地獄の呪いの王子3
伊地知警部が懐から極秘資料を取り出そうとした、その時だった。ソファーで何とか息を吹き返した若い方の黒服が、なおも納得がいかない様子で叫んだ。
「け、警部! やはり地方公務員ごときに頼るのは反対です! 我々誇り高き国家公務員が、こんな地下の不届き者に──」
ガシィィィッッッ!!!
「むぐっ!?」
次の瞬間、凄まじい肉体の衝突音が響いた。伊地知警部が、自分の部下の顔面を真横から【アイアンクロー】で強引に鷲掴みにし、物理的にその口を塞いだのだ。
(……ひっ!? こ、この伊地知警部って人も、紳士的なフリして中身はだいぶ武闘派なのかな……!?)
真壁が恐怖に身をすくめる。
「お前たちは黙ってろ……!」
伊地知警部は、ゴキゴキと凄まじい指の力で部下の顔面を締め付けながら、烈子課長に向けて爽やかに向き直った。
「すみません鬼怒川先輩、はねっかえりが多くて困ったものです。先輩の体から放たれるオーラだけで一瞬で霧散するような、そこらの雑魚怨念を、3日もかけてようやく祓ったくらいでもう一人前気取りですよ……」
バキィィィッッッ!!!
「がはっ……)」
伊地知警部の規格外の握力によって【完全に顎の骨を砕かれた】黒服の1人が、そのまま床へと崩れ落ち、ピクピクと痙攣し始めた。もう1人の黒服は、上司のあまりの容赦のなさに顔面蒼白となって直立不動で震えている。
(……すごいや伊地知さん……!! 伊地知さんが身内に対してここまで徹底的に先手を打ってボコボコにするから、うちの課長も青筋一本で済んでるんだ……! そうでなければ、今頃あの若い黒服は頭をすり潰されてスイカジュースになって市場に出荷されていたところだ……!)
真壁は伊地知警部の「猛獣使い」としてのプロの立ち回りに、心からの敬意を払った。
烈子課長はフンと鼻からハイライトの煙を吹き出し、あぐらをかいたまま腕を組んだ。
「……まぁ、そっちの内部粛清はどうでもええわ。だが伊地知、ワシはまだその依頼を引き受けるとは一言も言っとらんがな? 『無垢なる市民』の切実な訴えならワシも少しは動くのを考えんでもないが、国の上層部から命令口調で書類を回されるのは大嫌いなんじゃい」
「ええ、ごもっともです。ですから、今回我々特殊災害対策課はあくまで『サポート』に徹します。烈子さんの邪魔は絶対にしません。……それに、国からの正式な依頼ということで、こちらが今回の【見積書】になります」
伊地知警部が、痛む鎖骨を抑えながら、一枚の書類をスッと畳の上に差し出した。
キラーーーッ!!!
その瞬間、烈子課長と、後ろで控えていた栞さんの目が、まるで獲物を見つけた猛獣のようにギラリと輝いた。
あまりの空気の変わり方に恐怖した真壁が、後ろからそぉっとその見積書を覗き込む──。
「……ひっ!? ぜ、ゼロが多すぎて数えられない!? な、何千万、いや、億……!?(ガタガタ)」
真壁はあまりの天文学的な金額に、一瞬で腰を抜かして床にヘタり込んだ。
「さらに──」
伊地知警部はカバンから、ずっしりとした重みのある物体を取り出し、畳の上に置いた。
「これが、国からの【手付金】になります」
ドン。ドン。ドン。
そこには、銀行の帯がしっかりと巻かれた、紛れもない【本物の1万円札の札束が3つ(計300万円)】生々しく鎮座していた。
あの日、裏賭博に負けてから具なし塩むすびを噛み締めていた栞さんの、メガネの奥の瞳が(¥)に変わる。
「その話、乗ったァァァアアッッッ!!!」
「その話、乗りました!!!」
「怖いから、今すぐ実家に帰りたいですぅぅぅうううッッッ!!!」
手付金の帯付き3束を前に、完全に現世の覇気を取り戻した鬼怒川烈子課長は、口からハイライトの煙を吐き出しながらフンと鼻を鳴らした。
「んで? この眉目秀麗、文武両道、スタイル抜群でチャーミング&ラブリーなワシを、一体全体どんな化け物と戦わせようってんだ? あ゛ん?」
「……『国民救済を祈る会』。せんぱ、いや鬼怒川課長、当然ご存知ですよね?」
伊地知警部がその名を口にした瞬間。
烈子課長と、栞さんのこめかみが、ピクリと同時に不穏に跳ね上がった。
「あん? ……あァ、あんのカルト共か」
烈子課長の顔から一瞬で余裕が消え去り、極道そのものの凶悪な人相へと変わる。
「3年前に、ワシと墓間田(真壁の前任)の2人で、教祖のクソザコナメクジ野郎にツープラトンの垂直落下式ブレーンバスターをブチ噛まして、ビルの2階からコンクリートの地面へ真っ逆さまに叩き落としてケリをつけたろ。身寄りの無いガキを拉致して集めては、無理矢理肉体を癒着させた『リャンメンスクナ』なんて呪物を作り出しおってからに……。胸糞悪いカルト共め、思い出しただけで腹が立つわ! ペッ!!」
烈子課長は怒りのままに、唯一無傷で直立不動の姿勢を保っていたもう一人の黒服の顔面に向けて、濃厚な痰を盛大に吐き捨てた。
顔面を汚された黒服は、何か言いたげにピクピクと青筋を立てたが、隣で顎を砕かれてピクピクしている同僚を見て、本能の恐怖でそのまま直立不動を維持した。
「りゃ、リャンメン……? 課長、麻雀がどうかしたんですか?」
おろおろしながら尋ねる真壁に、今度は栞さんが冷淡に声を被せる。
「リャンメン──つまり、両面宿儺のことです。真壁さん」
「え……? 両面宿儺って……まさか、想像通りの……ですか……?」
「その想像通りです。……いわゆる、古代の邪法たる『両面宿儺』の再現ですよ」
伊地知警部が、重々しく言葉を継いだ。
「そうです、真壁さん。あまりに邪法外道が過ぎるため、闇に完全に葬られた事件ですが……すべて本当に起きた事実です」
栞さんの眼鏡が曇る
「こ、この霊和(元号)の世の中に、そんな狂ったことが……」
あまりの現実離れした恐怖に、真壁の背筋に冷たいものが走る。
「彼らは無理矢理、呪物としての双生児を作り出し、その凄まじい呪いと怨念の力によって、この現世の国そのものを支配しようと目論みました。……3年前、その儀式の失敗の『余波』としてこの国に起きたのが──」
「日本……心霊……大震災……」
真壁の口から、自然とその言葉が漏れ出た。
「その通りです」
「少しは察しが良くなったな、ボケカス!!」
ザクッッッ!!!
「いったぁぁあ!!?」
烈子課長が指先で弾いたボールペンが、真壁の眉間に正確無比に命中した。真壁は(なるほど……不機嫌度は100満点中140点ってところかな……?)と額を摩りながら分析した。
伊地知警部は深く息を吸い、ついに黒い資料の最初の1ページを開いた。
「──その『国民救済を祈る会』が、完全復活しました」
「 おい伊地知、アイツら……またやったんか?」
烈子課長の声から一切の感情が消え、低く、冷たい殺気だけが地下オフィスを支配した。
伊地知警部は、言葉を発することなく、無言で深く、重く頷いた。あの邪法外道たる「双生児の呪物化」を、教祖の息子は再び現世の子供たちを使って行っている──その肯定だった。
次の瞬間。
机の上に敷かれた畳から、無言でスッと降りた鬼怒川烈子課長が、右手を静かに振り上げた。
ドガシィィィィィィイイインッッッッッ!!!!
鼓膜を破らんばかりの破壊音と共に、烈子課長の放った一閃の手刀が、ぶ厚いイ草の畳ごと、頑丈なスチール製のデスクを文字通り『真っ二つ』にへし折った。金属片が飛び散り、オフィスの床に鉄の残骸が転がる。
その現世の物理法則を完全に超越したゴリラパワーを目の当たりにした瞬間、地下オフィスの空間に、4つの「水門」が開いた。
じょぼぼぼぼ……。
唯一無傷だった黒服が、恐怖のあまり直立不動の姿勢のまま股間から勢いよく小便を漏らした。
その横では、顎を砕かれ床に這いつくばっていた黒服が、やはり絶望のあまりじわじわと床に小便を漏らして水溜まりを広げている。
「ぶっ、ふぅぅぅううッ!!」
ソファーに前のめりに腰掛けていた伊地知警部からは、尋常ではない恐怖の風圧によって両の鼻穴から一気に鼻水が噴き出た。
「ひ、ひぃぃぃん!)」
真壁にいたっては、あまりの殺気の凄まじさに完全に腰を抜かし、本日2度目となる小便をその場に盛大に漏らしながら白目を剥いた。
そんな男たちの不潔極まりない阿鼻叫喚の中、栞さんだけが、衝撃波でズレたメガネを「くいっ」と無表情で直していた。
「……ゆ゛る゛さ゛ん゛……」
烈子課長の喉の奥から、地獄の業火のような地鳴りの声が響く。彼女は口からハイライトを吐き捨てると、折れた鉄板を踏みつけた。
「ワシの目が黒い内はなぁ……。このクソッたれの現世の宝物たる、【ワシの未来の年金を支払うはずのガキ共】を傷つけることだけは、絶対に許さんぞワレェッッ!!」
(……あ、熱いセリフなのに、結局モチベーションは自分の年金なんだ……!!)
股間を濡らしたままの真壁が心の中で激しくツッコむ。
「親の死因がビル2階からの垂直落下式ブレーンバスターじゃ足りんかったと言うのならなぁ……。そのナメクジの息子には、屋上からコンクリートへ向けて脳天垂直落下で叩き落としてやるわい!!」
烈子課長はつなぎの袖を乱暴にまくり上げ、真っ赤な闘争の炎を瞳に宿してオフィスを飛び出した。
「行くぞお前ら!! カルトの総本山にカチコミじゃいァァァアアッッッ!!!」
「かしこまりました。」
「ズボン乾いてないから行きたくないですぅぅぅうううッッッ!!!」
最狂カルト宗教「国民救済を祈る会」vs 自分の、いや皆の年金を守るために完全覚醒した最凶メスゴリラ公務員!!
現世の法律も公安のプライドもすべて置き去りにした、怒涛の総力戦が今、爆幕を上げる──!!




