地獄の2人かくれんぼ2
「ねぇ魔子ちゃん……これ、どうやったら終わりなの?」
幽霊社会復帰課のデスクの陰に身を潜め、真壁がガタガタと震えながら小声で尋ねた。
「んーと……程よく恐怖を味わって満足したら、多目的トイレに戻って、クマにコップの塩水をかけたらお終いだよ?」
魔子は暗闇の中、厨二病なデザインの対魔ナイフを構えながら、むふー、と少し楽しそうに答える。
「なるほどね? 理解した。じゃあ質問を変えるけど……さっきからこの広い市役所内を徘徊している、あの重苦しい『もさっ……もさっ……』って音は、一体何?」
「知らないよ? 警備員の田中さんじゃない? 春先に離婚したばっかりの」
「田中さん、強く生きてくれ……って、じゃなくてぇ!! 田中さんがあんな『もっさりした音』立てて歩くわけないだろ!」
真壁がツッコミを入れたその瞬間。
遠くの廊下から、夜の静寂を切り裂くような男の悲鳴が響き渡った。
『ぎゃあああああああーーーっっっ!!! デカいクマの化け物ぉぉおおおーーーっっっ!!!』
「ほらぁぁぁ! 動いちゃってるよ! 完全にクマ吉が起動しちゃってるよ!」
「あわわわわ……っ」
さしもの魔子ちゃんも、想定外の事態にさすがに狼狽し始めた。
「え? どうすんのこれ!?」
「おっきい声出さないでよ! 見つかるじゃない!」
「魔子ちゃんこそ声が大きいって!」
「しーっ!!」
──もさっ。もさっ。もさっ。
廊下を這うような、引きずるような、巨大な綿の足音が、幽霊社会復帰課のオフィスのすぐ目の前まで近づいてくる。
ガラッ!!!
暗闇の中、オフィスの引き戸が勢いよく開け放たれた。そこに立っていたのは、非常灯の緑色の光に照らされた、身長2メートルを遥かに超える巨大なコスコォのクマだった。その手には、魔子が突き立てたはずのナイフがガチリと握られている。
「ぎゃー! 出たぁぁあああ!!」
二人が叫ぶより早く、巨大なクマのぬいぐるみが、長い両腕をガバッと広げて猛然と突進してきた。そして、デスクの陰にいた真壁と魔子の二人を、まとめて力任せにギューッと抱きしめた。
「ひぎゃっ……あれ?」
真壁は目を丸くした。
「あ……柔らかい。……それに、全然苦しく、ないね?」
魔子もクマの毛並みに顔を埋めながら呟く。
そう、相手は10万円の最高級品である。中の綿も外側のエコファーも超一流のフワフワ素材。化け物に捕まったというのに、まるで極上の高級ベッドに包まれているかのような、至高の癒やしがそこにはあった。
「でも怖いものは怖いんだよぉぉおおお!!」
正気に戻った真壁が身を捩ってクマ吉の怪力から抜け出し、魔子の手を引いてオフィスから廊下へと飛び出した。
「もう、このクソ軟弱男! 早く逃げるわよ!」
「わ、わかってる──うわっ!?」
暗い廊下を猛ダッシュしていた真壁の足が、床に転がっていた「何かに」引っかかった。
「あべしッ!?」と派手に転倒する真壁。見ると、そこには恐怖のあまり口から盛大に泡を吹いて気絶している、警備員の田中さん(バツイチ)が横たわっていた。
「田中さーーーん!! 職務を全うしてよぉ!!」
背後から、もさっ、もさっ、と凄まじいプレッシャーと共に巨大クマが迫る。
転んだ真壁を見下ろし、クマの巨大な丸い腕が、ナイフを握ったまま容赦なく振り下ろされた。
──ボフッ。
「あ、気持ちいい……」
直撃した。直撃したのだが、腕の素材が良すぎて高級クッションでポカポカ叩かれているような極上の心地よさだった。
「この鈍感男ォッ! 下がりなさい!」
魔子が真壁を突き飛ばして前に出ると、持っていたプラスチックコップの塩水を一気に口に含んだ。そして、クマの顔面へブフォォォオオオッと勢いよく吹きかけた。
さらに、ナイフをクマ吉の胸に突き立てる!
「クマ吉の負け! クマ吉の負けだよ! はいお終い!!」
勝ち誇る魔子。
しかし──巨大クマは、刺さったナイフを無視して、コテン、と可愛らしく首を傾げた。
「え?」
魔子が固まる。
「え?」
真壁が這いつくばったまま首を傾げる。
「あー……塩水が足りないみたい」
「うそー!? そんなことある!? 10万円だから撥水加工でもされてるのぉぉおおお!?」
その時だった。
巨大クマが、それまでの愛くるしいプラスチックの鼻を歪ませ、顔の中央を割るようにして、ガバッ!!!と巨大な口を裂くように開いた。
その口の奥の深淵には、数え切れないほどの「人間の瞳」が、ギョロギョロと狂ったように蠢いていた。それだけではない。10万円の美しい毛並みの至る所、ミシンで縫いつけられた傷の中からも、無数の生々しい目が覗き、一斉に二人を凝視し始めたのだ。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっっ!!!」
これは不味い。柔らかいから物理的な打撃は全く怖くない。痛くも痒くもない。
だが──あの縫い目の隙間の深淵(中身)に引きずり込まれて、綿と米に包まれたら、その時点で確実に「あちら側」の住人にされてしまう。
「逃げろぉぉぉおおおおおおおッッッッッ!!!!」
真壁と魔子は、泡を吹いている田中さんをその場に置き去りにしたまま、夜の市役所の廊下を死に物狂いで再び走り出すのだった。




