地獄のオーガニック幽霊1
翌日。真壁は執念で、再び白い封筒を懐に忍ばせて出勤した。
今日こそは。今日こそは、この地獄からおさらばする。
「課長……あの、これ。お話が」
真壁がポケットから辞表を覗かせた、まさにその瞬間だった。
ガシッ。
「あぁ?」
鬼怒川課長が、真壁の差し出した右手の小指をノールックで掴み、そのまま。
バキッ。
「ひぎゃあああああああああああああ!!!!」
市役所の地下に、真壁の魂の絶叫が響き渡る。
「あぁ?代わりも見つけてないのに、やめれる訳がねぇだろ?タコ!カス!あぁ?」
課長の目は笑っていない。目の下のクマがドス黒く光っている。
その時、けたたましく黒電話が鳴り響いた。課長が乱暴に受話器をひったくる。
「はいこちら幽霊社会復帰課です! どうしました? 幽霊ですか? 妖怪ですか? ふむふむなるほどですね? すぐに向かいますので〜♡」
鼓膜が破れそうなクソ低音ボイスから、一瞬で鼓膜を癒す4オクターブの営業猫なで声へ。その恐るべきスイッチングの直後、課長は受話器を叩きつけた。
「全員で行くぞ! 市民からの緊急通報だ! 今日は目立たないように、スーツのままで出動じゃい!」
「い、痛いよぉ……小指がぁぁああ! 折れてる、絶対に折れてるこれ!!」
涙目でのたうち回る真壁に、課長の強烈なビンタが炸裂した。
バシンッ!!
「せからしか! 男が小指折れたくらいでピーピーピーピー小鳥のように囀ってからに!ピーはマンするもんじゃろがい?」
課長は真壁の腕を掴むと、力任せにその小指を引っ張った。
パキッ!
「ぎゃあああああ嗚呼あああ!!!」
位置は元に戻ったが、激痛はむしろ倍増。真壁はあまりの痛みにバランスを崩し、よりによって課長席の横にある巨大なゴミ箱へと突っ込んだ。
ガシャーーーン!
ゴミ箱がひっくり返り、その中身を全身に浴びる。
「おえぇ……! ドブと、レモンと、ヤニが混ざった汁が……! おぉえぇええええ!!」
一晩かけて熟成された、課長のエキスとも言える最強の悪臭液体が、真壁のパリッとしたスーツを茶色く染め上げていく。
吐き気を催して四つん這いになる真壁を、部屋の隅から栞が無表情で見つめていた。その瞳は、どこか熱を帯びている。
「……真壁さん、羨ましい」
「どこがですかァァァァァァアアア!!!」
数分後。サドルのないママチャリ(スタンド立ち漕ぎ・スーツ泥塗れ・小指激痛)を死に物狂いで漕ぐ真壁と、それを爆音の改造車で追う上司二人の姿が、街を駆け抜けていった。
たどり着いたのは、街の喧騒から少し外れた、どこにでもある古びた喫茶店だった。




