幽霊社会復帰課の夏休み2
「いやぁぁぁ! まだファーストキスも済んでないのにぃぃぃ! 怪異がファーストキスなんて無理無理無理無理!!」
地上5メートル弱の空中。十六尺様のクソデカい手の中で、真壁は芋虫のようにジタバタと全身で拒絶を示した。純潔をこんな不気味な重低音で鳴く電信柱のような女(?)に捧げるなど、死んでも死にきれない。
だが、その必死の抵抗は十六尺様の独占欲に火をつけただけだった。
「ぽぽ、ぽぽぽぽ……(往生際が悪いよ?霊君……)」
みしり、と真壁を握る手の力が増す。あまりの圧力に肋骨が悲鳴を上げ、真壁の口から「ぎぇ」と情けない声が漏れた。十六尺様はもはやキスどころか、お気に入りのオモチャを丸呑みにして我が物にするかのように、その巨大な割れ口を大きく開け、真壁へと迫る。
(終わった。僕の人生、こんな田舎の都市伝説の腹の中で終わるんだ──)
真壁が完全に現世を諦めかけた、その刹那。
キキィィィィィィィィィーーーーーーッッッ!!!
鼓膜を引き裂くような激しいスキール音を響かせ、真壁の実家の生垣を、そして駄菓子屋の年季の入った看板を豪快にブチ抜きながら、一台の車が砂煙を上げてパワースライドで現れた。
見慣れた、あまりにも見慣れた、あのゴーストバスターズ風に悪趣味な改造を施された復帰課の公用車である。
「か……課長!? 栞さん!?」
車内から勢いよく降りてきたのは、やはりあの二人だった。
いつもの薄汚れたスーツではない。派手なアロハシャツにサングラス、とホットパンツな鬼怒川課長とお揃いの服装の栞さん。
「おんどりゃあ真壁ぇ!!」
開口一発、烈子課長のドスの利いた怒声がひなびた村中に響き渡る。
「バカンスの荷物持ちに連れて行こうと、わざわざこんな車線もまともにねぇ弩級の田舎村まで迎えに来てやったのに家に居ねぇとはどういう了見じゃい!! あァ!? テメェ、ドラム缶に生きた蟹を大量に詰めて、その隙間にお前も詰め込んでコンクリで蓋して海に沈めてやろうか!?」
「あ、それなら十六尺様に食べられた方がマシです!!」
あまりの二者択一の地獄っぷりに、真壁は涙目で叫び返した。
「課長、真壁さんはあの怪異に魅入されていますね」
栞さんが冷静に状況を分析する。
「なるほどな?」
烈子課長はサングラスを指で少し下げ、十六尺様の手の中の真壁をギラついた目で見据えた。
「ワシの優しい愛を拒むなんてのは、そこのデカ女に貞操を奪われたに違いない! 真壁みたいな童貞は初めての女に弱いからな! よっしゃ、ここは一丁、眉目秀麗なこの鬼怒川烈子様が正気に戻してやろう!」
「流石は課長です! 旅の良い思い出がたくさん撮れそうですね」
栞さんはどこから取り出したのか、すでに家庭用のビデオカメラを回し、ノリノリでキャスターのごとく撮影を開始している。
「おら! デカ女! そいつを渡さんかい!」
烈子課長が十六尺様に向かって顎をしゃくると、十六尺様は真壁を掴んだまま、不快そうにその巨大な顔を歪め、重低音の地鳴りを響かせた。
「ぽぽ……? ぽぽぽぽ、ぽぽぽポポ(いきなり出てきてでしゃばんな、この貧乳チビ助が)」
「──だそうです、課長」
栞さんが即座に、無駄に正確な同時通訳を行う。
その瞬間、周囲の空気が完全に凍りついた。十六尺様の放つ怨念の寒気ではない。鬼怒川烈子という人間の形をした災害から噴き出した、ド真っ黒な殺気のせいだった。
「あァん? ……こら? きさん、今なん言うた? お?」
烈子課長の額にピキピキと青筋が浮かぶ。サングラスの奥の目が、獲物を屠る獣のそれに変わった。
「穏便に済ましてやろうと思ったら……お? 誰が貧乳チビ助じゃコラぁ!!」
烈子課長は口に咥えていたタバコを2本同時にペッと地面に吐き捨てると、手に持っていた空き缶を、駄菓子屋のゴミ箱へ寸分の狂いもなく「シュート」した。缶がゴミ箱の底に激突する音と同時に、彼女の身体が爆発的な速度で踏み込まれる。
ドガァァァン!!!
死神の鎌にも例えられる、課長の超弩級のカーフキックが、十六尺様の右足の「三陰交(くるぶしの少し上)」付近に容赦なく突き刺さった。
「ぼ、ぼっぽー!!(いってぇぇぇ!!)」
「──だそうです」
栞さんのカメラワークは完璧だった。
「おうおう? デカいのは図体だけみたいだな、電柱女! オラァ!」
痛みに顔をしかめ、たまらず膝を折り、地面にドスンと手をついた十六尺様。その隙を烈子課長は見逃さない。間髪入れずに放たれた追撃の蹴りが、地面についた十六尺様の手首へと容赦なく突き刺さる。
「ぽぽぽぽ!!(潰れろ、このカトンボがァ!)」
「──だそうです」
激痛にブチ切れた十六尺様が、真壁を掴んでいない方の巨大な左手を、横薙ぎの張り手として振り抜いた。標的は課長。
ドグシャァァァン!!!
凄まじい質量と破壊力を伴った一撃が、ガードを固めて踏ん張っていた烈子課長の身体を正面から捉える。さしもの課長も、この圧倒的な質量の暴力には抗いきれず、弾丸のように吹き飛ばされた。
凄まじい風圧と共に飛ばされた課長は、そのまま田舎特有のトタン張りのバラック小屋みたいな、錆びた薄汚い民家へと直撃。
ガシャァァァン!!!
凄まじい音を立てて民家が完全に崩壊する。瓦礫の隙間からは、ちょうど縁側でお茶をすすっていたと思われる老夫婦が、何が起きたか分からぬまま白目を剥き、泡を吹いて倒れているのが見えた。




