地獄の値上げしたら絶対下げしない幽霊2
サドルのない自転車を立ち漕ぎ続け、涙目で街へと繰り出した真壁は、まず最初の調査対象である地元のスーパーマーケットに駆け込んだ。
そして、彼は棚の前で絶望に目を見開く。
「……な、何だこれ……!? 物品の値段が上がっているだけじゃない……僕が学生の頃に比べて、ポテトチップスも、チョコレートも、明らかに袋の中身が減っている……!! こ、これは、値上げしたら絶対下げない幽霊の仕業だ!!」
恐怖と現実の不景気に震え上がった真壁は、さらにコンビニへと調査の幅を広げた。
「お、おにぎりが1個200円……!? か、唐揚げ弁当が、な、700円だとォォォッッッ!? こ、これも、値上げしたら絶対下げない幽霊の仕業に違いない!!」
すっかりインフレの恐怖に脳を焼かれた真壁は、最後に、生鮮食品やお弁当も格安で扱う大手のドラッグストアへと滑り込んだ。そこで彼が見たものは──。
『デカのり弁 498円 ──辛い時代にこそ頑張りました!──』のポップだった。
「ほ……!! ここにはまだ、値上げしたら絶対下げない幽霊の魔の手は伸びていないようだ……。企業努力、涙が出るよ……」
◇
「……というわけです! これが僕の血と汗と涙の調査報告でゲボォッッッ!!!」
オフィスに戻り、必死にスーパーやコンビニの現状を紙にまとめて報告した真壁だったが、次の瞬間、烈子課長の手によって強制的に黙らされた。課長は飲みかけのストロングレモンサワーからストローをぶち抜くと、それをのけぞる真壁の鼻の穴へと容赦なく突き刺したのだ。鼻の粘膜に強烈な炭酸と柑橘系の果汁が直撃する。
「んなこたぁわかっとるんじゃ! ノータリンがぁぁぁッ!! こちとらお前より何年も長く独り暮らしじゃいやい! 舐めた口聞いてると、テメェの親兄弟をミンチにしてミートボール作って、のり弁のオカズにして売り出したろかい? おん?」
「ご、ごべんばばび(ごめんなさい)、ごべんなばいぃぃい!!」
鼻からレモンサワーを噴き出しながら平伏する真壁。
「いいか真壁、こちとらは独り身なのに、実質2人分以上の生活費がかかっとんじゃ! 1円の便乗値上げだって死活問題なんじゃい!!」
「(……高級時計とか買わなきゃ良いのに……ボソッ)」
「おおん? 今何か言うたか?」
「あ、なんでもないです!」
バチィィィッッッ!!!
「うぎゃあああああ!!!」
烈子課長の見事なローキックが真壁の太ももに唸りを上げ、真壁はまたしても床に綺麗に転がって悶絶した。
その時、オフィスのデスクの上で古い黒電話が激しく鳴り響いた。
課長は荒々しく受話器をひったくり、世にも恐ろしい猫撫で営業ボイスが炸裂する。
「もしもし〜♡幽霊社会復帰課です。幽霊ですか? 妖怪ですか? ──ふむふむなるほどー? 『原材料が下がったのに値段が下がらないのはおかしい』と。それは現在我が課で鋭意調査中ですので、続報をお待ちくださーい♡」
ガチャン、と受話器を置いた烈子課長が、床の真壁をキッと睨みつけた。
「ほら見ろ!! 『値上げした原因が取り除かれたのに、値上げしたままなのは幽霊の仕業ですか?』って、無垢なる市民からのクレーム電話じゃい!! こんな理不尽なインフレが続いたらな、日本にまた共産化の波が訪れて不沈空母日本丸は沈没しちまうぞ!! なんとかしろ真壁!!」
「ひぃぃん!! 課長、無茶言わないでください!! 資本主義という概念には地方公務員の僕らじゃ勝てませんよぉぉおおお!!」
「むぅ……こうなったら、アルコールとタバコの『密造』に手を染めるしか……ぶつぶつ」
デスクの後ろで、それまで静かにキーボードを叩いていた此花栞さんが、冷徹な声で真壁に囁いた。
「真壁さん、邪魔をしないように。今、課長の灰色の脳細胞がフル活動しています」
「え? 邪魔するとどうなるんです……?」
「噛まれます」
「ひっ」
「課長の咬合力は、野生のハイエナとほぼ同じくらいです。骨ごと砕け散ります」
「ひぃぃぃん!!!」
その時だった。
ぶつぶつと犯罪の計画を呟いていた烈子課長の目が、カッと見開かれた。
「──閃いたーーーッッッ!!!!」
カッと目を見開いた烈子課長が、デスクを力任せに叩き割らんばかりの勢いで立ち上がった。その鼻息は荒く、ハイエナの咬合力を持つアゴが不敵に歪んでいる。
「いいか真壁、そして栞! この、値上げしたら絶対下げないクソ幽霊に対する、現世の我々に出来る唯一の対抗手段……それは!!」
「そ、それは……!?」
鼻にストローを刺されたままの真壁が、生唾を飲み込んで身構える。
「【賃上げ闘争】じゃい!!! ストライキじゃストライキィィィアアアッッッ!!! 物価が下がらんのなら、ワシらの給料を倍に吊り上げるまで一歩も動かんぞワレェ!!」
「へ? ……ええええええええっっっ!? な、何言ってるんですか課長! そんな春闘みたいな真似、今から起こすんですか!? もう秋(10月)ですよ!?」
真壁の至極まっとうな季節感のツッコミに対し、烈子課長はよれよれのスーツの袖をまくり上げて一喝した。
「やかましいわ! 秋はメーデー日和と決まっとるじゃろがい!!(※世界的には5月1日です)」
(……いや、さっき『このままだと日本に共産化の波が訪れて沈没しちまう』って怒ってたの誰だよ。一番その赤の波にドップリ飲まれてるのアンタじゃねえか!!)
真壁はそう叫びたくなったが、ここで口に出せば今度は頭を噛み砕かれると本能が察し、必死に心の中に留めた。
「栞!! ほれ、うちの課の在庫に、ストライキとシュプレヒコールが得意な幽霊どもの団体が居たろ!! 今すぐ呼び戻せぃ!!」
事務机の栞さん淡々と台帳をめくる。
「課長、あの『活動家幽霊達』でしたら、現在、大人の事情で【沖縄の辺野古】に長期派遣中ですが……」
「どんな手を使ってでも今すぐ呼び戻せぇぇえええッ!! 現世の物価高からワシと栞のサイフを守る方が先決じゃい!!」
「かしこまりました。ただちに召集をかけます」
栞さんがスマホを取り出し、怪しげなチャットアプリで連絡を始める。
「か、課長、マジで辞めましょうよ……!」
真壁は頭を抱えて涙目で懇願した。
「地方公務員が幽霊のデモ隊組織して市役所でストライキなんて起こしたら、絶対に上の人たちに目をつけられてクビになりますって! クビになったら尚更、彼氏すんの入院費だって払えなくなって路頭に迷いますよ!?」
真壁は盛大にため息をついた。
(はぁ……てっきり、また新手の不法滞在幽霊でも捕まえて、裏で腹黒い金儲けでも思いついたのかと思ったら、まさかのガチの労働闘争だもんなぁ……。このメスゴリラ、たまに発想のベクトルが斜め上に飛び抜けすぎるんだよ……)
「ガタガタぬかすな真壁! ワシが先頭に立って市役所のロビーを占拠したるわい!! 栞、ハチマキと拡声器の準備じゃあッ!!」
弱みを握られていようがいまいが拒否権のない真壁、市役所地下オフィスは、季節外れの「真っ赤な闘争の炎」に包まれようとしていた──。




