地獄の呪いの王子2
「こ、こ、こ……公務執行妨害(しかも相手は公安)の現場を、ガッツリ目撃してしまったァァァ……!!」
床に転がる3人の国家権力を前に、真壁はガタガタと震えながら頭を抱えていた。一発で人生が終了してもおかしくない最悪の犯罪現場である。
だが、当の張本人はどこ吹く風だった。
烈子課長はペッと足元の黒服の顔面に唾を吐き捨てると、自分のデスクの上に敷いてある畳の上に、ドカッとあぐらをかいて座り込んだ。
その横で、栞さんは何事もなかったかのように、気絶している公安3人を応接用のソファへと手際よく引きずっていき、綺麗に並べて座らせていた。手慣れすぎている。
やがて、烈子課長は久しぶりに『ハイライト』2本を同時に口に咥え、ライターで火をつけた。
紫煙がオフィスに立ち上る。
(うわぁ……。たった3日会わなかっただけなのに、めちゃくちゃ懐かしい気分だ……)
真壁がそんな感慨に耽りながら課長の方を見ると、驚いたことに、烈子課長の目から一筋の涙が溢れていた。
(えっ……!? 課長が……泣いてる!? もしかして、また僕らと仕事ができるのが嬉しくて、感涙の涙を流して──)
その時、栞さんが無言のまま、冷えたストロングなレモンサワー9%の缶を烈子課長に差し出した。そこには、いつものようにストローがブスリと刺さっている。
チュウウウウウウウウウウッッッ!!!
烈子課長はダイレクトにアルコールを脳へと吸い上げた。
その瞬間。みるみると彼女の目の下にどす黒い「クマ」が蘇り、ヤニと安酒の最悪な悪臭が部屋中に一気に充満していく。ミイラ化していた細胞が、毒素によって120%の戦闘モードへと完全復活を遂げたのだ。涙はただの、アルコール切れによる離脱症状の涙だった。
パチパチパチパチ……。
心なしか、横でキーボードを叩く栞さんのタイピング音が、いつもより機嫌良さそうな軽快なリズムを刻んでいる。
(あぁ……僕、だいぶココの空気に慣れてきちゃったんだな……ダメ人間になりそう……)
「あ、あの……?」
真壁が恐る恐る手を挙げて声をかけた。
「あ゛ぁ!? 却下じゃボケナス!!」
「まだ何も言ってないのに酷いいいいぃぃぃ!!!(……でも、これぞ鬼怒川課長だよなぁ、安心するなぁ……)」
スコォォォンッッッ!!!(
「いったぁぁあ!!?」
真壁の脳面に、今しがた空になったストロング缶が正確無比なコントロールで飛んできてクリーンヒットした。
「何が安心するじゃワレェ! ニヤニヤしやがって薄気味の悪い! 二度と現世で笑ったり泣いたりできんような顔面に変形させてやろうか? あ゛ん!?」
「(やっぱり明日、マジで辞表出そうかな……)」
真壁が涙目でそんな決意を固めていた、その時だった。
「う、うう……」
ソファの上で、公安の3人組がようやくうめき声を上げて目を覚ました。
「おう、気づいたか。無能公僕共が」
畳の上から、烈子課長が冷酷な視線を見下ろす。
「あててて……。まったく、烈子さんには相変わらず敵いませんね……」
仕立ての良いスーツをボロボロにしたオールバックの男──伊地知警部が、痛みに顔を歪めながら苦笑いを浮かべた。
「け、警部! こいつら完全に公務執行妨害ですよ!! 応援を呼んで早く逮捕しないと──」
若い黒服が激昂して叫ぶが、伊地知警部はそれを鋭い眼光で制した。
「バカ者が。この人の本物の『強さ』を目の当たりにしておきながら、お前たちはまだそんな寝言を言っているのか……」
伊地知警部はよろめきながら立ち上がると、烈子課長に向き直り、深く頭を下げた。
「うちの部下が大変申し訳ない、鬼怒川課長。私の、この【肩の完全脱臼】と【鎖骨の複雑骨折】の痛みに免じて、どうか彼らの無礼を許してほしい」
「おう。ワシも少しだけ、毛先くらいだけ悪かったな伊地知。どうにもワシの一番人に見せたくない顔(しわしわピ○チュウ)の時にのこのこ現れるもんだから、ついつい手が滑ってな」
「はは、こちらこそ連絡もなしに、手土産もなしに急な来訪をして本当に申し訳ない。それに……この部下たちが、烈子さんの大事な部下(真壁君)にも裏庭で粗相をしたみたいだ。ほらお前たち、真壁君にも謝罪をしろ」
伊地知警部に促され、2人の黒服は渋々ながらも頭を下げた。
「す、すみませんでした……」
(……めちゃくちゃ納得のいかなそうな顔してるなぁ、この人たち……)
真壁は居心地悪そうに身を縮めた。
烈子課長はハイライトの煙を盛大に吹き出し、本題を切り出した。
「で……挨拶代わりのコブラツイストはここまでじゃ。公安の特殊災害対策課が、わざわざこんな市役所の地下の隠された乙女の花園まで、何しに来たんじゃ?」
伊地知警部は一瞬だけ表情を強張らせ、ソファーに座る部下たちを下がらせるように手で合図した。彼の渋い顔に、国家の最高機密を扱う男特有の、深い「闇」が陰を落とす。
「それは……我々公安の力では、どうしても処理しきれない【最悪の怪異】が、現世で動き出してしまったからです。……烈子さん、あなたの力を貸していただきたい」
「さ、最悪の怪異……? そ、それって一体……」
真壁はゴクリと生唾を飲み込んだ。だが、すぐに頭を振って至極真っ当な疑問を口にする。
「というか! そういう実害がある危険な怪異の除霊って、普通は上の階にいる『幽霊成仏課』の仕事なんじゃ──」
「勉強不足じゃボケェッッ!!」
シュッ、と烈子課長の指先から、火のついたままのハイライトが弾丸のように飛んできた。
「ひぎゃあッ! 熱っ! あちちちちッ!!」
足元に落ちた火種から必死に飛び跳ねて逃げる真壁。相変わらず暴力のエイムが正確すぎる。
「はぁ……」と冷たいため息をついた栞さんが、人差し指でメガネのブリッジをくいっと直した。手元のおにぎりのゴミを綺麗に片付け、真壁を冷徹に見下ろす。
「思春期から一向に抜け出せず、桃色妄想ばかりでIQが3しかない真壁さんにもわかるように説明しますね」
「あ、IQ3!? そんなのサボテンと同じくらいじゃないですか!?」
「そもそも、伊地知警部たちの所属する【特殊災害対策課】とは、警察組織における特殊な災害──すなわち、幽霊や怪異、妖怪の仕業による災害に対応するための専門部署です。……しかし考えてもみてください。ただでさえ倍率の高い公務員試験を突破し、さらに過酷な警察官を目指し、その上で『本物の霊感や実戦的な霊能力を持っている人間』など、日本全国を探しても一握りしかいません。ですから彼らは、基本的に慢性的な深刻な人員不足に陥っています」
「な、なるほど……?」
真壁はタバコの灰を払いながら、必死に話を咀嚼する。
「もちろん、警察側も民間に存在する本物の霊媒師や祈祷師、神職、仏僧などにも協力を仰ぎますが、現代において『ビジネスではない本物の力を持つ霊能者』などやはり一握り。……ですから国は、国家公務員だけでなく、各都道府県の地方公務員試験の段階から、密かに【霊能力を持つ人材】を選別して囲い込んでいるのです。我が課の鬼怒川課長が、なぜどれだけ暴力を振るってもクビにならず公務員を続けられているのか……これで理解できましたか?」
「は、はい! なんとか、なんとかついていけてます……!」
(つまり、僕もその選別にかかって、この地獄の部署に配置されたってことか……!?)と、真壁は我が身の不幸な才能に戦慄した。
しかし、栞さんの説明はそこで終わらなかった。彼女の視線が、ソファで肩を脱臼している伊地知警部へと蛇のように鋭く向けられる。
「国家主導のエリート中のエリートたる特殊災害対策課の皆さんが、わざわざ民間のプロではなく、問題児の巣窟である我々の地下オフィスにまで泣きついてくる案件など、どう考えても碌なものではありません。……伊地知警部。これ、上の聖課長にも『今ちょっと忙しいからぁ〜』とか何とか適当な理由をつけられて、うち(復帰課)に回されてきた案件ですね?」
ピクッ、と伊地知警部の頬が引きつった。
図星だった。あの屋上の淫乱熟女(聖課長)が、面倒な大案件を「烈ちゃんに押し付けちゃお♪」と笑顔でスルーした現場が、完全に透けて見えていた。
伊地知警部は額に冷や汗を流しながら、観念したように深くため息をついた。
「……さすがは此花さん、お見通しですか。あの大人の色気溢れるシスター課長には、笑顔で門前払いされましてね……。ですが、本当に猶予がないんだ。今回ばかりは、鬼怒川課長──あなたの【現世最凶の物理】が必要不可欠なんです」




