ワンワワン
勇者召喚の際に気を付けなければならないのは、魔法陣を起動させるために必要な魔力が、正しく順番通りに術式の上をなぞることだ。
術式から外れれば魔力が暴走し、召喚が失敗に終わる。
最悪暴走した魔力によって、王宮が吹き飛ぶことになる。
概算すると、簡略化した魔法陣ですら、魔力の暴走が起きれば、降臨の間くらいなら、平気で消し飛ぶ。
だからといって、慎重に事を進めようとすれば、無駄な魔力を消費することになり、一度の召喚にかかる魔力量をせっかく削ったのに、意味が無くなってしまう。
正確、かつ迅速に。
それが出来る人物……というか、そんな度胸があり責任を持てる立場にあるのが、一人しかいない。
いつも通りの貧乏くじを押し付けられた筆頭は、バルコニーから降りてきてしまった王に視線で促され、最も安全なBマイナス評定の魔石が置かれた魔法陣に向かい、自身の魔力を消費しながら呪文を唱える。
今まで複数人で儀式を行っていたのは、同時に魔力を込めなければならない術式の部分があるからだ。
しかし魔力には、どうしても相性がある。
その善し悪しを考えずに済む魔石を使うことで、消費する魔力も、拘束される人員も、削減することができた。
術式を単純化させたのも、功を奏した。
複雑なままだったら、魔石があと二つは必要だっただろう。
また魔法陣に刻む術式を、術者が唱えることで簡略化を行った。
ようはこの魔法陣を起動させるために乞い、願う、その相手――神に祈りが届けばいいのだ。
魔力を込め、祈りの言葉を詠唱し、魔法陣に間力が満ちていく。
淡い光が、魔法陣の輪郭をなぞるように、ゆっくりと床の上を曲線を描いて滑る。
その輝きに誘われるように、魔石がサラリと音もなく崩れた。
金色の粒となった魔石は、筆頭が込め続けている魔力の光と共に、魔法陣の上をクルクルと螺旋を描くように踊る。
集中するため筆頭の目はキツく閉じられており、額には珠のような汗が浮かんでいる。
このような筆頭は、誰も見たことがなかった。
想定にはないことでも起きているのではないか。
しかし召喚の間にいる全ての者達は、心配以外に出来ることはない。
詠唱の最後の言葉が筆頭の口から出たその途端、カッと眩い光が広がり、誰もが反射的に目を閉じた。
魔法陣の中央へと、その光を収束する光景を見たのは、ずっと目を閉じていた、筆頭のみである。
その集まった光の中に佇む、なんとも浮世離れした光景を真っ先に目撃したのも、筆頭になる。
「……なんだ、これは……?」
筆頭が、疑問を口にするなんて、ただ事ではない。
ソレが皆分かってはいるが、生憎、赫赫たる光の渦によって潰された視界が、未だに回復出来ずにいる。
「何があった!?」
いつもなら考える余地など要らないという様子で、どんな質問にも即答をする筆頭からの、言葉が返ってこない。
狼狽えないよう、キツく指導されてきた王ではあるが、この時ばかりは慌てふためき、残像が早く消えるようにと瞬きを増やし頭を振った。
色が反転し、ボヤけた影が残る世界が、徐々に晴れていく。
床に座り込んだ筆頭の奥、魔法陣の中央にあったのは、筆頭に召喚するように命じた、聖剣ではない。
無機物ですらなかった。
白と黒の体毛を持つ、小型化した魔物のようなシルエットの……生物だった。
「なんだ、こやつは……」
王の疑問に答えるため、控えていた魔道士が、まだ視界が霞んではいるものの、慌てて鑑定の鏡をその生物に向けた。
映し出されたその姿には、見慣れぬ言葉がズラズラと並んでいた。
要約するのが難しい。
攻撃力や防御力、俊敏さの数値としては、魔物の幼体と同じか、項目によっては劣ること。
異世界の地名と部族の呼び名が由来の種族名であること。
他にも寒冷地における長期間の任務に適した体躯をしていると書いてある。
とてもじゃないが、この小さな身体にそんな能力が秘められているとは思えない。
スウッと伸びた鼻は、周囲を警戒しているのか、忙しなく動いている。
閉ざされた口元には、牙が見えない。
その中にしまい込められる程度の、小さなものなのだと予想出来る。
アイスブルーの瞳は美しく、その周囲は黒い毛によって覆われており、キリッと格好良く……見ようによっては、怖いと印象を受けるだろう。
迫力はある。
しかしいかんせん、身体が小さい。
体高何mもある魔物を見慣れているせいで、六〇cmもないその身体は、非常に頼りなく見える。
聖剣を喚び出すはずだったのに招いてしまったこの生物は、一体何者なのか……?
まさか、勇者ではあるまい。
イヤ、しかし、万が一と言うことも有り得る。
簡素化したとは言え、勇者召喚用の魔法陣を使ったのだから。
「勇者様、でいらっしゃいますか……?」
「わんっ!」
筆頭は意を決して、目の前の生物に尋ねる。
しかし返された言葉が、全く理解出来ない。
ランランと輝く目と、ブンブン振り回される尾の様子から、敵意がないことはよく分かった。
しかし魔力を減らした弊害か、魔法陣を簡略化し支障が生じたのか、異世界から招いた者に適用される、言語の自動翻訳機能が、この召喚者に適用されていない。
意思疎通の重要さは理解している。
だから術式を解読した範囲で、削っても良いと判断した箇所には、翻訳は含まれていない。
別の魔法陣を確認しみるが、やはり翻訳機能は問題なく作動するように描かれている。
口火を切った筆頭に続いて、他の者も首を傾げながらも質問を次々にしだした。
しかし成果は、得られない。
顔を見合せていたら、皆の視線が外れたことで、スキをついたのだろう。
その四足獣が、王に向かって駆け出した。
まさか勇者や英傑を召喚するはずの魔法陣で、王の命を狙わんとする、刺客を王宮内に招いてしまったのか!?
殺気も剣呑な雰囲気も一切感じられなかったのに!?
だとしたら、かなりの手練ということだ。
一拍遅れて反応した騎士達が王の前に躍り出ると、四足獣は軽快な足取りでバックステップを踏んだ後、尻を高く揚げふりふりと尾を振り、注意が散漫になっていたサイドへと回り込んだ!
そして王へと躍りかかり……真っ赤な大粒の宝石が輝く、金で作られた王冠をパクリと咥えて持っていってしまった。
距離を取ると、ブンブン自身の頭ごと豪快に王冠を振り回す。
ポーンっと放り投げ、ソレを走ってジャンプして、空中でキャッチした時には、観衆から思わず拍手が贈られた。
それに気を良くしたのか、段差のある広間中を駆け巡り、何度も階上から勢い付けて投げては、階下へダッシュしその勢いのままに口で受け止めた。
……まるで我が子の、幼い時分のようだ。
子供のいる年長者はいつしか心を和ませ、穏やかな気持ちでその様子を見守っていた。
が、テンションが上がりすぎた四足獣は、足元が疎かになったのだろう。
段差につまずき、ズシゃぁっ! と横這いに転倒してしまった。
誰も動けない、暫しの沈黙の後。
ヨロヨロと立ち上がった四足獣は、羞恥心を振り払うように全身をブルブルと震わせ、四肢をググッと前後に大きく伸ばし、無遠慮に大口を開けて欠伸をしたあと、「アヮワゥ……」と言い訳でもしているかのように、口をもごもごと動かしながら、耳を伏せ、チラッチラッとこちらの様子を伺いつつ、スッタカタ〜っと軽い足取りで召喚陣の中央へと戻った。
そして召喚してすぐの時と同じような、キリッと精悍な顔付きに戻った。
王冠を投げて遊んでいた時のような、だらしない口元も、楽しそうに見開かれた目も、見間違いや幻の類いだったのではないかと錯覚しかねない程に、引き締まった表情をしている。
その自然で堂々たる姿は、さも「私は今召喚されたばかりです!」と主張している。
誰もがそう言っているように聞こえた気持ちだ。
念話でも受信したのだろうか。
「こいつ……コケたこと、無かったことにしてません?」
デリカシーの無さでメイドの中の評判が群を抜いて悪い、騎士の一人がそう言った。
(あ、言っちゃった……)
その騎士以外の心の声が見事に重なる。
こちらの言葉を理解しているのか、動揺したように召喚者は目を泳がせ顔を逸らした。
あまりにも人間じみたその行動に、思わず笑みを浮かべ、堪えきれず吹き出す者もいる。
こんなほのぼのとした雰囲気が城内に漂うのは、一体、いつぶりだろうか。
「こやつの名は……なんと言ったか?」
こんなマヌケな生き物が、勇者であるはずがない。
しかし一方的に招いた責任がある。
面倒を見なければなるまい。
何より、数々の死線を潜り抜けてきた、強靭な精神力を持つ騎士や兵士を相手にして、笑いをもたらすような愛嬌のあるものだ。
見た限り、脅威になり得るような箇所も見受けられない。
ならばマスコットのような位置付けで役職を用意し、手厚く保護をして、皆の癒しとなって貰えたら有難い。
そう考えた王は、鑑定の鏡を持つ魔道士に尋ねた。
「はい、こちら……シベリアン・ハスキーというそうです」




