地獄の温泉慰安旅行2
山道の奥深くにひっそりと佇むその宿に到着すると、品のある和服姿の女将が優しい笑顔で出迎えてくれた。
「遠路はるばる、わざわざお越しいただきありがとうございます。幽霊社会復帰課の皆様、どうぞこちらへ……」
丁寧に案内され、通された客室。広々とした和室だが、布団が最初から3人分並べられている。
「……え? 3人部屋? ですか?」
真壁は思わず固まった。
「いや、なんというか、その、あの、僕と課長と栞さんが同じ部屋って、プライバシーというか、男女のゾーニングが――」
ベチンッ!!!
言い終わる前に、課長の容赦ないカーフキックが真壁の右脹脛を正確に捉えた。
「あがッ……!?」
「どんな不潔な妄想をしてんのか知らんけどなぁ、一応これ仕事で来てるんだ。お前の想像通りにはならねぇよ、この色ボケ猿が」
「ひ、ヒドい……そんな妄想なんて一言も……」
真壁が足を押さえて畳に転がると、横で栞が冷淡に付け足した。
「はい、真壁さん。あなたの脳内ピンク補正を現実の数値に置き換えた場合、99.9%の確率であり得ませんのでご安心ください」
「相変わらず計算が速いな栞!」
「それほどでもありません、課長」
「それでは、ごゆっくりお寛ぎくださいませ……」
女将は、畳の上でのたうち回る真壁の背中を、何事もなかったかのように平然と踏みつけて部屋を出て行った。この宿の人間も、どこか普通の倫理観が壊れている。
「さて、真壁ぇ!」
課長がガリガリと頭を掻きながら立ち上がる。
「この旅館を渦巻く『腐れの雰囲気』は、霊感0の私にもビンビンと伝わってくるぞ! 私と栞はひとっ風呂浴びて、サウナをキメてくるからな! お前は館内を見回って目星つけとけ!」
「は、はい……」
「ガハハ! いい湯だといいのぉ!」
浴衣に着替えた課長と栞は、再びのたうち回っている真壁をこれみよがしに踏みつけて、意気揚々と温泉へと向かっていった。
(……待てよ?)
真壁は痛む足を引きずりながら、ハッと気づいた。
(今、課長、僕と同じ部屋で普通に着替えてなかった……? 痛すぎて全然見てなかった……クソがっ!)
理不尽な肉体的苦痛のせいでラッキースケベの権利すら剥奪されたことに気づき、真壁は怒りで奮い立った。渋々立ち上がり、館内の調査へと向かう。
しかし、一歩廊下に出た瞬間、真壁の背筋に冷たいものが走った。
異様。その一言に尽きた。
季節外れの真夏日だというのに、廊下はまるで冷凍庫のように冷え切っている。そして何より――。
(な、なんだこれ……!?)
真壁は愕然とした。
この広い旅館に、生きている「他のお客」の気配が一切ない。その代わりに、薄暗い廊下の隅、半開きになった客室のベッドの上、押し入れの中、さらにはリネン室のタオルの隙間に至るまで、おぞましい形相をした「怨霊」たちがミチミチに詰まっているのだ。その数、数十、いや数百。
(やばい、この旅館はヤバい! 慰安旅行とか言ってるレベルじゃない、ガチの心霊大震災だ!!)
恐怖でガタガタと震えながら廊下を走っていると、背後からスッと人影が現れた。
「どうかされましたか?」
「ひぃっ!? ――あっ、女将さん!」
心臓が飛び出るかと思った。真壁は藁にもすがる思いで女将の着物の袖を掴んだ。
「女将さん! ここ、最近何か妙なことしませんでした!? 例えば、裏山の古い祠を取り壊したとか! 庭の井戸を勝手に埋めたとか! あるいは、お地蔵さんを毎日引っ叩いてるとか!! ――あ、最後のはうちの課長の日課でした。とにかく、何か心当たりはありませんか!? こんなの、土地神様の祟りとか、そういうレベルの霊障ですよ!?」
真壁が必死に詰め寄ると、女将は相変わらずの穏やかな、しかしどこか底の知れない笑みを浮かべたまま、静かに口を開いた。
「いいえ、滅相もございません。私どもは先祖代々、この土地の神仏を何よりも大切に祀ってまいりました。ですが……」
女将の目が、スッと細くなる。
「あるとするならば……」
女将は人差し指を顎に当て、小首をかしげた。
「最近、隣のライバル旅館の女将さんから、綺麗な寄木細工の箱が送られてきましてね。それから何故かお客様の足が遠のいてしまい、毎日お皿は割れるし、お布団に変なシミが付くので困っていたんですよ。そういうのを、何とかしてくださるのでしょう?」
「それを見せてもらってよろしいですか?」
「ええ、こちらです」
女将が奥から持ってきた、不気味な模様の施された木箱。それを見た瞬間、真壁の顔面から血の気が引いた。
「やっぱり……これコトリバコだ! やだぁぁ有名な呪物だよおおお! それもこれ『八戒』っていう、子供とか女性の内臓が千切れて血反吐吐いて死ぬ最上級の奴じゃん! やだぁぁぁぁぁあ!!」
真壁が頭を抱えて叫ぶ中、女将の頭上には綺麗な「?」が浮かんでいた。
「っていうか、何で女将さんは平気なんですか!? これ、触るだけでもヤバいんですよ!?」
「なんででしょうかねぇ? 不思議だわぁ?」
女将はうふふ、と上品に微笑んだ。
「そういえば、その箱をくださった隣の旅館の女将さん、原因不明の血反吐を吐いて今朝亡くなったそうですわ。うふふふ」
(あ……あかん、この人、課長と同じ匂いがする。きっと同族だ……!)
真壁が本能的な恐怖に戦慄していると、背後からドスの利いた声が響いた。
「私がなんだって? 真壁ぇ」
「ひぇっ、出た! お化け!」
「誰が化け物だって? ――あ゛あ゛?」
ギリギリギリギリ!!!
「ぎゃあああああうあばばばば!!!」
温泉から上がった課長(絶世の美女状態)が、真壁の頭部を凄まじい握力だけで鷲掴みにし、そのまま空中へ持ち上げた。アイアンクローである。頭蓋骨が砕ける音がする。
「あらぁ、烈ちゃん。また強くなったんじゃない?」
女将がのんきに声をかけると、課長はフッと真壁を床へゴミのように投げ捨てた。ドサッ。
「叔母さん、もうこの歳で『烈ちゃん』なんて恥ずかしいですよー。普通に『烈子』で良いですよぉ」
「もう〜、烈ちゃんはいつまで経っても烈ちゃんよ!」
(……やっぱり親戚だったか……)
二人の血の繋がったゴリラゴリラ対話を聞きながら、真壁の意識は深い闇へと遠のいていった。




