↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/106

迷ひ猫 参

「ひぃ、ひぃ……やっと着いたぁぁあ!」


真壁はサドルなし公用ママチャリを駐車場の隅へと投げ捨て、ミィちゃんを連れて息も絶え絶えに幽霊社会復帰課のオフィスへと駆け込んだ。


しかし、重い鉄扉を開けた先に広がっていたのは、完全に静まり返った無人のオフィスだった。

壁の時計の針は、18時00分を指している。


「誰もいない……!? うそだろ、普通は18時15分(定時)まで残るだろ!! あの酒乱達め、18時ジャストになった瞬間に職務放棄しやがったなチキショー!!」


真壁が不条理への怒りを募らせた、その瞬間。

ドガァッッッ!!!

「いっ、いってえええええええーーーーーっっっ!!!」

真壁の右の脹脛(ふくらはぎ)に、この世のものとは思えない激痛が走った。ミィちゃんの放った、完璧な軌道の『カーフキック』が冴え渡ったのだ。


「痛い! 痛いよミィちゃん!!」


「猫は気が短いニャ! 烈子はどこニャ!!」


ドガッ! ドガッ! と容赦なく蹴り込まれるカーフキック。少女の姿ゆえに威力こそ控えめだが、あの鬼怒川烈子と全く同じ、無駄のない骨を断つキレ味である。


「ちょっ、タイム! タイム!! ミィちゃん待って! 今確認するから!!」


真壁は涙目でスマホを引っ掴み、栞からのメッセージを確認した。


『課長が「もう18時じゃい! ビールがワシを呼んどるわい!」とぐずるので、いつもの居酒屋に行きます』


「烈子はどこニャ! 栞にも撫でてもらうニャ! 」


「痛い! 痛いって!! ミィちゃん!! すぐ会えるから、少しだけ許して! マジで軸足が破壊されて歩けなくなるから!!」


「黙るニャ! 騙したニャ、真壁!! 烈子がいるとか言って、ワタシをこんな薄暗い地下に連れ出して、薄い本みたいにイタズラするつもりニャ!? 同人誌の薄い本みたいにぃぃいいいっ!!!」


「しない! しないって!! 誰が100歳の妖怪にそんなことするか! やめて! や、やめてぇぇえ!!」


「──真壁君……」

冷気。

地下オフィス全体の温度が、一瞬でマイナス40度まで急降下したかのような、絶対的な「死の気配」が背後から漂ってきた。


「……その女……誰かな? かな……?」


最悪の、これ以上ないほど最悪のタイミングでオフィスの入り口に立っていたのは、市役所屋上にある『幽霊成仏課』の職員であり、真壁の同期──そして、真壁への歪んだガチ恋フィルターを全開に拗らせているガールフレンド(※お付き合いはまだしていない、極めてプラトニックな関係である)、聖魔子(ひじり まこ)だった。


魔子の瞳からは完全に光が消え失せており、その手には、カルト宗教戦でも見せなかった禍々しいオーラを放つ『成仏用呪術鉈』が握られていた。


泥まみれで股間を濡らした男。

地下の密室。

少女の姿をした猫又。


(あ、終わった……)

これから起こるであろう、説明不可能な超面倒くさい大惨事を前にして、真壁は脳のブレーカーを落とし、完全に考えることをやめたのだった。


「真壁! この女は誰ニャ!? 真壁、答えるニャ!!」


ドガッ! ドガッ! と、真壁のボロボロのふくらはぎへと容赦なく叩き込まれ続けるミィちゃんのカーフキック。


「真壁君……? この、無駄に男を惑わすような媚びた語尾のメスガキは、一体誰なのかな……かな……?」


ヒタヒタと影を這わせ、真壁の首元へガチで突きつけられる魔子の鉈。


(あ、死んだ……。僕の公務員人生、ここで完全に終わったんだ……)

真壁が天を仰いだその瞬間。

ピキィィィンッッッ!!! と、真壁の頭上で凄まじい火花が散った。ミィちゃんのカーフキックと、魔子の鉈が同時に引っ込み、二人が互いを最大級の警戒度で見据えて構え合ったのだ。

霊感の高すぎる真壁の目には、はっきりと視えていた。


魔子の背後には、禍々しい漆黒の怨念を纏った『狂乱の竜』が。

そして少女の姿をしたミィちゃんの背後には、四十の尻尾を逆立てた『白虎』が。


二人の奥で、完全に竜虎が相打つ幻影が視える。


「この泥棒猫がァァァッッ!! その生意気な生皮、綺麗に剥ぎ取って三味線にしてやるんだからッッ!!」


「うるさいニャ! ションベン臭い男に執着するしか能のない小娘が!! そのツラ、原型がなくなるまで引っ掻き回してお嫁に行けなくしてやるニャァァアアッッ!!」


「あわわわ、まずい非常にまずい!! こ、ここは僕が男として止めなきゃ……。でも、こ、怖すぎるよぉぉぉ!!」


ギシギシギシ……ッ!!!

二人が放つ凄まじい闘気がぶつかり合い、コンクリート造りの市庁舎全体が、まるで震度4の地震のようにミシミシと不気味に震え始める。


『シャァァァアアッッッ!!!』

ミィちゃんが猫特有の低い獣の構えから、十本の爪をナイフのように鋭く伸ばして飛びかかった。

ガキィィィィンッッッ!!! と、魔子の鉈とミィちゃんの爪が激突し、地下オフィスに激しい火花が飛び散る!


「あばばばば!! こ、こんな野生の超獣大決戦に僕みたいなネズミが飛び込んだら、一瞬でバラバラに刻まれてサイコロステーキになっちゃうよぉぉおおお!!」


「……へぇ、なかなかやるわね、妖怪の癖に!」


「お前こそニャ! 人間の小娘にしちゃあ、いい太刀筋だニャ!」


「「次は──確実に仕留めるッッ!!!」」


二人の殺気が限界を突破し、オフィス全体が爆発するかと思われたその刹那。


ゴンッッ──プギャッ。

空間に、あまりにも短く、あまりにも情けない、二つの悲鳴が同時に響き渡った。


「あうん? 居酒屋へ行く途中で財布を忘れてオフィスに戻ってきたらよぉ……。ギャンギャンと盛りのついた野良猫が騒いでると思ったら、聖の淫乱熟女の娘っこと、師匠のところのミィじゃねえか……。ひっく」


煙の立つ両拳を握りしめ、影からゆらりと現れたのは、顔を真っ赤に染めて思いっきり千鳥足の鬼怒川烈子課長だった。


その足元では、頭に饅頭みたいにデカいタンコブを作った魔子とミィちゃんが、同時に白目を剥いてドサリと床へ倒れ込んでいた。ミィちゃんにいたっては、烈子の一撃の衝撃が強すぎて、人間の少女の変化が強制解除され、ただの三毛猫(白目)に戻ってピクピクと痙攣している。どれだけ闘気を高めようが、泥酔したメスゴリラの物理補正の前には無力であった。


「か……課長ぉぉ〜〜〜(救いの神だぁぁあ)」


真壁が涙を流して烈子を見上げた、次の瞬間。


「あ゛あ゛ん!? 真壁ぇ! お前、ワシがいない間に職場で何パコパコと女囲んでハーレム作っとんじゃワレェェエエッッッ!!」

ゴンッッッッッ!!!!!

「あべしっっっ!!!」


烈子課長の繰り出した、本日最高値の威力を叩き出したツッコミのゲンコツが真壁の脳天へ直撃し、彼の意識は今度こそ深い、深い闇の底へと沈んでいくのだった──。


「はっ……!!」

真壁はガバッと跳ね起き、大急ぎで自分の頭を両手でさすった。


「い、痛たたた……! 良かった、脳みそ陥没してない! 生きてる……僕、まだ生きてるよぉぉおお!」


涙を流して自分の生存を噛み締めた真壁だったが、視線を上げた瞬間、その顔から一切の血の気が引いた。

彼の目の前には、文字通りの『地獄』が広がっていた。


オフィスで繰り広げられていたのは、鬼怒川烈子課長、此花栞さん、そして頭に特大のバカデカい絆創膏を貼られた魔子ちゃんとミィちゃん、さらにはプリンちゃん率いる二十匹の猫又たちによる、狂乱の『大酒盛り』だった。


床には特上寿司の空きトレイがピラミッドのように積み上がり、一升瓶とストロング缶の空き缶がゴロゴロと転がっている。


「〜〜〜♪ 歩兵の本領ここにありぃぃ〜〜〜ひっく!」

真っ赤な顔をした烈子課長が、すっかり調子の外れた大音量の軍歌を気持ちよさそうに歌い上げ、その横で事務員の栞さんが、真顔のまま割り箸をデスクにベシベシと叩きつけてカチャカチャと拍子を取っている。


さっきまで殺し合いのキャットファイトを展開していたはずの魔子とミィちゃんにいたっては、なぜか肩をがっちりと組み、腕をクロスさせて互いのジョッキを持ち合う『海賊飲み(交差飲み)』で爆笑しながら酒をあおり、その周りで尻尾が二本の猫又たちが狂ったように踊り狂っていた。


「地獄の盆踊りだ……。これ、絶対に現世の一般市民に見せちゃいけないタイプの百鬼夜行だ……」


「本当にねぇ? でも、とっても賑やかで楽しいわねぇ」


「ひゃんっ!?」

真壁のすぐ隣から、聞いたことのない、のんびりとした老婆の声が聞こえた。


慌てて横を向くと、そこには見知らぬおばあちゃんがチョコンと座り、日本酒を一升瓶ごとラッパ飲みしていた。


「え? 誰!? 怖い!! ……も、もしかして、ミィちゃんの飼い主さん……!?」


「ええ、ええ、そうですよ? ミィちゃんのママ(飼い主)ですよ」


「ええっ!? なんで!? なんで一般人のおばあちゃんが市役所の地下の魔窟にいるの!?」


「ふふふ、ミィちゃんにお呼ばれしてねぇ。今日はこんなに素敵な『楽しい夢』が見られてますよ」


そう言って、おばあちゃんはトトト……と、夢心地の笑顔のまま再び日本酒をご機嫌に煽るのだった。


(はっ……!! なるほど……!)

真壁の脳裏に電流が走った。

まだらボケの始まっているおばあちゃんの脳のバイパスを逆手に取り、これは「ただの楽しい夢」だと思い込ませた上で、霊界の周波数に合わせてオフィスの酒盛りに招待したのだ。これなら、おばあちゃんの現世の精神を壊すことなく、妖怪となったミィちゃんと直接会話をさせることができる──。


「なんという発想……! なんという天啓……! 流石は栞さんだ! 冷徹に見えてやっぱり一番頭が切れる──」


スパァァァァァンッッッッ!!!!

「ワシの発案じゃいボケェ!!」

すれ違いざまに真壁の頭を引っぱたいたのは、ハイライトを咥えた烈子課長だった。


「え? か、課長が……!? 普段、人を合法的に殴ることでしかエクスタシーを感じないタイプのあのゴリラ課長が、こんなハートフルな作戦を……!?」


スパァァァァァンッッッッ!!!!

「痛いっっ!!」


「二度もワシの美貌をゴリラ扱いすなボケナスビ! ワシは現世随一の美人巫女じゃろがい! 霊感がなくなってもなァ、師匠(プリンちゃん)の妖気と栞のサポートがあれば、文通なしでもこれくらいの『神隠し(夢の境界)』は繋げられるんじゃい!」


そう言ってガハハと笑う烈子課長の後ろで、ミィちゃんがおばあちゃんの膝元へと優しくすり寄っていた。


『ばあちゃん、ワタシ、カリカリが嫌だったのニャ……』


「あらあら、そうなの。ごめんねぇミィちゃん。明日からは、とびきり美味しいご飯にするからねぇ」


人間の言葉は通じなくとも、魂の言葉でお互いの絆を確かめ合った一人と一匹。

ミィちゃんはおばあちゃんの優しい腕にしっかりと抱かれ、名残惜しそうに真壁たちに手を振ると、朝焼けの夢の終わりと共に、優しく自分たちの家へと帰っていった。


──そして、翌朝。


「うぅ……頭が痛い……」

オフィスに残されたのは、デスクの畳の上で「ピーーー、ゴロロロ……」と凄まじい大いびきをかいて爆睡する烈子課長、その横で机に突っ伏して寝ている栞さんと魔子ちゃん、さらには猫又たちが撒き散らしていった大量の抜け毛と、ゴミの山だった。


気づけば、あの山ほどあった特上寿司は、ガリとワサビが悲しく数粒残されているだけ。


「うぅ……ひどいよ……。結局、僕が一番ボロボロになって、一人でこのゴミ屋敷を片付けるなんて……」


真壁は泣きながらホウキを握り、オフィスを虚しく掃除し始めた。


──しかし、この時の真壁はまだ知る由もなかった。

この、猫又たちと課長たちが食い散らかした「総額8万4千円」の無駄に最高級な特上寿司の出前支払いが、栞さんの手によって、【真壁個人のクレジットカード(一括払い)】で決済され、彼の財布が文字通り「成仏」させられているという、現世で最も恐ろしい怪異の結末を──。


「真壁さん、お寿司美味しかったです。領収書はデスクに置いておきますね」


「……え? 栞さん、今なんて……?」


地下オフィスに、再び真壁の絶望の悲鳴が響き渡るのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。