地獄の呪いの王子1
市役所の地下オフィス。
そこには、某有名アニメのしわしわになった黄色い電気ネズミのポケットなモンスターのような顔で、虚空を見つめながらパックの野菜ジュースを細いストローで静かに啜る鬼怒川烈子課長の姿があった。
「……あー。真壁……。緑黄色野菜は……体に、いいなぁ……」
アルコールとニコチンを完全に抜かれたメスゴリラは、狂暴性をすべて失い、完全に無害な草食動物へと退化していた。
「(……痛いことはされなくて嬉しいけど、なんだかめちゃくちゃ張り合いがないなぁ……)」
毎日ボコボコにされていた真壁は、贅沢な物足りなさを感じていた。
ふと横を見ると、此花栞さんが無表情でお弁当箱を開けている。
あの日(大乱闘市役所場所)の裏賭博で復帰課に全ベタして全財産をスった彼女は、それまで食べていた贅沢な高級幕の内弁当から、【具のない塩むすび】へとあからさまに生活水準が困窮していた。無表情のまま、おにぎりを咀嚼する栞さん。いつも表情は変わらないが、懐は極寒のようだった。
ここ数日は幽霊関係の通報も全くなく、文字通り完全な給料泥棒と化している幽霊社会復帰課の3人。
居た堪れなくなった真壁は、手持ち無沙汰のあまり市役所の裏庭へと逃げ出し、一人で体育座りをしながら、むしり取った雑草で「ピィ〜……」と虚しく草笛を吹いて遊んでいた。
「──真壁霊さんですね?」
影が落ちる。
真壁が顔を上げると、そこにはビシッと黒いスーツを着こなした、2人の男が立っていた。
「へっ?」
「警察です」
男の一人が、懐から警察手帳をスッと提示する。そこに書かれていた所属は──。
【公安警備部特殊災害対策課】
「……こ、こうあんけいびぶ・とくしゅさいがいたいさくか……? またまたぁ?そんな漫画みたいな部署、聞いたこともないですよ? 詐欺か何かですか?」
真壁が引きつった笑いを浮かべると、スーツを着た若い方の男が、死んだ魚のような目で真壁を見下ろした。
「あの……ぶっちゃけ、そちらの『幽霊社会復帰課』も、大概だと思いますけど?」
「あ……はい……」
自分も大概ファンタジー性の高い部署にいることに、真壁は今更ながらに気付かされ、深く納得して頷くしかなかった。
「少し、お話しよろしいですか?」
「あ、あの……ここだと人目について査定に響くので、僕の部署(地下)に戻ってからでも良いですか?」
真壁がそう提案すると、年配の男が、急に顔を曇らせて首を横に振った。
「あ、あぁ……。今は、あそこには近寄らん方が良いかと……」
「え? ど、どういうことですか?」
真壁が首を傾げた、その瞬間だった。
『おどれらァァァアアッッ!!! 国の犬がどさくさに紛れてワシに命令しようとしとんじゃねぇぞゴラァァァアアッッッ!!!』
市役所の地下の奥底から、分厚いコンクリートの床を幾重にも突き抜けて、裏庭にまでハッキリと響き渡る、あの【この世の終わりみたいな怒声】が轟いた。
「ひ、ひぃぃぃん!!! 課長!? 課長が完全復活してるゥゥゥウウウッッッ!!!」
真壁と公安の黒服2人は、裏庭から階段を文字通り転げ落ちるようにして地下の復帰課オフィスへと駆け込んだ。
扉を勢いよく開け放った真壁が見たものは、予想に反して「完全復活」とまではいかないものの、凄まじい闘志だけをギラつかせた鬼怒川烈子課長の姿だった。
パック野菜ジュースを投げ捨てた彼女は、仕立ての良いスーツを着た、髭面にオールバックがよく似合う30代後半ほどの渋い中年男性を、ガッチリと【コブラツイスト】で捕らえていた。
「え? えーーーっっっ!? 誰ぇぇえええッッ!?」
「伊地知警部!! い、今お助けします!!」
真壁と一緒に駆け込んだ黒服の男たちが、懐から現世の警察官にあるまじき「怪しげな呪符」と「苦無」のような暗器をジャキッと構えた。
「ま、待て……! この人は怪異に近いが……怪異じゃな……」
コブラツイストを極められた伊地知警部と呼ばれた男が、かすれた声で部下を制止しようとした、その瞬間。
ゴキッッッ!!!
生々しい関節が外れる音が響く
「ぶはっ……!!
伊地知警部と呼ばれた男は、凄まじい激痛のはずなのに一切の悲鳴を上げることなく、そのまま白目を剥いて泡を吹き、ガクッと意識を失った。
(……ひっ! 悲鳴を上げずに気絶するなんて、あの人、本当に訓練されたガチの本職の人なんだ……!)
真壁は伊地知警部のプロ根性に恐怖した。
「け、警部ーーーッッ!! おのれ怪異め!!」
上司の惨状に理性を失った2人の黒服が、苦無を構えて烈子課長に迫る。
「おどりゃ三下共ッ!! このクソ髭面を連れてとっとと去ね!! ワシに指一本でも触れてみろ、頭を握り潰してスイカジュースにしてチャリティバザーで売り飛ばすぞ? おん?」
「か、怪異が喋ったァァァアアッッ!!! お母さぁぁぁーーーん!!!」
あまりのドスの利いた迫力に、若い方の黒服がガチで泣き出した。
「く、くそ! これでも喰らえッッ!!」
もう一人の黒服が、呪符に青白い「気」のようなものを収束させ、烈子課長に向けて勢いよく投げつけた。
(おぉ……目標物に向かってまっすぐ飛ぶなんて、なんか本当に漫画とかそういう除霊の戦いっぽい!!)
いつも烈子課長が、日本酒を口から手やバットや刀に吹きかけて「オラァッ!」と物理で幽霊を殴打する【ただの暴力】しか見てこなかった真壁は、初めて見る「本物の陰陽術」に不覚にも感動していた。
しかし。
シュルルル……と綺麗な軌道を描いて飛んだ呪符は、怪異でも何でもないただの生身のメスゴリラ公務員である鬼怒川課長の額に当たった瞬間──何の効力も発揮せず、ペラッ……と、ただの紙切れとして切なく床に落ちた。
「おぉ……?」
烈子課長は額をさすり、床の呪符を無慈悲に安全靴で踏みつぶした。
「ヒッ……!?」
本気の術式が全く効かない「未知の化け物(※ただの人間)」を前にして、黒服たちが恐怖でガタガタと後ずさる。
振り返れば、いつの間にか出口の扉は、具なし塩むすびを食べ終えた此花栞さんによって完璧にロック(封鎖)されていた。
「あ……」
黒服たちが絶望の声を漏らし、完全に退路を断たれたその瞬間。
伊地知警部を床に転がした烈子課長が、凄まじい踏み込みで黒服2人の背後に肉薄した。そして、怯える彼らの後頭部を「むんず」と強引につかみ取ると──。
そのまま2人の【頭と頭を全力で正面衝突】させた。
短い悲鳴と共に、2人の黒服は糸の切れた人形のように膝から崩れ落ち、伊地知警部の横に綺麗に並んで気絶した。
「ふぅ……。ワシの『ヤニ』はどこじゃい……」
鬼の形相のまま、デスクの引き出しからお馴染みのタバコ(ハイライト)を引っ張り出し、ガチガチとライターに火をつけ、深く煙を吸い込む烈子課長。
少しずつ目の下に深いクマが刻まれていく。
床に転がる国家権力の精鋭3人。
紫煙を燻らせながら、ようやく少しだけ元の威圧感を取り戻しつつある課長。
そして、置いてけぼりの真壁。
何が何だか分からない真壁──。
社会復帰課の地下オフィスは、官憲の横暴をフィジカルだけで完全粉砕し、更なる混沌へと突き進むのだった!!




