までの殺伐とした雰囲気とは一転して、三匹はくっついて中央で寝ていた。
その姿はとても朗らかで、見ている者の心を温めてくれるような空気を広間中にもたらした。
その光景を眺めているだけで、滂沱の如く涙を流し拝んでいるのは筆頭である。
(王から日々申し渡される無茶振りに、ストレス溜まってんだろうなぁ……)
ようやく駆け付け状況が判らない竜騎士と、王と筆頭以外の全員の心が一つになった瞬間であった。
最初の召喚の儀から、幾度も失敗が繰り返された。
(決して、わざとではない)
そう自分に言い訳をしながら、筆頭は今日も魔法陣を広間に描いていた。
その傍らには、初日に召喚したシバイヌ――エミルが寄り添っていた。
ニパッと笑顔をこちらに向けている。
くるんと丸まったシッポは、背中に乗せたまま、ゆったりフリフリしていた。
(なんと可愛いことか……っ!)
床を叩いて思いの丈をぶつけてやりたいが、またつき指をしたら怒られる。
しかしどうしたのかを伺う黒目がちな上目遣いは、指の十本くらい折れたって問題ないさと考えてしまう程に可愛い。
とても可愛い。
可愛すぎて、どうにかなりそうだ。
既に頭がどうにかなっていることを、筆頭本人は気付いていない。
(今朝与えた、ロックバードのササミ肉が好みだったのだろうか。
人が好んで食べるオーク肉は、クセが強くて嗅覚の鋭いエミルには、少々臭かったのだろう。
ミノタウロスの肉も好みのようだが、あれは高い。
ワイバーンなんて、私ですら食べたことがない程の高級品だ。
また竜騎士から横流しして貰えるだろうか……)
そんな感じで、常にイヌのことを考えている。
空に浮かぶ雲を見詰め「あ、今朝のエミルのう〇こみたい」とフフフと微笑みながら言っているのを聞いたメイドが「筆頭魔道士様が壊れました!」と慌てて医療棟へと駆け込み、多くの者の腹筋を崩壊させたのは、記憶に新しい。
一段落つけ、アゴと頭を撫でてやれば、もっととせがむように身体をグイグイ押し付けて来る。
慣れないうちはその意図が分からず、バランスを崩して転んでしまい、ケガをさせたかとエミルを心配させてしまったものだ。
しかし今では、研究の合間の時間を共に過ごすために始めた、気分転換の散歩のお陰もあり、体幹が鍛えられてビクともしない。
軽い運動のおかげで、深く眠れるようになった。
エミルにご飯をあげなければならないので、自炊をするようになり食事を抜くこともなくなった。
とても健康になれたと思っている。
それだけでも、エミルを召喚して良かったと、心から思っている。
「おや、筆頭殿、お早いですな」
「おはようございます、宰相閣下」
跪く必要はないと手で制した宰相の腕の中には、エミルとはまた違った毛質を持つ、ふわふわした巻き毛の、とても小さなぬいぐるみが陣取っていた。
正直、似合わない。
狸爺と影で呼ばれているこの御仁。
このご時世にも関わらず、丸みのある体型に人懐こそうな顔立ちをしていながら、その実、非常に狡賢い。
第一印象は親しみを覚えるのに、一挙手一投足、全てに巧妙な罠を仕掛けているような計算高い人間で、我が国が魔族との戦いに集中出来るのは一重に、この宰相閣下が人間同士の諍い全てを起こる前に沈静化させているからである。
正直、恐ろしい力を持つ魔族よりも、国で最も権力を持つ国王陛下よりも、誰よりも怖いと筆頭は考えていた。
数週間前までは、そう思っていたのだ。
間違いなく。
だが何回目かの勇者召喚の魔法陣にて呼び出された、この宰相の腕の中にいるぬいぐるみ――非常に大人しくしているので、本当にぬいぐるみかのように見える、こちらのイヌを引き取って以降、人が変わったかのように、その性根も柔和になった。
こんな腑抜けた人物になってしまって、人間同士の戦いが起こらないか、最初は不安になったものだ。
しかし「シュティーアたんを戦火に巻き込むようなクソッタレな国があるなら、私の私財全て叩いて集めた全戦力を用いて速攻滅ぼす」と一息でのたまっていたので、問題はないと思う。
瞳孔が完全に開きガン決まりしたその目は、本気だった。
夫婦揃って趣味という趣味がないため、また投資の手腕にも長けているため、宰相の私財は国家予算よりも多いという噂を聞いたことがあるのだが、どうなのだろうか。
国王陛下が愛育しているハスキーも、竜騎士達が面倒を見ているフェンリルも。
国防長官が引き取ったコーギーや、財務大臣を手懐けているチワワ……
沢山のイヌが、この世界に招かれた。
何度も繰り返すが、ワザとではない。
常に緊張していた城内の雰囲気を和らげ、安眠と休息、心の平穏と癒しをもたらしてくれたイヌ達には感謝している。
だが筆頭は、同時に危機感を抱いていた。
自身が可愛がっているシバイヌを腕に抱きながら真面目な顔をした所で、説得力は微塵も無い。
それでも、ちゃんと心では焦っているのだ。
このイヌ達は、内部崩壊を目論み送られてきた刺客ではないか、と。
なにせ国の主要人物全てが、日々その愛らしさに心臓を押さえ悶えては血圧を上昇させ、私財を無駄に消費しては贅沢三昧をさせているのだ。
エミルに買っている肉は、必要経費である。
異論は認めない。
だって国王みたいに北の領地から、わざわざ氷を取り寄せたりしていないし、竜騎士みたいに市場に卸す義務を放棄して、新鮮な方が嬉しいだろうと言って、仕留めた魔物を与えたりもしていない!
宰相のように別邸を建てるようなことも、大臣のように特注した守護魔石を首輪にしたりもしていない!
だってと自分に言い訳をしている時点で、己の行動も贅沢であると認めているようなものなのだが、その事実から筆頭は目を逸らした。
薄給なため自身が食べる肉の量が減ろうと、エミルを飢えさせたりはしない。
それは引き取り、育てる者としての、最低限の使命だ。
そうやってまた己に言い訳をしているが、真面目な話をするならば、国力はまだ安定しているものの、徐々に腑抜けた者が増え、ソレが内政や国防に深い関わりを持っている人物となれば、何か裏があるのではと考えなければおかしい。
なのに誰一人、その考えに至っていないのだ。
その理由としては、仕事は今まで通り、滞ることなくこなしているからだ。
効率が向上したため、時間に余裕が出来た。
だからその余った時間で、イヌ達を愛でているのだ。
何が悪い?
そう言われれば、ぐうの音も出ない。
オンとオフが切り替えられるようになり、メリハリのある生活を送れるようになったのだ。
とても良い事である。
それでも、筆頭は嫌な予感が拭えずにいた。
エミルにベロベロに舐められ、ヨダレまみれの顔になりながら。




