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地獄の新人歓迎会2

雑居ビルの4階、エレベーターの扉が開いた先は、一見すると何の変哲もない居酒屋だった。しかし、店内に足を踏み入れた瞬間、真壁の背筋に冷たいものが走る。


店中を漂うのは、生臭い怨念と、壁紙に染み付いた「消えない未練」の酸っぱい匂い。カウンターの奥から、無愛想な店員が注文を取りに来た。


「……あの、課長。ここ、居ますよね?」


真壁が引きつった顔で尋ねると、課長はそれまで見たこともないような、期待に満ち溢れたニヤけ顔で真壁を見つめてきた。


「流石だ真壁! やはりお前を雇った私の勘は間違いない!」


「ですね! 私の計算でも真壁さんは十二分に責務を全うできると思います!」


栞がメガネをくいっと上げ、感情の読めない瞳で真壁を品定めする。この狂った二人に認められることが、真壁には何よりも恐ろしかった。


「それじゃあ店員さーん! 私はいつものウォッカのウイスキー割にレモン1個浮かべた奴!」


「私はブラックルシアンをストレートで」


「ぼ、僕は……あの、生ビールを……」


真壁が消え入るような声で注文した瞬間、課長の空気が一変した。


「っかぁ! 最近の若者は根性ねぇや! コイツにはボイラーメーカー! あとはテキトーにおでん見繕って!」


店員が手慣れた様子で、ビールジョッキとバーボンのボトルを置いていく。課長が容赦なくビールにバーボンをぶち込んだ。


「はい、乾杯!」


真壁が恐る恐る口をつけると、喉を焼くような強烈なアルコールが食道を駆け上がる。


「ごふぁッ……なんですかこれは!?」


「それはビールにバーボンをぶち込んだボイラーメーカーっていうチェイサーだ! あと、杯を乾かすと書いて乾杯だ、飲め!」


課長がレモンを絞りながら不敵に笑う。その息がまた、ドブとアルコールが混ざり合った殺人的な臭気を放ち、真壁を襲う。

(……パワハラ、スメハラ、アルハラ……ここはハラスメントの総合商社だろうか? 一応、僕らは市役所職員のはずだけど……)


真壁は、自分の頬がまだヒリヒリしていることを思い出しながら、逃げ場のない「歓迎会」という名の地獄で、ただグラスを握りしめるしかなかった。


1時間後、店内の空気は完全に「魔境」と化していた。

ベロンベロンに酔っ払った課長が、あろうことか居酒屋のテーブルに無作法に足を投げ出し、腕を大げさに振りながら、歌詞の半分も覚えていない軍歌を大声で熱唱している。そのリズムに合わせて、普段は鉄仮面の栞が、グラスを箸でカンカンと打ち鳴らして調子をつけていた。

(……地獄かここは?)


なるほど、こうやって店を荒らして回るから、普通の飲食店は出入り禁止になるんだ。この人たちは、こうして幽霊が出るような薄汚れた店にしか居場所がないのか。


ふと、背後からポンポンと肩を叩かれた。

恐る恐る振り返ると、そこには生気のない顔をした数人の黒い影が並んで立ち、深々と、あるいは同情するように「うんうん」と頷いていた。たぶん、かつて課長の「教育」の犠牲になった被害者たちの霊だろう。


「あんら? まきゃべ! そこになにかぁあ、いるんか? ん? お?」


呂律の回らない課長が、虚ろな目つきで真壁を覗き込む。ドブとバーボンの入り混じった息が真壁の顔面を直撃した。


「あ、はい……その……幽霊の方々が、その課長の……その、お歌が……少し……音が……」


真壁が勇気を振り絞って忠告しかけた瞬間。

ヒュン!

課長が手にした箸が二本、真壁の耳元を風切り音と共に通り過ぎ、真後ろの壁に深々と突き刺さった。

背後にいた黒い影たちは、殺気を感じ取ったのか、あわやとばかりに霧散して消えていく。


「ちっ……外したか……あぅ〜おぅ、店員さん! 同じのもう一杯!」

「私も!」


課長と栞が空のグラスを掲げる。真壁は心臓をバクバクさせながら、震える手で自分の空いたグラスを差し出した。


「あ、僕は、今度こそビー……」

三本目の箸が、真壁の鼻先をかすめて壁に突き刺さった。木製の箸がガタガタと震えている。


「ぼ、ボイラーメーカーを一つ……」


真壁が絞り出すように言うと、課長は先ほどまでの不機嫌さが嘘のように、天使のような(しかし、どう見ても悪魔の)満面の笑みを浮かべた。


「よかよか! お前、だんだんいい面構えになってきたな、真壁!」


真壁は、またしても突き刺さった箸の横で、自分に届いた追い討ちのボイラーメーカーを見つめた。これ以上飲んだら、自分自身が成仏してしまうかもしれない。


生気のない店員が、まるで死人のような足取りで近づいてきた。


「……また、祓っていただきありがとうございます。お代は結構ですので、心ゆくまでお寛ぎください」


店員はそう言い残し、課長の席にウォッカ、ウイスキー、そしてレモンを置いて去っていった。

言われてみれば、先ほどまで店内に充満していた怨嗟の空気が嘘のように晴れ渡っている。課長が大暴れし、魂を削るような軍歌を怒鳴り散らしたおかげで、店内の邪気は完膚なきまでに叩き出されていた。扉の向こうからは、普通の客の笑い声も聞こえ始めている。


「課長は霊感0でお胸も小さいですけど、その有り余る生気で死者を寄せ付けないんですよ」


栞が淡々と爆弾発言を投下した。


「えっへん!」

課長はドヤ顔で胸を張ったが、数秒後、その言葉の意味が脳内で反芻されたのか、一気に表情が豹変した。


「……お胸が小さいとはなんだ!!」


課長は酔った勢いで、栞の豊満なバストを後ろから強引に抱きしめ、自分の握力で押しつぶすように揉みしだき始めた。

見た目だけなら、美人上司と部下の微笑ましい光景――に見えなくもない。だが、課長は依然として二本のタバコを口からぶら下げており、その目の下のクマは、過労死寸前のブラック企業戦士さえ凌駕するほど深く、黒ずんでいる。


その殺気混じりの情景に、真壁は背筋を凍らせた。栞の顔はなぜか紅潮し、荒い息を吐いている。狂っている。この空間、何から何まで狂っている。

やがて課長の関心が、再び重苦しい話題へと戻った。


「あいつは……墓間田の野郎は、良いやつだったよ」

「えぇ……本当に、優秀な方でした」


栞が努めて冷静なトーンで答える。墓間田という男の末路を思い出し、真壁の胃が再び悲鳴を上げる。


「まさか、怨霊の呪いで体を折りたたまれて、駅のロッカーに詰め込まれるなんて……」


「……えぇ、本当に傑作でしたね」


栞がクツクツと笑い出す。


「しかも、あんな姿で……まだ生きてるっていうのが、また傑作でして」ブフォッ!


栞は堪えきれなくなったのか、口に含んでいたブラックルシアンを盛大に噴き出した。

真壁は、目の前で繰り広げられる「死の教育」と「死の笑い話」のサンドイッチに、いよいよ意識を保つのが難しくなってきた。これが「英才教育」の真髄だというのか。


「まぁ、あそこまで綺麗に折りたたまれたらな……? あいつの根性には敬意を表して、あの辞表も流石に受け取ってやったよ」


課長はタバコの灰を床に落としながら、グラスを傾ける。その横で栞も、先ほどの噴き出しを気にすることなく、淡々と追随する。


「えぇ……本当に傑作でした。あの状態で、台車に乗せられて市役所まで運ばれてきて……『辞表……です……』って指先だけで提出された時は……それはもう……ブフォ!」


栞はまたしても笑いのツボに入ったのか、真壁の顔面にブラックルシアンを盛大に噴射した。

真壁は顔を拭くこともできず、ただ呆然と立ち尽くす。目の前には、同僚の悲惨な最期を肴に酒を飲む、最高にイカれた上司二人組。


「さぁ! しんみりした話はここまでだ! 景気が悪くなる!」


課長が空いたグラスをカウンターに叩きつける。その振動で、店内に居合わせた普通の客たちがビクッと肩を震わせた。


「二件目行くぞ! 次は自殺者の霊が無限に飛び降り続けているビルに入ってるバーで飲むぞ! ついでにソイツに説教してやる!」


「いいですね。あの霊、飛び降りるたびに地面で砕けて、また屋上に戻る時の音がうるさくて近所迷惑なんですよ。物理的な説教、大賛成です」


栞がメガネを拭きながら立ち上がる。


真壁は、顔面を酒でベタベタに濡らしたまま、ふらつく足で立ち上がった。

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