地獄の呪いの王子5
「ココが奴らのヤサか?」
街外れに不気味にそびえ立つ、国民救済を祈る会の総本山ビル。その禍々しい建物を睨みつけながら、公用車を降りた烈子課長が低く呟いた。
「はい、そうです。周り一帯はコチラで完全に封鎖しまして、幽霊一匹通れません!」
肩の脱臼と鎖骨の骨折をガチガチに固定した伊地知警部が、公安の精鋭たちを背に、プロの顔で力強く頷いた。
「おし、白狐やれ!」
『コンッ!!』
烈子課長の膝から飛び降りたチワワキツネが短く鳴いた、その瞬間──凄まじい神聖な煙と共に、白狐様は【象のように巨大な、本来の神霊の姿】へと姿を戻した。
天を仰いで白狐様が吠える。その神格の波動が一気に半径数キロを包み込み、澱んだ夜の空気を一瞬にして清浄な霊気へと変えていく。
ただ一点──あの国民救済を祈る会の総本山ビルだけを除いて。そこだけが、黒いヘドロのような怨念を大気に噴き出し続けていた。
『烈子、気をつけろ。俺の神域の結界の中でも、あのビルの霊力は衰えない。……たぶん、今のアイツらは俺より強いコン』
巨大な神獣の姿のまま、白狐様が緊張を走らせる。流石の伊地知警部も、本物の神を目の前にして圧倒され、平伏するばかりだった。
だが、烈子課長はハイライトの煙を不敵に吹き出す。
「だろうな? ……でもワシの方が強い」
これ以上ない、あまりにも絶対的な現世最強の解答だった。
烈子課長はのそのそと公用車の後部座席から起き出してきた真壁と魔子を、容赦なく襟元を掴んでコンクリートの上へと引き摺り下ろした。
「おら、起きろ! 腐れピグミーマーモセット共ッ!! お前らはワシの『目』じゃ『耳』じゃ! 気張って先頭を行けい! 栞はココで白狐と一緒に、中から逃げ出してきた奴らを片っ端から〆てくれ」
「えぇえええーーーっっっ!? そんな神様クラスの化け物相手に、僕たちが近づいたら一瞬でプレッシャーで心臓が潰れてブバァッて血を吐いて死んじゃ──」
バカァァァンッッッ!!!
「ひぎゃあッ!?」
容赦ない平手打ちが真壁の頬を貫く
「じゃあワシが今! ココで! お前の心臓を止めてやろうかァ? お前の『番』の目の前でなぁッ! あ゛ん!?」
「ひ、ひぃぃぃん!! それだけは勘弁を!! それと僕たちまだお付き合いとか全くしてませえぇぇーーーんッッ!!」
真壁が涙目で股間を濡らしたまま絶叫する横で、魔子は「つがい」と言われたことに顔を真っ赤にしながらも、「ふんす!」と鼻息荒く、両手に呪文がビッシリ彫られた厨二病全開のナイフをジャキッと構えてやる気満々になっていた。
「私も中へ──」と、言おうとした栞さんの唇を、烈子課長の手のひらの人差し指がそっと優しく抑えた。
「栞、頼む。……もう、こんな事は終わらせてやらなければならんだろ? 1人も逃さずに全員に本物の地獄を見せてやらんと、また欲の皮が突っ張ったド腐れの大人が同じ過ちを繰り返してガキ共を傷つける」
静かな、しかし絶対の信頼がこもった課長の声に、栞さんは一度メガネの位置を直すと、頭を下げた。
「……はい。此花栞、ここから逃げ出すネズミ全員を、責任を持って捕縛します」
「よっしゃ! 流石はワシの後輩じゃ! 白狐、栞を頼むぞ!」
『任せておけ烈子! 終わった後の“わしゃわしゃ”を期待しておるぞコン!』
「伊地知! お前もついて来い! 墓間田が居ないんじゃ、ワシ1人で、あのクソ教祖の息子にツープラトンの垂直落下式ブレーンバスターをブチ込めんだろ!」
「あぁ、喜んで……。栞さん、もし私に何かあったら、この手紙を妻に──」
伊地知警部が懐から白い封筒を取り出そうとした、その瞬間。
ビリビリビリビリッッッ!!!
栞さんの細い指先が、伊地知警部の遺書を迷いなく微塵切りに破り捨てた。紙吹雪が夜空に舞う。
「……せ、先輩?」
「何もありません。何も起こりません。……そうですよね?」
無表情のまま、冷酷に、しかし絶対の生還を信じる目で問いかける栞さん。
伊地知警部は一瞬呆然としたが、やがてハハッと渋く笑った。
「あ、あぁ……その通りです。これから何も起きない、何もなかった。その通りだ、すみませんでした」
「いいえ。残る文章でなく、言の葉の伝言ならいつでも承りますが?」
「そうか。いや、大丈夫です……死ぬ気が完全に失せました。ありがとう、栞先輩」
「どういたしまして。貴方のような優秀な方にまで逝かれると……課長が寂しがりますので」
そんな劇画調のハードボイルドなやり取りの後ろから、気絶寸前の真壁をずるずると引きずる烈子課長の声が響いた。
「おい栞!! そんなオッサン臭い奴と喋ってると、お前まで老けるぞ!!」
真壁を引きずりながら、メスゴリラ課長は躊躇なくカルト総本山の自動ドアを蹴破ってビルへと侵入していく。
「それでは、行ってきます」
伊地知警部もまた、残った無事な左手で栞さんと白狐様へ綺麗に敬礼を送り、ビルの闇へと足を踏み入れた。
「課長、皆様、お気をつけて……」
静かに祈る栞さんを白狐様がその三本の尾で包み込む。
自動ドアを蹴破り、カルト宗教の総本山ビルへと一歩足を踏み入れた瞬間──烈子課長以外の全員が、一斉に猛烈な吐き気に襲われて鼻を塞いだ。
「な、何ですか!? この腐った臭いは……! まるで魚を真夏に3日も放置したような……オエッ!!」
あまりの悪臭に、フルアーマー魔子にいたっては壁に手をついて少し吐いてしまっている。
「しかも、この肌に粘つく空気……いや、瘴気は、3年前の比じゃないな……」
伊地知警部の額から、恐怖の脂汗がじわりと滲み出る。彼は無事な左手で無線機を叩き、外の包囲網に応援を呼ぼうとしたが──。
『……ア、あガガガ……マ、ママ……マ、ママァァアアアッッッ!!!』
無線機からは、背筋が凍るような不気味なノイズが鳴り響くだけだった。
「くそ、嵌められた……! 退避するぞ!」
伊地知警部が踵を返し、今入ってきたはずの自動ドアへと近づく。しかし、そこにあったのはガラスの扉ではなく、【冷たい一面のコンクリートの壁】だった。出口が完全に消失している。
「やはり、この総本山の中はもう現世じゃなかったか……。異界化か……困ったな。現世との霊的な繋がりが薄すぎて、外との結界も開けない」
「え? え? もう戻れないって事ですか!? ねぇ伊地知さん!? え? 課長!? ねぇ!? 魔子ちゃん!?」
「うるさいわ! 蝿のションベンがァッ!!」
ドガッッッ!!!
「ひぶっ!?」
パニックになる真壁のふくらはぎへ、烈子課長の無慈悲な【カーフキック】がクリーンヒットした。あまりの激痛に、真壁は声も出せずにそのままコンクリートの地面へと突っ伏した。
だが、地面に顔を伏せた真壁の視界に、それは映った。
薄暗い通路の奥から、【異様に頭の大きな、赤子のような形をした黒い影】が、ギチギチと音を立てながら無数の群れをなして、こちらに向かって這い寄ってきているのが。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ……(じょおぉぉぉぉぉぉーーーーっ)」
本日3度目、もはや様式美を通り越して膀胱の機能が崩壊した真壁は、盛大にその場に小便を漏らして失禁した。
「やだ、真壁君ったら……汚い……可愛い、でも──」
恐怖の限界を突破した真壁を見て、魔子は頬を赤らめてキュンとしていたが、すぐに我に返ってナイフを構えた。
「真壁君は下がって!!」
「伊地知さん、合わせるので結界を!!」
「応ッ!!」
伊地知警部はスーツの懐から、気を通わせた呪符の束をバッと取り出すと、鋭い祝詞と共に五芒星の形に空間へ放った。
そこへ、息を合わせた魔子が、神聖な文字が彫られた小刀を正確に投げ刺し、呪符を壁へと固定する。
ビキィィィンッ! と空間に淡い光の防壁が展開され、押し寄せる赤子の怪異たちの前進がピタリと止まった。
「ふぅ……これで、少しは凌げるな、烈子さん──って、え?」
伊地知警部が振り返った時、そこに最凶のメスゴリラの姿はなかった。
「え? 烈子さんは? 真壁君、課長はどこ!?」
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、か、課長は……もう、あそこの階段を……上へ……行って、ます……」
ガタガタ震えながら真壁が指差す先、ビルの階段の上からは「オラァッ! 何処じゃワレェッ!」という、烈子課長の怒声だけが響いてきていた。
「ええええええええーーーっっっ!?!? どうすんのこれ!? どうすんの伊地知さん!? プロでしょ!? 助けてくださいよぉぉぉぉ!!」
魔子もまた、少し涙目になりながら伊地知警部を見つめた。
「えぇ……!? 俺任せなの……!? 君たち、あの化け物2人(烈子先輩と性子先輩)の部下と娘だよね……?」
伊地知警部は、骨折した体で一気に胃が痛くなるのを感じた。
しかし、真壁が這いつくばりながら、奇妙な現象に気がついた。
「あれ……? でも、課長がドカドカ通った後の“道”だけ、アイツら(赤子の怪異)が怯えて触れないし、入って来れないみたいですよ? なんでですか?」
「……なんでかは分からんが、チャンスだ! せっかく結界を張ったが、ここに留まって囲まれる前に……烈子さんの通った『跡』を追いかけるぞ!! 行くぞ!」




