呪いの女王 序
「真壁ぇ! 栞ぃ! 出張じゃ! 即座に出発じゃあッ!」
珍しく、午前中から凄まじい足音を立てて幽霊社会復帰課に出勤してきた鬼怒川烈子課長。その第一声を聞くや否や、有能すぎる事務の栞さんは、ものの五分で二泊三日の外泊許可申請書を書き上げ、保冷バッグへストロングなレモンサワーとハイライトのカートンを、まるでお弁当でも詰めるかのような手際で敷き詰めていた。
一方、被害チーフ担当の真壁霊は、引き出しから取り出した胃薬をガバガバと水で流し込み、しぶしぶと立ち上がる。
「まぁかぁべぇ〜、何もそんな死にそうな顔して怖がるこたぁないない! スパッと現地に行って、パパッと終わらせて、手取り三百万の美味しい仕事じゃい! 途中のサービスエリアで、ワシが美味い醤油ラーメン食わせてやるからな! ガハハ!」
「どうせまた死ぬような目に遭うのに、醤油ラーメン一杯でこき使われるとは……とほほ……」
いつものゴーストバスターズ風カスタム車に乗り込み、向かうは地方の山奥。地図にも載っていない神社の、そのさらに奥にあるという「禁足地」だ。
栞さんの豪快すぎるアクセルワークが炸裂し、車は弾丸のように高速を飛ばしていく。
途中のサービスエリアでは、課長の言葉通り本当に醤油ラーメンを奢られた。さらに、デザートとして濃厚バニラソフトクリームまで買って貰えたため、真壁は「あれ、今回は意外と普通の出張なのかな……」と、ほんの少しだけ気を緩めてしまった。それが、彼の最大の過ちだった。
数時間後。たどり着いた山奥の神社のさらに奥、鬱蒼と生い茂る不気味な藪の入り口。
そこには、物々しい有刺鉄線が幾重にも張り巡らされ、錆にまみれた立て看板が設置されていた。
【 姦 姦 蛇 螺 注 意 !! 】
看板には、上半身が六本の腕を持つ全裸の女性、下半身が巨大な蛇という異様な姿をした化け物のシルエットが、妙にポップなタッチで子供をひっ掴んで攫っていくような絵が描かれていた。
「ちょっとおおお!!! 課長!!! 姦姦蛇螺はマジでダメでしょ!! ヤバすぎますって!! なんで注意の看板のイラストが教育テレビのキャラクター並みにポップなんですか、逆に怖いわ!!」
「煩いのぅ真壁は! さっきサービスエリアでソフトクリームも買ってやったろ!? つべこべ言わずに諦めて腹か首をくくれ!」
「やだやだやだやだ! 絶対やだ! 帰る! 僕は今すぐ有給を取って地元に帰る!!」
バチィィィンッッ!!!
「っつうううううううううう!!!!!?」
真壁が背を向けようとした瞬間、烈子課長の容赦ないカーフキックが彼のふくらはぎへ炸裂した。強烈な衝撃波によって近くの藪がサァッと揺れる。
「煩いんじゃボケェ! これ以上ガタガタ抜かすと、その有刺鉄線の向こうにあるダラの潜む洞窟へ、頭からパイルドライバーで直接放り込むぞコラ、あぁん!?」
「っつうう……っ、痛つぅ……!」
真壁はあまりの激痛に涙目を浮かべ、腫れ上がったふくらはぎを必死にさすりながら、完全にヘソを曲げて課長を無視し始めた。
それを見た栞さんが、冷徹な瞳で真壁を見下ろす。
「おや、今回は中々に手強い反抗ですね、真壁さん?」
「嫌です! 姦姦蛇螺は怖すぎて本当に無理です!! 両面宿儺が呪いの王子だとしたら、あいつは間違いなく『呪いの女王』ですよ!? 命がいくらあっても足りません! ……っていうか、さっきの衝撃でちょっと漏らしました!」
「はぁ、頑固なやつじゃ。……仕方ない、栞、アレを頼む」
「はい、了解しました。課長」
栞さんがどこかへ携帯電話で短い連絡を入れる。
すると数分後、神社の境内の方から、腰の曲がったヨボヨボの老婆が、ボロ布のようなハンカチを握りしめ、涙を流しながら猛ダッシュで走ってきた。そして、真壁の足元へと激しく泣きついたのだ。
「あああ、お役人様ぁ! 孫が、ワシの可愛い孫が! 遊び半分でこの有刺鉄線の中に入ってしもうたんじゃあああ!! このままじゃダラ様に骨まで喰われてしまうー! どうか、どうか孫を助けておくれぇえぇええええ!!」
「えっ!? お、おばあちゃん!? お孫さんが中に!?」
真壁の正義感と、お人好しセンサーが瞬時に最大値まで跳ね上がった。彼は恐怖を忘れ、必死に老婆の肩を抱き起こす。
「大丈夫ですよ、おばあちゃん! 泣かないでください! 僕たち幽霊社会復帰課が、お孫さんをきっと、絶対に生きて連れ帰ってみせますから!!」
「ああ、ありがたいことだよ、神様仏様お役人様ァァァ!!」
老婆は拝むように真壁の手を何度も握りしめ、真壁も「大丈夫ですからね!」と力強く何度も頷き、おばあちゃんを優しく励まし続けた。
――その真壁の背後で。
カメラは鬼怒川課長と栞さん、そして老婆の三人が、一瞬だけピッタリと視線を合わせ、全員で「ニヤリ」と極悪非道な100万ドルのビジネス笑顔を交わしたのを見逃さなかった。
「よし! 課長、栞さん、張り切ってお孫さんを助けにいきましょう!! 正直、もう怖すぎて膝がガクガク震えて心臓が口から飛び出そうですけど、子供の命には代えられません! 頑張りますよ!!」
そう叫ぶや否や、真壁は有刺鉄線の隙間をくぐり、自ら全力で不気味な藪の中へと突き進んでいった。
彼が完全に藪の奥へと消えたのを確認すると、栞さんは無表情のまま、懐から取り出した分厚い茶封筒を「お疲れ様でした」と老婆の手へと滑らせた。
「おいおい真壁ぇ〜、そんなに焦るなよぉ〜。迷子になっちゃうぞぉ〜(棒)」
鬼怒川課長は、学芸会以下のとてつもない大根演技で、わざとらしい声を上げながら真壁の後を追った。
「あー、待ってください、わたしも行きますよー(超棒)」
さらに輪をかけて感情の死んだ大根演技で、栞さんもその後に続く。
残された老婆は、手の中に収まった大金のズッシリとした重みを確かめると、今度は別の意味で深く感謝しながら、幽霊社会復帰課の乗ってきた車に向かって何度も手を合わせ、拝み続けるのだった。




