地獄のオーガニック幽霊2
「ご注文はお決まりですか?」
エプロン姿のウェイトレスが、怪訝そうな顔で注文を取りに来た。無理もない。客の1人はスーツをドブとレモンサワーの汁で茶色く染め上げ、小指を庇って震えているのだ。
「私は紅茶をください、ミルクティーで」
栞が淡々と注文する。
「ぼ、僕はブレンドコーヒーをください、アイスで…」
真壁が必死に声を絞り出すと、隣に座る怪物が、メニューも見ずにドスの利いた声を響かせた。
「……ビール」
「お客様、大変申し訳ございません。当店ではお酒を扱っていなくて……」
ウェイトレスが申し訳なさそうに言った瞬間、店内の空気が一瞬で氷点下まで吹き飛んだ。
「あ゛? お前……? 今なんて?」
(やばい、課長がキレそうだ……!)
真壁が身の危険を察知した時には、すでに遅かった。
課長は懐のポーチからハイライトとジッポーライターを取り出した。そのまま、スーツのパンツにライターを擦りつけるようにして蓋を開け、戻す力でフリントを回して火をつける。その間、わずか0.4秒。流れるような早業でタバコに火が灯る。
「お客様! 当店は全席禁煙ですので、ご遠慮ください!」
ウェイトレスが悲鳴に近い声を上げた。
ガシャアアアン!!
閃光のような課長の手刀が、木製のテーブルを真っ二つに引き裂いた。
お冷のグラスが宙を舞い、飛び散った水が見事にタバコの火を消火する。
「ここは何屋じゃあ!? 酒も飲めないタバコも吸えない? 何屋じゃ!? 健康を売る健康屋さんけ? あ゛? 真壁! この建物は取り憑かれてるぞ! 健康を売りつけるオーガニック幽霊だ! きっといるぞ、探してこい!」
「真壁さん、課長とこの場は私が抑えますから、早く探してください。厨房が怪しいと思います」
栞がいつも通りの鉄仮面で課長の腕をホールドする。
「は、は、はひぃ……!」
真壁は真っ二つになったテーブルの横で、「私、悪くないのに……」と大粒の涙を流して泣き崩れているウェイトレスを哀れに思いながら、這うようにして厨房へと滑り込んだ。
厨房に入ると、そこには頭を抱えたオーナーらしき男性が一人、コンロの前で震えていた。真壁の姿を見るや否や、オーナーは縋り付くように泣きついてきた。
「市役所の方ですか!? 助けてください! このお店は元々、お酒もタバコも楽しめる昔ながらの喫茶店だったんです! でもここ最近、レトルトのカレーを温めればガス爆発が起き、バイトが2名も肺癌で倒れてやむなく禁煙に……。さらに妻が肝臓を病んでしまい、アルコールも出さないようにしたら、なぜか急に客足が伸びて……」
「はあ……」
「でも、私は昔ながらの喫茶店をやりたいんです! こんな健康第一主義のカリカリの鶏ガラみたいな体型で、頭にバンダナ巻いた目だけ異常にキラキラしたオバさんがやってる、週末カフェみたいな店なんてやりたくないんです!! うっ……心臓が……」
真壁は、オーナーの肩に視線を固定したまま引きつった笑みを浮かべた。
(でしょうね。ばっちり肩に憑いてますもん。その、オーガニックが口癖でカリカリの鶏ガラみたいな体型で、頭にアースカラーなバンダナ巻いた目力強めの幽霊が……!)
「健康が1番! 自然派!オーガニック!ロハスな生活!タバコもアルコールも毒! 不健康は死ね!!」
オーナーの肩の上で、物凄い気迫でキレ散らかしている自然派幽霊。要約するとそういうことらしい。目が合うだけでオーガニックな呪いをかけられそうで怖い。
真壁は目を合わせないように視線を泳がせながら、「はい、はい、左様ですね。おっしゃる通りです」と生返事を繰り返し、懐からメキシコ産の塩を掴み出すと、厨房の四隅に目にも留まらぬ速さでバツ印を描き殴った。
「課長ーーー!! 居ましたァァァアア!!」
真壁の叫び声に応じるように、厨房の扉が蹴破られた。
「あ゛あ゛あ゛ん!?」
現れた鬼怒川課長は、すでにハイライトを3本同時に口に咥え、左手にはマイボトルのレモンサワー(9%)を握りしめていた。歩くたびにドブとヤニの悪臭が漂う、不健康の権化。
「ギャァァァァァァァアアアア!!! 毒の塊!! 汚物!! ロハスじゃない奴は近寄らないでぇぇぇぇぇ!!」
自然派幽霊が、そのあまりに強烈な不健康オーラに顔を歪ませて絶叫する。
「もうカオス過ぎるよ……」
真壁は厨房の隅で頭を抱え、ただ涙を流すことしかできなかった。




