ワン
全九話のギャグになります。
よろしくお願い致します。
――勇者召喚の儀。
それは古より伝えられし、世界を救いし存在を、異世界からこの世界に招くための儀式である。
幾人もの宮廷魔道士達が、何日もかけて召喚の準備を行う必要があり、高度な知識と技術を要する。
貴重な魔鉱石を細かく砕いた砂で方陣を描き、禊により雑念を祓い、時には命を奪われる程の魔力を込め、ようやく儀式が執り行われる。
時には失敗し、全ての犠牲と代償が無駄になることもある。
それでも幾度となく繰り返されたのは一重に、成功した時の見返りが大きいからだ。
過去には未曾有の大災害を防いだ魔道士を。
数多の魔族を屠り多くの領土を奪還した英傑を。
あるいは世界中で起こった飢饉を解消した聖女を。
勇者と称される者こそいなかったが、召喚されし者達は皆、正しい倫理観を持ち、正義感によって行動をし、世界を良い方へと導いてくれた。
文献によれば、召喚成功の折には神々が祝福してくれたかのように、空は青く澄んで晴れ渡り、召喚陣からは眩いばかりの光が放たれ、儀式の間には神々しい気に満ちていたとされている。
……決してこのような、ドス黒いオーラが広間中に広がり、方陣からは闇が渦巻き、一切の陽の光が遮られ、空は濁り、大地が割れんばかりのおどろおどろしい雷鳴が鳴り響くようなことは書いていなかったし、口伝もされていない。
余りの悪しき光景に、どちらからともなく抱き合った国王と筆頭宮廷魔道士は、魔法陣の中央に蠢く闇を、確かに見た。
……――あれは、魔王に違いない。
口には出せずとも、その場にいる、誰もが思った。
あのように禍々しいオーラを放てるような存在は、見たことがない。
四天王と呼ばれる、魔族の中でも特に悪辣な強さを持つ者達を直に見た時ですら感じなかった、重く伸し掛るプレッシャー。
冷や汗が頬を伝い、呼吸をすることすら忘れそうになる。
「……お前達……殺されたいのか……?」
形が朧気な闇から、腹の底、いや、心臓あるいは脳まで響き渡るような重低音が発せられた。
その言葉が甘いセリフであったのならば、男でもつい想像妊娠してしまいそうになる程に、蠱惑的な音色だ。
しかしその漆黒が紡いだ言葉は、死を予告するものだった。
疑問形ではあったが、あれは確実に「ブッ殺」予告である。
間違いない。
群衆の心を掴むためには、その声を何より磨く必要があると教わった国王は、この時点で「この者には敵わない」と負けを悟った。
更に言うなら、王国に代々伝わる鑑定の鏡に映し出された姿に書かれていた魔王のステータスは、全ての項目において測定不能と出ている。
降臨の間に集められた、宮廷魔道士と近衛騎士が束になっても、適うはずがない。
広間にいる者達は、腰が砕けたようにヘタリ込んだ。
呼吸すら、瞬きすらするのが憚られた。
しかし傍らに寄り添う、フワフワもこもことした毛並みを持つ、つぶらな瞳をした、忙しなくヘッヘッといつも通り呼吸をしている小さき者が、視界に映る。
せめてと思うと、自然と身体が動いた。
なんとか後ろ手に庇う形は取れた。
しかし中には、庇いきれない程の巨躯なものもいる。
肉の壁には頼りないだろう。
しかし意外と俊敏なこの子達のことだ。
初手さえどうにかなれば、生き残れる。
そうある種の願いを込め、彼等なりに慮ったが故の行動であった。
……――自分達の命は潰えても、この子達を巻き込んではいけない。
手前勝手に招いてしまった、この愛くるしい生き物達。
この混沌とした、生きる喜びの少ない世界で、ひと時の安らぎを与えてくれたこの生き物は、勇者に負けずとも劣らず、皆の希望となる。
自分達に、そうしてくれたように。
決してこの子達を、死なせてはいけない。
なんなら王よりも余程、対魔族戦において士気向上のために役立ってくれているのだ。
この場にいるのは家畜並、ヘタをすればそれ以下の扱いを受け、日々残業続きで理不尽な要求を押し付けられている者達ばかりである。
これまでのことを走馬灯のように思い浮かべると、ふとした疑問が生じる。
「国王を差し出して怒りを鎮めて貰えるなら、その方が今後のためにも良いのでは……?」
その考えに至ったのは、一人や二人ではなかった。
魔法陣の中央から発せられる威圧感とは、また違う類の気配に、王は今までにない悪寒を感じた。
しかしその不快感を即座に上書きされる、ゾクリと背筋を走る冷気が、中央の魔法陣から漂ってくる。
朧気だった姿は人の形を成し、瘴気とも言えるその霧は晴れ、召喚された者の全容が、明らかになった。
……全体的に黒い印象は、先程までと変わらない。
闇を纏っているかのように、目の前の人物は上から下まで、黒一色に統一されていた。
ただ全身の毛が総毛立つような、畏怖の感情をうっかり忘れてしまう程に……美しい。
鏡花水月、豪華絢爛、羞花閉月……
ありとあらゆる言葉をもってしても、目の前の人物を表現するには足りなかった。
「……お前達……殺されたいのか……?」
しかし再び、同じ質問がその人物から発せられたことで、その印象は即行魔王へと変換された。
頭を自然と垂れてしまう程の威厳と、この抗いようのない声が持つ力。
しかもこの見る者を狂わせ、惑わす程の美貌。
どれを取っても、この国王に適うはずがない。
むしろ誘われたら喜んで寝返りたいと願った者が、果たしてどれだけこの広間にいたことか……
王の名誉のためにも、それは秘匿しなければならない。
その立場故、誰にも頭を下げることをしない王ですら、地に額を擦り付ける。
そんな誰もが微動だにしない異様な空間の中、周囲を気にも止めず、駆け出す影があった。
それは人類の希望――異世界でイヌと呼ばれる生き物だ。
あのように禍々しい瘴気を放つ魔王に立ち向かうには、全く戦力として足りていない。
牙も爪も、何より体躯が小さ過ぎる。
魔族どころか、魔物にすら敵わないだろう。
一蹴りされただけで、勝負がついてしまう。
そんな儚き存在だ。
しかし一匹が走り出すと、その後を追うように、次から次へとイヌ達は魔王へと向かって行った!
その姿は、正に勇者召喚の儀にてこの世界に招かれた存在に、相応しい勇ましさだ。
しかしそれは同時に、無謀とも言うべき勇敢さでもある。
蛮勇と呼ばれる、向こう見ずと指をさされるような勇気も、時には必要だろう。
だがそれは、今では決してない。
こんな所で、彼等の命を散らしてはならない。
長く続く戦いに疲弊した、人類の胸に希望が灯るような精悍な、その顔付き。
その姿を見た、広間にいる誰もが、胸を打たれたのであろう。
竦んだ足を奮い立たせ、降伏した心を鼓舞し、イヌを止めるため、または魔王に一矢報いんと、足をもつれさせながらも、皆がイヌの背を追い駆け出した。
かけがえのないものを、自分の手で守りたい。
その気持ちが己を強くするのだと、人々は学んだ。
死の淵でその事実を悟るとは、皮肉なものだ。
そして自分にとって、その‘’かけがえのないもの‘’の中には、王は、この国の民草は、含まれていなかったということか。
そう失笑したのは、宮廷魔道士か、近衛騎士か……
「エミル!」
「フリッツ、止まって!」
「アンゲラー!」
「シュティーアたん!」
「ヴォルフ! ハイディ!」
皆口々に思い思いの名を呼んで、自分が可愛がっていたイヌの仮称を呼ぶ。
反応を示した者も、中にはいた。
しかしそれでもイヌ達は振り返らず、足を止めることもなく、一直線に魔王へと向かう。
その様子を見た魔王は、懐に手を差し込み、何やら緑色の細長い、見慣れぬものを取り出した。
あれは、まさか……
「小型の魔導兵器か!?」
その声に身体が強張り硬直した者を、誰も責められない。
魔族が使う魔導兵器は、人間が使う魔道具とは一線を画す、威力もその範囲も比べ物にならない程に優れたものだ。
つまり、殺傷能力が高い。
トラウマを植え付けられる程に。
何人殺され、何百人が戦線離脱を余儀なくされたことか……
幾度となく辛酸を舐めさせられ、苦渋を味合わされた記憶のせいで、足が止まった。
そしてイヌとの距離は広がり、代わりに魔王とイヌはもう、手が届く範囲にまで届きそうになっている。
「待って!」
「待てっ!」
悲痛な叫びと同時に、魔王の口から同じ言葉が出た。
いや、魔王のそれは命令形だが。
訝しげな視線が、魔王と、イヌに集中する。
イヌの視線は魔王……を通り越して、その手元にある魔導兵器へと油断なく注がれている。
油断なくというよりは、期待に満ち満ち溢れた目と表現すべきだと感じるのは、気のせいだろうか。
そして他でもない、魔王の剣呑な雰囲気が、イヌ達へと向けられる視線には全く感じられない。
むしろこの上なく慈愛に満ちている。
これは一体全体、どういうことなの!?
混乱する中、皆皆がこの数ヶ月の、限りなく濃密な時間を振り返った。




