ワォン
聖剣改め聖犬たるシバイヌだが、とにかく、顔が可愛い。
ふわふわで厚みのある耳も良いが、なによりも、つぶらな瞳の上の、この丸い眉毛のような模様が、特に善い。
くりくりとした黒目がちな瞳で見詰められたら、どうにかなってしまいそうだ。
理性が焼き切れ、欲望のままに涎を垂らしながらペロペロしたくなる。
むしろ今すぐ知性の全てをかなぐり捨てて、密集度の高い、あの見るだけでもっふもふだと判る毛皮をまとった、丸みを帯びた臀部に顔をうずめて、そこから伸びるクルリと円を描いた尾に、手を絡めつけたい……
身悶えながら、ハァハァ呼吸を荒らげる筆頭の、血走った目に恐怖を覚えた広間にいる全員が、一斉に筆頭から身体ごと視線を逸らした。
(あんな筆頭、見たことないぞ)
(真面目な奴ほど、タガが外れたら恐ろしいとは聞くけれど)
関わりを持ちたくないと、ヒソヒソ小声で言葉を交わす配下達の声が筆頭に届かないよう、王は鑑定の鏡に映し出されたシバイヌの説明を読み上げるように促した。
シバケンは誤用が広がった呼び名で、イヌという種族は全般、〇〇イヌ、〇〇ケンと呼ばれる傾向にあり、ハスキーもハスキーケンと呼ぶ者がいるのだとか。
同じ響きの言葉とはいえ、イヌとツルギを間違えて召喚してしまう。
大失態だと正気に戻った筆頭は項垂れた。
(どの省略・簡略化した術式が該当箇所なのか、検討しなければ)
術式を書き換えるため、王に願い出て、暫しの待って貰おう。
だが進言をしたら王の口からとんでもない言葉が出てきた。
「え、いいんじゃない? このままで」
「なんでだよっ!?」
プライベートな時間でのみ許される、学生時代のノリがつい、出てしまった。
(失態に続く失態を重ねてしまった……)
そう青褪め反省する傍らで、人前で膝を折るなんて決してしてはならない。
感情を表面に出してはならないと、口を酸っぱくして言われ続けていた王が、被っていた仮面を脱ぎ捨てた。
とてもリラックスをした……もしかしたら、筆頭の前ですら見せないような、素の表情が、そこにはあった。
「宰相や大臣ですら、少年のように楽しそうに駆けて、ハスキーを追い回していたであろう?
そして今は、お主や騎士が皆一様にシバイヌに心を許している。
前国王の……いや、もっと古い時代から続いている戦いに、我等は疲弊している。
今我々に必要なのは、こういう、癒しというものなのかもしれぬ」
「……勇者召喚の陣が、私達に必要なものを召喚対象に選んだと?」
「そこまでは言っておらぬ。
どうせ効率を最優先するあまり、お主が術式を削り過ぎたのであろう?」
事実その通り過ぎて、ぐうの音も出ない。
筆頭本人は自覚していないが、頭は良すぎる程に良いのに、ウッカリをやらかすことが多い。
普段は周囲のフォローがあり、失敗することは無い。
しかし今回は早急に行うように王から直接命令を賜った。
そのせいで、同僚達のチェックがなされなかった。
……いや、一つだけ。
部下達が描いた、勇者召喚の魔法陣が、ある。
「魔力の残りを考えても、この魔法陣を起動して今日の勇者召喚の儀を終えるとしよう。
やってくれるか?」
「お望みとあらば」
ハスキーと戯れて、デヘデヘと相好が崩れまくっていた王は、瞬時に再び王としての仮面を付け、君主然とした態度で筆頭に向き直った。
跪いて命令を受領した筆頭は、三度、魔法陣に向き直る。
立て続けに三度も行えば、目新しさを感じることもない。
そのはずだったのに、部下達が描いた魔法陣は、どこかおかしかった。
魔力を吸い取られる量は、だいたい同じくらいだ。
問題ない。
だが、なんとなく、前二回とは違う感覚がした。
何が? と問われれば、表現するのが難しい程に、些細な違和感でしかない。
だが光が収束し、召喚されたモノの姿を見て、その違和感は確信へと変わった。
「……フェン、リル……?」
紛うことなき、魔物だ。
フェンリルとは、別名で悪名高き狼や、沼に棲む獣等と呼ばれる、神々を飲み込み世界に災いをもたらすとされている、巨大な狼をさす。
その姿は神々すら慄き、封印をするために鉄で作られた鎖すらも易々と引きちぎる。
遂には神を食い殺してしまった。
そんな伝説を持つ、魔族に使役されている魔物である。
大きいはずの魔法陣が小さく見える程の巨躯は、全身長い毛で覆われ、狼の特徴が確かにある。
鋭い眼光に一つ睨まれれば身体から力が抜け、その大きく開く口から覗く牙は、命乞いをする暇も与えずこの場にいる者を全員、その胃袋に収めてしまうことだろう。
圧倒的な強者。
暴力的の象徴。
騎士の胴体よりも太く、逞しい前足が一歩、前へと出た。
召喚者に逆らえないようにする術式は、一切削っていない。
問題はない。
……その、はずだ。
イレギュラーなことが起きすぎていて、自信が削り取られている筆頭は、フェンリルが歩みを進めた先に気付き、慌てて走った。
その行動に、正気を取り戻した、他の者達も続く。
この場にいた、全員が油断をしていた。
二回立て続けに、小さい癒し系のイヌが召喚されたのだ。
(次はどんな愛らしいイヌが出てくるのだろう!?)
そんな期待があったため、前のめりになっていた王を、誰も咎めなかった。
そのせいで、先程までハスキーとモフって戯れていた王に、護衛が一人としてついていない。
「陛下!
逃げて下さい!」
恐怖を追いやり、なんとか掠れた声は出たが、王には届いていないのか。
ハスキーをその腕に庇うように抱いたまま、動かなかった。
正確に言うのであれば、王は腰が抜けて、動けなかった。
王位を賜りまだ一年と少し。
書類仕事に忙殺され、戦の場に立ったことはない。
幼少期に戦線の後衛へ、物資支援の部隊と共に激励に赴いたことがあるだけだ。
巨大な魔物をその目で見たことが、一度も無かったのだ。
伝説にある魔獣となれば、制御の効果が減少している恐れは、大いに有り得る。
それでも「止まれ!」と一縷の望みをかけて、筆頭は繰り返し叫んだ。
無情にも、フェンリルは二歩目を前へと繰り出し……その足が、地に着く前に、小さな影が王とフェンリルの間に割って入った。
「ヴゥ〜……ワンっ!」
先程召喚した、シバイヌだ。
そこにスルリと王の拘束から抜け出たハスキーも参戦した。
威嚇をしているのだろう。
しきりにフェンリルを吠える。
吠える姿は凛々しく、唸り牽制する姿は王を必死に守ろうとしている。
一時間にも満たない、僅かな時間の触れ合いしかしていないのに……!
感動し恋する乙女のように、頬を赤らめ蒸気させる王とは真逆に、筆頭は奥歯が割れて砕けんばかりに嫉妬していた。
「ちょっ、お前、ソコ替われ!」と首根っこ掴んで放り捨てたい気持ちになった。
忠誠や忠義なんぞ知ったこっちゃない。
友人だろうが幼馴染だろうが関係ない。
私だってあの小さくも凛々しい、可愛さが天元突破した背中に護られたい……!
何より感涙している暇があるなら、さっさと逃げろと怒鳴ってやりたい。
しかしヘタなリアクションを取って、二匹のイヌに釘付けになっている視線が、別に移ったら困る。
とてもじゃないが、動けない。
どうするべきか……
今すべきことは何か……
ジリジリと、焦燥感だけが募る中動いたのは、フェンリルだった。
マズい。
様子を伺うのではなく、次の行動に出られる前に、対抗策を練るべきだった。
視線は二匹に移っていたのだ。
せめて王を、不敬だろうが引きずってでもこの場から退場させるべきだった。
そう後悔を滲ませた側近達の心境も知らず、王は二匹がフェンリルのその逞しい腕に潰されてしまうのではないかと、考えた。
そしてあろうことか、二匹を庇うように覆いかぶさったのだ!
御身を何よりも優先しなければならない立場にあるのに、何をしているのか!?
そう叱責する間もなく、フェンリルの前足が高く持ち上げられた。
先程と違い、歩みを進めるためのものではない。
ザッと血の気が引いた側近達は、どう考えても無事では済まないと分かっていながら、口々に悲鳴を上げるように王を呼んだ。
「陛下!」
「王!」
「殿下!」
ドスゥン……ッッ!
皆の叫びをかき消すように、重たい物が地面を揺らす、音と衝撃が広間に響き渡った。




