地獄の呪いの王子6
「待って、真壁君! 伊地知さん! 課長の背中が見えたわ!」
階段を必死の思いで駆け上がった魔子が叫んだ。
3人が目撃したその光景は、あまりにも奇怪で、あまりにも噛み合っていない地獄絵図だった。
伊地知警部や魔子、そして真壁の目には、ビルの通路を埋め尽くさんばかりの【頭の大きな赤子の怪異ども】が、ギチギチと凄まじい怨念の瘴気を放ちながらうごめいているのがハッキリと見えていた。
だが──。
その怪異の群れのど真ん中を、鬼怒川烈子課長は【霊能力皆無の完全なる零感】ゆえに、1ミリも気付くことなくガン無視で突き進んでいた。
怪異の赤子たちが、烈子課長の体内に宿る神の気配に本能的な恐怖を抱き、「ヒィッ!」とばかりに左右へモーセの海割りのように道をあけていく中、烈子課長は誰もいない(と本人は思っている)通路に向かって、ただただ大絶叫していた。
「おんどりゃァァァアアッッ!!! どこに隠れとんじゃクソカルト共ォォオオッッ!!! ワシの未来の年金を脅かす害虫ども、のこのこ出てきやがれゴラァァアアッッッ!!!」
バゴォォォンッッッ!!!
意味のない八つ当たりが壁を砕く
ズボンを濡らしたままの真壁は、そのあまりの噛み合わなさに、恐怖を通り越して深い宇宙を感じていた。
「おい伊地知ィ! 魔子ォ! 真壁ぇ!」
烈子課長は誰もいない空間を鋭い手刀で切り裂きながら、後ろの3人に振り返った。
「何でお前らそんなにハァハァ息を切らしとんじゃ! 敵の三下1人もおらんじゃねぇか! ったく、お前らの目は節穴かァッ!!」
「「「(お前の目が一番の節穴よ!!!!)」」」
3人の心の声が見事にシンクロした。
伊地知警部などは、怪異を必死の防壁で防ぎながら、あまりの理不尽さに涙目になっていた。
だが、理由はどうあれチャンスだった。
「文句は後だ! 烈子さんの歩くルート(安全地帯)から1ミリもはみ出るな! 逸れたら一瞬で赤子に食い殺されるぞ!」
伊地知警部が叫ぶ。
「真壁君、私の手を握って!!」
「魔子ちゃん! でも僕の手、今おしっこで汚れて──」
「そんなのどうでもいいから早く!!」
ハァ、ハァ、ハァ……!! と、死に物狂いで烈子課長の「獣道」を爆走し、這う這うの体で追いついた3人。
「遅いぞボケマンガン電池ミニ四駆共がァッ!!」
烈子課長は誰もいない空間を睨みつけたまま怒鳴り散らした。
「か、課長大変なんですよ!? 僕たち現世から遮断されて、ビルの中に閉じ込められてるんですよ!?」
ズボンを濡らした真壁が必死に現状を訴えるが、烈子課長はフンと鼻を鳴らした。
「知っとるわボケェ。安心しろ、現世(外)との繋がりはしっかりと残してある!」
「え……?」
3人が驚いて目を見開くと、烈子課長はつなぎのポケットから、先ほどむしり取った【白い狐の毛】を無造作に見せつけた。
外の包囲網で、半径数キロを神域として囲っている象のように巨大な白狐様が、『……痛かったコン!』と独り言を呟いて涙を流している声が、かすかにシンクロして聞こえた気がした。
その頃、現世では、栞さんが「今か今かと」冷徹な目で対怪異用の緊縛ロープを構え、いつでも逃亡者を〆る準備を整えていた。
場面はビルの階段へと戻る。
「それに、ワシには外にいる栞の息遣いまでハッキリと感じ取れとるんじゃ。だから現世とハグレるわけがなかろうが。ピーピー小鳥みたいに囀るな素人が! ワシが何年この幽霊社会復帰課で修羅場を潜り抜けてきとると思っとんじゃい!」
烈子課長がそう言い放ち、口の端で咥えていたハイライトがポロッと床に落ちた。
それが偶然にも、烈子課長の目の前で道をあけていた赤子の怪異の脳天へとバウンドしながらクリーンヒットする。
『ギェェェエエエエアアアッッッ!!!』
怪異の凄まじい断末魔がビルに響き渡る。
「ひ、ひぃぃぃ! 課長、見えてないのにタバコで除霊(物理)したァァァ!! 悲鳴が近くて怖いし煩いですぅぅうう!!」
真壁が耳を塞いで泣き叫ぶ。
「ん? この階段はここまでか? 面倒な作りをしおってからに……なんかホテルみたいになってんな? どれ……」
烈子課長は通路の先にある、古びた鉄製のドアをガチャリと開けた。
そして──。
「…………」
烈子課長は無言になり、即座に、乱暴にバタンとドアを閉めた。
「か、課長……? 今の部屋、何があったんですか?」
真壁が首を傾げて覗き込もうとすると、烈子課長は真壁の襟をつかんで強引に引き剥がした。
「お前らガキが見るもんじゃねぇ。オネショするからやめとけ」
「え……?」
「……真壁君。見ない方が良いと思います」
伊地知警部が、骨折した体を震わせながら、憎悪と悲しみが混ざった目でドアを見つめて呟いた。
魔子もまた、装備した世界中のお守りをジャラジャラと悲しげに鳴らしながら、俯いて小刻みに震えている。
「……ちょっと真壁君には、まだ早いかな。私も……見たくはないかな。でも、お母さんから話には聞いてたから、知ってる……」
「ほら、行くぞ!」
烈子課長は新しくハイライトに火を点けると、八つ当たり気味に真壁のケツを全力で蹴り上げた。
「いったぁぁあ!?」
「グズグズすんな! 建物逆側の階段へ進むぞ!」
ドカドカと、怒りの形相で通路を爆走していく烈子課長。
(……ケッ、あんなもんガキに見せられるかよ。ベビーベッドに、手術台に、血塗られた不気味な魔法陣……。そして、実験の犠牲になったガキどもの『骨』まで転がっていやがった……。胸糞悪ぃ。クソカルトめ……)
最上階。
教団のシンボルである「拝み合わせた血塗られた両手」の意匠が施された重たい鉄の扉の前に、最強のメスゴリラが立った。
ドゴォォォォォォンッッッッ!!!!
烈子課長の容赦のない前蹴り一発で、分厚い扉がヒンジごと吹き飛び、最奥の祭壇の間へと叩きつけられた。
「ひっ……!」
真壁と魔子が繋いだ手に、ぎゅっと力がこもる。
「だ、大丈夫……! ま、魔子ちゃんは僕が絶対に守るから……っ!!」
真壁の足は恐怖の限界で【高速64ビート(小刻みな痙攣)】を刻んでいたが、その必死な言葉に魔子は頬をこれ以上ないほど真っ赤に染めた。
(やだ……もう真壁君、素敵……! 足が高速64ビートでガタガタ震えてなければ、もっと素敵……!!)
魔子もまた、世界中のお守りをジャラジャラと鳴らしながら、繋いだ手にそっと力を込めた。
入り口付近では、万が一の撤退経路を確保するため、満身創痍の伊地知警部が素早く五芒星の退魔結界を展開し、臨戦態勢でスタンバイしている。
烈子課長は新しくハイライトに火をつけると、紫煙を巻き上げながら堂々と部屋へと踏み込んだ。
「クォラァァアアッッッ!!! クソガキとカルトのジジイババア共ォォオオッッ!!! 泣く子も黙る幽霊社会復帰課の、眉目秀麗、文武両道、スタイル抜群、チャーミングお姉様こと鬼怒川烈子様の登場じゃいァァアアッッッ!!! 全員楽に死ねると思うなよ? テメェらにとって『死は救済』じゃねぇぞコラァ、あ゛ん!?」
啖呵を切った烈子課長だったが、だだっ広い祭壇の間にいたのは、不気味な黒いローブを全身に纏った、たった一人の少年だけだった。
「あ゛? なんだよ? カルトの信者どもはどこへ行った? ガキ1人だけか?」
少年は、顔の半分を黒い霧のような瘴気に覆わせたまま、不気味に口元を歪めて笑った。
「お待ちしていましたよ、依代……いいえ、お兄様」
「え……?」




