地獄の新学期3
市役所の屋上。
真壁は人生で初めてこの場所に足を踏み入れていた。
「へぇ、初めて来たな……って、本当に何これ、ただのバラック小屋じゃん……」
トタンと木材でツギハギにされた、今にも台風で吹き飛びそうなその小屋の前に立ち、真壁はごくりと唾を飲み込んだ。
「し、失礼しまぁす……」
意を決して古びた木製の引き戸を開けた瞬間、鼓膜を引き裂くような、この世の物とは思えない怨霊の絶叫が室内に木霊した。
「──ぎゃあああああああああああッッッ!!!」
「ひぃっ!?」
真壁は思わず飛び上がって中を見回した。そして、絶句した。
小屋の内部は外見からは想像もつかないほど広く、四方の壁のすべてに、世界中のありとあらゆる宗教的な祭壇がこれでもかと設けられていた。
そのうちの一つ、カトリック風の祭壇にそびえ立つ大きな十字架。そこに鎖でがんじがらめに縛り付けられた怨霊に向かって、妙にハイレグでミニスカ、かつガーターベルトがエロティシズムを醸し出している特注のシスター服をまとった聖課長が、手にした巨大な金属製の十字架を容赦なく振り下ろしていた。
「悔い改めよォォォオオオッ!! 罪深き肉の塊どもがぁぁッ!!」
ドグシャッ! バキィッ! と、およそ聖職者からは発せられてはならない重低音の破壊音が響く。
見れば、他の成仏課の職員たちも、各々の壁の祭壇(仏教、神道、イスラム、果てはマヤ文明風まで)に縛り付けられた幽霊や怨霊を、数珠、錫杖、果ては巨大な絵馬のような神具で、一心不乱に、機械的にしばきあげていた。
(やっぱりここも地獄か……!! 行政の地下も屋上も、どっちも狂ってるんだ……!)
あまりの光景に真壁が絶望のどん底に叩き落とされた、その時だった。
冷たい金属の感触が、真壁の首筋にピタリと押し当てられた。
「誰だ……?ヴァチカンの手の者か……?」
後ろから聞こえてきたのは、低く冷徹な少女の声。
「ひ、ひぃぃぃん!! 違います違います!! 僕は地下の社会復帰課の真壁です! 聖課長の忘れ物を届けに来ただけですぅぅ!!」
「嘘をつけ……!」
少女がナイフをグッと押し付ける。刃が皮膚を切り裂き、真壁の首筋からタラリと一本の血が流れ落ちた。
「あ、あ、あ……」
極限の恐怖により、真壁の股間がじわりと熱くなる。完全に失禁した。
「……あれ? あんまりにも霊力が強いから、どこかの宗教組織の暗殺者かと思ったけど、違うの?」
ローブを羽織った小柄な少女は、つまらなさそうにナイフを鞘へと収めた。
「だめよぉ、魔子ちゃん。その子は地下の烈ちゃんのところの『しもべ』よ? 丁寧に扱いなさいな」
いつの間にか怨霊の頭部を十字架で粉砕し終えた聖課長が、ミニスカの裾を揺らしながら歩み寄ってきた。
「はい、聖課長。申し訳ありません」
少女──魔子は、聖課長に頭を下げた直後、真壁の脛を「ドカッ!」と力任せに蹴り飛ばした。
「チッ、お前のせいで課長に怒られたろ!」
「理不尽すぎるだろぉぉお!!」真壁は脛を押さえてのたうち回った。
「あ、あ、聖課長……これ、忘れてましたよ……」
真壁は震える手で、栞さんから預かった数珠を差し出した。
「あらあら、まぁまぁ! 忘れていたわ。私ったらドジね? テヘペロね?」
アラフォーの聖課長が拳を頭に当てて首を傾げる。そのあまりの破壊(精神的)力に真壁の顔が引きつる。
「ほら、魔子ちゃんも。真壁君にごめんなさいしなさい?」
「……っ。ご、ごめんなさい……です」
魔子は不満そうに、ツンとそっぽを向きながら小さな声で謝罪した。
「ふふ、良い子ね。ほら、ココは良いから仕事に戻りなさいな」
「はい」
魔子はトコトコと、怨霊の耳元で木魚を連打する仕事へと戻っていった。
「真壁君、ごめんなさいねぇ、あの子は『聖魔子』。私の娘でね、今年からここで働いているから、貴方の同期なのよぉ、よろしくね?」
「あ、あはは……その、活発な娘さんで……。あの、その、すっごく怖いんで、用件も済みましたし、そろそろ帰ってもよろしいですか?」
腰を浮かす真壁の肩を、聖課長がガシッと掴んだ。
「何言ってるのよ? お茶くらい飲ませて返さないと、烈ちゃんに『ウチの若いのに茶の一杯も出さねぇのかこの発情ホルスタイン』ってまた因縁つけられて殴り合いになっちゃうわ。ほら座って、座って?」
有無を言わせぬ圧力でパイプ椅子に座らされる。
「ほら、今その首の傷も治してあげるわね」
聖課長が真壁の首筋の切り傷に優しく手を当て、何事か神聖な呪文を唱え始めた。すると、不思議なことに、あれほどズキズキ痛んでいた傷口がみるみると塞がり、綺麗さっぱり消え去っていく。
(あ、凄い……。この人もやっぱり、あのクソゴリラ課長と素手で殴り合うだけあって、人格は宇宙規模で破綻してても、能力は本物なんだな……。目のハイライトが一切なくて凄まじく怖いけど……)
そこへ、娘の魔子が「ドンッ!」と乱暴な音を立てて、真壁の前に湯呑みを置いた。
「……さ、さっきは、悪かったな。……これ、やるよ」
魔子がポケットから取り出し、真壁の前に差し出したもの。それを見た瞬間、真壁はお茶を吹き出しそうになった。
金メッキが施され、禍々しいプラスチック製の龍が巻き付いた、あの「剣のキーホルダー」だった。
(いや、これ、ウチのクソゴリラ課長がバカンスのお土産に皆に配ったやつじゃねぇかぁぁぁああ!!!)
どうやら本当に成仏課の全員に無理やり配り倒したらしい。そして、それが今、巡り巡って自分の元に帰ってきた。
「ふふ、……はは!」
あまりのバカバカしさに、真壁の口から自然と笑いが溢れ出た。
魔子も、真壁の笑顔を見て、少しだけ照れくさそうに口元を綻ばせる。ほんの少しだけ、二人の同期としての距離が縮まった──かのように思えた、その時だった。
治療を終えた聖課長が、おほほ、と微笑ましく二人を眺めながら、自分のシスター服のお股のあたりに両手をギュッと当て、顔を真っ赤に上気させて身をよじり始めたのだ。
「ごめんなさいねぇ……。私のこの、聖なる浄化や回復の力を使うとね、その反動で、どうにもお股が疼いちゃうのよ……」
「は?」真壁の思考が停止する。
聖課長はトロンとした、完全にヤバいクスリでもキメたような目で真壁を凝視した。
「ねぇ、真壁君……? 私を鎮めてくれないかしらぁ? この、奥底から湧き上がる熱い火照りを……ッ!!」
「お母さん!!! 娘の前でそういうのホントやめてってば!!!」
魔子が顔を真っ赤にして叫んだ。
「これ! 職場では『課長』って呼びなさいって言ってるでしょ!」
聖課長がビシッと娘を叱る。
「ごめんなさい、課長……。でも、新しいパパはもういらないから、早く懺悔室(防音)で一人で鎮めてきて!! 見てらんないから!!」
「はいはい、分かったわよ。まったく、融通の利かない子ねぇ……」
聖課長は、先端が禍々しいエグい男根のような形状に変形している金属製の十字架を愛おしそうに抱き抱えると、壁に『懺悔室』と赤スプレーで殴り書きされた完全防音の個室へと、いそいそと消えていった。直後、ガチャンと厳重な施錠の音が響く。
残された真壁と魔子の間に、なんとも言えない、宇宙一気まずい沈黙が流れた。
「……あんなんだけどさ」
魔子が、湯呑みを弄びながらぽつりと言った。
「あの人、本当に凄い人だから。色んな組織や悪い奴らに狙われてるの。だから……さっきは警戒してナイフ出しちゃって、ごめんね」
「な、なるほどね……。うん、大丈夫! もう傷も治してもらったし! ありがとうね、魔子ちゃん」
真壁は引きつった笑顔で立ち上がった。
「じゃ、じゃあ僕はそろそろ行くね! 下の仕事もあるし!」
「うん。これからもよろしくね、真壁君」
「こちらこそ!魔子ちゃん」
真壁と魔子ちゃんは、ガシッと固い握り拳を交わした。唯一の、まともな同期の絆がそこに生まれた瞬間だった。
──そして。
バラック小屋の扉を閉めた瞬間、真壁の足は爆発的な速度で駆動を始めた。
「怖い! 怖すぎるだろあの親子ォォォオオオッ!!!」
屋上から地下の『幽霊社会復帰課』へ向かって、階段を5段飛ばしで猛ダッシュで駆け下りる。
「いや、いいよ!? 百歩譲ってあの親子がサイコなのはいいよ、そういう仕事だもん! でも周りの他の職員たちだよ!! なんで誰も挨拶もしない、誰もこっちを見ないで、一言も喋らずに真顔で悪霊を殴り続けられるんだよ!! 宗教のダイバーシティかよ!! 二度と行くかあんな場所ぉぉぉおッッ!!」
真壁は涙と鼻水、そして乾きかけた尿の臭いを撒き散らしながら、安住では無いが安住の地下のオフィスへと転がり込むのだった。
鬼怒川課長のところも十分すぎるほど地獄だが、この市役所という建物そのものが、とうに魔窟と化していることに、真壁は改めて気づかされる新学期の幕開けであった。




