地獄の呪いの王子9
あの3年前の日を境に、由緒正しい神社の美しい巫女だった鬼怒川烈子の「霊力」は、完全に消失した。
体内に優しく抱きしめて引き受けた、哀れなクソチビどもの魂。彼らが烈子の体内で生き続けるための燃料として、彼女が持つ並外れた霊力は常に底なし沼のように吸われ続けているのだろう。
実体化している特殊な怪異は別として、普通の幽霊はもう見えない、聞こえない。触ることすらできなくなってしまったのだ。
だが、あの日を境に現世は地獄と化した。
両面宿儺が消滅する間際に撒き散らした最悪の瘴気によって、全国各地で眠っていた怪異が一斉に活性化してしまったのだ。
その最たる犠牲者が、烈子の最愛の人であり、当時の上司だった比良坂崇前課長だった。
【猿の亡霊の群れ】に強引に攫われてしまい、数日後に発見された時には完全に精神が野生化していた。
現在も隔離病棟の特殊なベッドに縛り付けられたまま、四六時中ウキウキと叫びながらバナナを求め続けている。思い出すたびに、烈子課長は「あれは傑作だったわい、ガハハ!」と笑い飛ばすことにしている。愛が深いのか雑なのかは誰にも分からない。
野生化してバナナを求めるようになった崇前課長の後を引き継ぎ、烈子は【幽霊社会復帰課長】へと就任した。
そこからは地獄の連日連夜だった。右腕である此花栞、そして同僚の墓間田の3人で、死に物狂いで活性化した幽霊どもを力技で捕まえ、教育し、現世の社会へと無理やり戻していった。
だが、幽霊社会復帰課のトップが「幽霊が見えない」など、役職としての格好がつかない。
そこで烈子が選んだ手段は、あまりにも罰当たりで、狂気じみた生存戦略だった。
「霊力が戻らんのなら、不健康と神罰で無理やり『死の境界』に近づけばええんじゃろがい!」
お地蔵さんを見つけては頭をスパスパと引っ叩くことを日課にし、大量のタバコ(ハイライト)と安酒で健康な肉体を自ら痛めつけ、極限まで死と穢れを引き寄せようとした。美しかった巫女の面影は消え失せ、いつしか現世最強のバイオレンスメスゴリラと呼ばれる不審な公務員へと変貌を遂げた。
それでも──呪いの王子に吸い尽くされる霊力が、元に戻ることはついぞなかった。
そして、その零感のまま、烈子課長は今日まで戦い続けてきたのだ。
「……なるほど。それが貴方が『零感』になった理由ですか、お兄様」
目の前の新たな両面宿儺──教祖の息子が、歪な4本の腕を広げてクククと喉を鳴らした。
「だったら、今の貴方はただの『霊感のないメスゴリラ』だ。私の中にいる何百もの信者の怨念が放つ呪いに、触れることすらできずに腐り落ちるがいい!!」
両面宿儺の肉体から、部屋全体を消し飛ばさんばかりのドス黒い怨念の波動が、烈子課長へ向けて一斉に放たれた。伊地知警部や魔子がそのプレッシャーだけで悲鳴を上げる。
だが、烈子課長は眉を一つ動かすこともなく、ドカドカと、重戦車のようにその呪いの嵐の中を突き進んだ。
完全な零感(霊感ゼロ)ゆえに、相手が放った世紀末級の呪いのプレッシャーを【1ミリも認識できない(効かない)】からだ。
「おい、クソガキ」
烈子課長は一瞬で少年の眼前へと肉薄すると、その太い丸太のような右腕を真っ直ぐに振り上げた。
「ワシはな、幽霊は見えんし聞こえんし触れん。……だがなぁ!! テメェみたいな『実体のあるションベン臭いクソガキ』なら、お地蔵さんより叩きがいがあるから、100億%クリーンヒットするんじゃいァァァアアッッ!!! 歯ァ食いしばれゴラァァアアッッッ!!!」




