わんわん
感慨深そうに、降臨の間、その中央に描かれた魔法陣をバルコニーから見下ろす姿があった。
その頂きには、まだ違和感を覚えざるを得ない、不似合いな王冠が被せられている。
王位を継いで、まだ一年と半年。
政務は周囲の助力もあり、なんとか体裁を整えられている。
しかし舐められないようにと偉ぶった態度は、微笑ましいものにしか見られない。
仰々しく尊大な口調は、舌をもつれさせることが時折ある。
その姿は臣下の忠誠心が問われると同時に、表情筋と腹筋を鍛えてくれるものとなっていた。
そんな年若き国王が、まだ王位を継ぐ前から推し進めていた計画が、古文書にあった勇者召喚の儀の再現である。
異世界から招いた人々は、この世界にはない特異な知識によって、その時代ごとの苦難を救ってくれたとされている。
成人をする前に王の座を父から押し付けられた国王は、夢見がちであった。
うら若き乙女が、いつか白馬に乗った王子様が幸せを運んで来てくれるのだと信じるように、見た目は怪しいが心優しき魔法使いが幸運を掴むチャンスを届けてくれるように。
きっと異世界から招いた者が、自分の窮地を救ってくれるに違いないと、盲信していた。
妄信といっても良いかもしれない。
その妄想めいた、国王としてあるまじき向こう見ずな考えに付き合わされているのが、国王と幼少期からの腐れ縁である、筆頭宮廷魔道士だ。
元戦争孤児だが、養護院時代から才能の頭角を表し、あまりの天才振りに貴族が養子縁組を申し入れ、転入という形で在籍することとなった学校で、たまたま同学年だった王太子に気に入られ、以降、ずっと腐れ縁の如く付き合いが続いている。
その縁あって、宮廷魔道士に引き立てられ、王子が王位を嗣した際には、爵位がなければろくに話も出来ないからと、王の権限によって叙爵まで賜った。
ある意味、シンデレラストーリーの主人公と言える。
その実は、王の無理難題に振り回される、不憫な子。
周囲にはそう思われていた。
その気の毒な環境を更に酷いものにしていたのは、他でもない筆頭宮廷魔道士本人なのだから、致し方なしとも判断されているが。
なにせ、筆頭が優秀過ぎた。
「魔法陣を描くのに三日三晩かかる?
簡略化しろ」
そう命じられれば二日に押さえた。
「勇者を喚ぶのに贄が必要?
ならん。
国を救うのに国民が犠牲になるなんて、あってはならにゅことだ。
必要なエネルギーを減らせ」
「私が犠牲になるのはえぇんか」
その言葉は、飲み込んだ。
さすがに不敬だと咎められる。
そして無理をしてでも遂行しなければ、自分が国民を蔑ろにしているように思われかねない。
必死に削減方法を編み出し、ついでに魔法陣を描くのに必要な日数も、更に減らした。
何百年と歴史のある勇者召喚の儀において、ここまで劇的な変化をもたらしたのは、無知で心を許しているが故に何でも無茶ぶりをする国王と、その要望に応じて形に出来てしまう筆頭宮廷魔道士が、同じ時代、同じ国に生まれたが故だろう。
更に二人がまたまだ子供であるが故の無謀さも、相まった。
歴史を重んじ、先入観に囚われた、良識ある大人だったのならば、成し得なかった功績と言える。
もっと言うなら、長引く魔族との戦争によって、国内の結束力が高く、王宮内に陰謀が渦巻く余地がなかった事。
魔法陣を研究するための予算が、積み立てられていた事。
宮廷魔道部に、優秀な人材が多く集まっていた事。
……様々な要因が揃ってこその結果だ。
幸運が幾つも重なった、とも言える。
とある吉日の日。
二度寝もせずに起きられた国王は、鏡を見て驚愕した。
従者が整えてくれなければ、万年反抗期で常に重力に逆らって爆発している髪が、うるツヤでスルンと頭部の形に沿って下へと流れていたのだ!
久しくどんより曇っていた空は晴れてて、なんと食後のお茶には茶柱まで立った。
(これは吉兆に違いない!)
確信した王は筆頭宮廷魔道士を呼び出し、すぐに勇者召喚の儀の準備をするように申し付けた。
いつもの無茶振りだ。
「王よ……
どれだけ早く取り組んでも、今から準備をするとなれば、召喚の儀を行えるのは夕刻です。
勇者殿を歓待する準備が、間に合いません」
筆頭魔道士は、やんわりと、遠回しに拒否をした。
しかし在学中、王の国語の成績は空欄だった。
通じるはずもない。
「む、それはよろしくないな。
我が国のコケンに関わる。
だが国の問題を解消するのに、勇者の協力は必要不可欠……
おぉ! では、簡易化された魔法陣のリハーサルに、勇者が使う聖剣を召喚しよう!」
また何か言い出した。
国王が机を叩いたことで崩れた書類の山を拾う、宰相や政務補佐官、挙句の果てには御用聞きのため扉に控えている侍従まで、執務室にいた全ての側近が、揃って溜息を吐く。
そして哀れんだ目で、筆頭宮廷魔道士を見た。
これ以上王が暴走して、更なる無理難題を押し付ける前に、王の御前から逃げろ。
そう目で訴える。
その視線の意図を過不足なく受信した筆頭は、「かしこまりました」と命令を受諾し、少々慌てて立ち上がった。
ほんの一秒にも満たない、誤差の範囲でしかない普段との行動のズレ。
その違和感を野生の勘を働かせ見逃さなかった王は、「そうそう……」と何かを思案しだした。
声を掛けられたら、立ち止まらなければならない。
(捕まった……)
そう内心歯噛みをする筆頭は、恭しい態度を崩すことなく「何で御座いましょうか?」と再び跪いた。
「魔法陣の簡略化に伴い、消費する魔石によって喚び出せるものが変わると言っていたな?」
「ええ、理論上ですが」
(……ちゃんと提出した論文に目を通していたのか)
自分の興味がある分野とはいえ、まさか口頭で報告した内容以外も把握しているとは思わなかった。
内心、王を舐め腐っていたために、非常に驚いた。
「最低ランク……では、勇者に授ける聖剣を喚ぶには相応しくないか。
勇者召喚の折に使用するものから、幾段か下げたもので試してみよ」
「……かしこまりました」
再び恭しく一礼した後、筆頭は従者が開けてくれた扉をくぐる。
退室する際に、どうしても頭を下げてしまう平民のクセが矯正出来ないでいる。
そのため、いつもならキロリと睨まれる所だが、今回は憐憫の眼差しを従者から向けられてしまった。
生粋の貴族が、元平民に向ける表情ではない。
今回はそれ程理不尽な要求ではないのに。
心の奥底からそう思っている筆頭は、幼い頃から王の要求に応えることが当然だったために、少々……いや、だいぶ感覚が一般からズレている事に気付いていない。
リハーサルということは、晩餐の前に召喚を終わらせる必要がある。
今回に関しては、報告書の作成まで終わらせねばならない。
また当たり前のように言って退けるが、召喚の儀式に使用される魔石は、不純物の含まれていない、魔力内包量の多いものに限定される。
最高品質のものよりは劣るとはいえ、用意するのですら非常に困難を要する。
二つ返事で受けるようなものではないのだ。
なのにも関わらず、筆頭は王の望むまま、簡略化した魔法陣を儀式の間に描いていく。
描いている途中で、更に省略出来るのではと思いついた。
今描いているものを手本としてまず描き、次に部下へ同じ物を描くように指示し、その間に更にもう一つ魔法陣を描いた。
合計三つ。
ほんの数年前まで、三昼夜寝る間も惜しんで、ようやく描き上げるのが当たり前だった、召喚の魔法陣。
それが半日で、三つだ。
しかも最後に筆頭が描いたものに関しては、一時間にも満たない、僅かな時間で描き上げられている。
(……――これが天才か)
元平民にも関わらず、大半が貴族出身であるどの宮廷魔道士も、筆頭を蔑むような発言も態度も取らない。
相手が子供だからではない。
相手が不憫だからでもない。
実力差を、嫌という程に自覚しているからだ。
なぜそうするのか分からない。
なぜそのような結果になるのかも解らない。
……何一つ、理解が出来ない。
そんな凡夫とは、比べることすら烏滸がましい。
筆頭と同じ境地に至ることを、全ての魔道士は諦めている。
「陛下は勇者様を喚び出す前に、実験を行いたいと仰せです。
質の違う魔石を用意したいのですが、ランクBと、Bプラス、Bマイナスの余剰在庫はありますか?」
魔石の管理棚に最も近い者が小走りで在庫を確認に走った。
しかし残念ながら、希望のものはそこにはない。
「余剰分でなければありますが……」
「たかが実験に使って良いものではないでしょう。
Bランクの空魔石三つならありますか?」
たかがと切り捨てたセリフには、眉を顰める者もいた。
その実験を繰り返し行い、データを積み重ねなければ分からないことは山とある。
だが筆頭の場合は、そうではない。
検証のためではなく、自分の仮説が正しいのだと周囲に示すためのデータ採取のため。
それだけに、余剰変数すら考慮に入れて実験を行う。
仮説と得られる結果が異なることが、ただの一度たりともない筆頭にとって、王のいつもの無茶振りに応え、満足させられる。
ただそれだけのために、貴重な魔石を消費するのは忍びないことに分類されるのだ。
空の魔石を受け取ると、誰もが羨む程に豊潤な自身の魔力を込めて、筆頭は三種類の魔石を、あっという間に用意してしまった。
魔石の特徴を掴み、魔力を込めるための道順を探るためには、繊細かつ緻密な魔力操作が必要になる。
その上多くの魔力を魔石に込める際には、その道順に正しく、一気に、莫大な魔力を叩き付けるように押し込めなければならない。
その魔力が魔石に馴染むまでは、込めた魔力が外に出ないよう、フタをする必要があるのだが、どうしてもその作業をする前に、幾らか魔力は漏れ出てしまう。
一定の品質の魔石を作ろうにも、その漏れ出る量によって、必ず多少なりとも誤差が生じるため、ランクが変わってしまう。
どれだけ研鑽を重ねても、その誤差を埋めることは出来ない。
出来ないとされている。
この、筆頭を覗いては。
余りにも見事な、鑑定の鏡にキッチリ誤差が一〇ずつ表示されている、中品質の魔石。
鼻歌混じりにこんなことが出来てしまう筆頭は、最年少のために奇異な存在として皆の目に映る。
しかし同時に守るべき後輩であり、敬うべき上司でもある。
そのため関係に一線を引けている部分が、宮廷魔道士達にはある。
しかし来年以降、この筆頭に後輩が出来た時。
王や神々を差し置いて、信仰対象にする者が表れやしないか、王へと進言しなければならない魔族への対抗策の提案よりも、余程宮廷魔道士達を悩ませている。




