社会復帰課の長い一日2
「ふふふふ、これより我が日本陰陽師連盟の選りすぐりの刺客達が奴らに襲いかかり、締めて五千二百万円……いや、矢部の治療費と慰謝料も含めて五千二百三十万円はきっちりふんだくってやるのだ! ふははははは!!」
ビル屋上からの道男の負け犬の遠吠えのような高笑いが響く中、刺客たちの第一波はすでにターゲットを捕捉していた。
◇
公園の広場にある木製のベンチ。
真壁と魔子は並んで腰掛け、魔子が今朝早起きして一生懸命作ったというお弁当を広げて、のほほんとした時間を過ごしていた。
「美味しいよ! 魔子ちゃん、この卵焼き最高!」
「べ、別にアンタの好みに合わせて甘い味付けにした訳じゃないんだからね! でも……まぁ、良かった。ずっと後ろをつけてきてたお母さんも、なんか急に飽きたのかどっか行っちゃったしね」
「うん、あれは本当に怖かったよ……。ハイライトの完全に消えた目で、季節外れの木の枝を両手に持って茂みに隠れてる聖課長は、うちの鬼怒川課長とは全く別のベクトルで夜道に出会いたくない怖さがあるよ!」
「ふふ、でしょ?」
二人の間に、それまでの緊張が嘘のような、とても柔らかくて甘酸っぱい青春の時間が流れていく。真壁の心臓の鼓動が、お弁当の美味しさと魔子との近さで少しだけ早くなる。
だが、その平穏は一瞬で切り裂かれた。
「真壁君、退がって!!」
「プゲェッ!?」
急に魔子が立ち上がったかと思うと、真壁の胸をものすごい力でベンチごと後ろへと押し倒した。情けない声を上げながら、真壁は後頭部から派手に芝生の上へと転がっていく。
「いてて……」と涙目で頭をさすりながら前方を確認すると、そこにはいつの間にか、時代錯誤な狩衣を身にまとった三人の見知らぬ男たちが不気味に立ちはだかっていた。
「誰だ! ヴァチカンの手の者か!? それともロシア正教会の刺客!?まさか?!アーネンエルベ(SS先史遺産研究所)の残党?!」
魔子が素早く二本の呪物ナイフを引き抜き、鋭い構えを取りながら、どう見ても和風な男たちに向かって完全に的外れな海外組織の名を叫んだ。
「魔子ちゃん、違うと思うよ? どこからどう見ても和風だよ、ガチの陰陽師スタイルだよそれ!?」
芝生に転がったまま真壁が必死に訂正を入れる。
「あ? もう、私ったら! テヘペロね! ……じゃなくて!! なんでいっつも真壁君と良い雰囲気になると、決まって邪魔が入るのよ!! 私を幽霊成仏課の隠し兵器(自称)、聖魔子と知っての狼藉? どうせ、そこの貧弱なハダカデバネズミが狙いだとは思うけど!」
中央に立つ一番ガタイのいい男が、冷酷な笑みを浮かべて一歩前に出た。
「左様。我らの標的はそこな霊感だけの若者の身柄。小娘よ、用が無いならとっとと、あそこの公衆便所で昼間から破廉恥で卑猥な声を上げている母親を連れて、大人しくお家に帰りなさい」
その言葉に、魔子はハッと目を見開き、数十メートル先にある公衆便所へと視線を向けた。そこからは確かに、ベテラン熟女特有の艶めかしい声が漏れ聞こえてきている。
「え……? お、お母さん、またやってるの!? もう!! だから新しいお父さんは要らないって言ってるのにぃー! バカーーーー!!」
魔子はナイフを構えていたことも完全に忘れ、顔を真っ赤にして脱兎の如く公衆便所へと走り去ってしまった。家庭の事情の闇が深すぎる。
「あ……魔子ちゃん? おーい、置いてかないで……?」
一人取り残された真壁は、冷や汗をだくだくと流しながら、目の前の凶悪な刺客三人を見上げた。
「あの……すみません。ツレが急用で行っちゃったので、その、僕も今日はもうおうちに帰っても良いですかね……?」
ガシッ。
「ですよねーーーーーっっ!!! 助けてぇぇぇえええ!!! 魔子ちゃーん! 栞さーーーん! 鬼怒川課長ォォォオオオおぉぉ!!」
有無を言わせぬ力で襟首を強引に掴み上げられ、真壁の本日一番の情けない悲鳴が、日曜日の爽やかな河原の公園に、虚しく響き渡るのだった。
◇その頃、お洒落なカフェテラス
此花栞さんはお気に入りのダージリンティーを最後の一滴まで飲み干すと、カチャリと繊細な音を立ててカップをソーサーに優しく置き、シルクのハンカチで静かに口元を拭った。その洗練された一連の動作は、周囲の誰もが思わず見惚れて振り返るほどの美しさだった。
しかし、その怜悧な瞳の裏で考えていたことは、およそ休日らしからぬ極めて不穏なシミュレーションだった。
(さっきから見られている。人数は二人。一人は気配の隠し方も知らない無能。もう一人は微かに霊素の臭いがする……陰陽師かしら。日曜日を狙って私だけをターゲットにするなんて非効率なことはしないはず。ということは、今頃あの無防備な真壁さんは、あんなことやこんな目に遭って泣き叫んでいる頃ね……くふっ……。あ、いけない、笑っちゃダメね)
栞さんはいつものポーカーフェイスを崩さぬまま、鞄から手鏡を取り出し、少しだけお化粧を直すフリをして背後の刺客を確認した。その一切の無駄がないスマートな索敵は、冷戦時代を生き抜いた凄腕の女スパイもかくやというプロのそれであった。
「ごちそうさまでした」
伝票を手に取った栞さんは、手鏡を鞄に仕舞い込みながらすっと立ち上がると、迷いのない足取りでツカツカと背後の観察者たちへ歩み寄った。
そして、間髪入れずにそのうちの一人の顔面を、コンパクトな右ストレートで正確に撃ち抜いた。
「ぶふぇっ!?」
激しい衝撃音と共に男が吹っ飛ぶ。栞さんの華奢な拳には、手鏡を仕舞い込んだ刹那に装着された、チタン合金製のお手製凶悪ナックルダスターが鈍い光を放ちながらガッチリと嵌め込まれていた。
日曜日の爽やかなカフェテラスで狩衣という極めて浮いた格好をしていた陰陽師の刺客は白目を剥いてそのままコンクリートの床へと沈み込み、大きく二度痙攣してからピクリとも動かなくなった。
栞さんはナックルを素早く鞄に隠すと、もう一人の怯える刺客に向けて、その場にパッとへたり込んで叫び声を上げた。
「きゃー、ちかーん!」
それは、普段の彼女の有能さからは到底想像もつかないほどの、凄まじい大根演技であった。感情の起伏がゼロの、完全に棒読みの悲鳴。
しかし、そんな大根演技であっても、誰もが振り返る美人な眼鏡っ娘OLの「チカン」というSOSワードの破壊力は凄まじかった。
「おい、テメェ何やってんだ!!」
「日曜日のお洒落カフェでチカンだと!?」
「おいお前ら、あの野郎を囲め!!」
テラス席や周囲を通行中だった正義感(と下心)に溢れるたくさんのメンズたちが、怒りに目を血走らせ、指の骨をパキパキと鳴らしながら、残された一人の刺客へと蟻のように群がっていく。
「ち、違う! 俺は陰陽師の刺客で──ぶふぇっ!?」
そんな男の必死の弁明と怒号の騒動に、栞さんはすっと背を向けて立ち上がり、何事もなかったかのように衣服の埃を払った。
「さて……。真壁さんの命の安否はとりあえず置いておいて、寝起きで機嫌の悪い課長が目覚めの一発で刺客を文字通り『SATUGAI⭐︎』してしまう前に、止めねばなりませんね」
栞さんは路肩へ歩み出ると、ツッと綺麗な所作で一台のタクシーをスマートに呼び止めた。
「運転手さん、市庁舎の地下駐車場まで。あ、領収書の宛名は『日本陰陽師連盟』で、支払いはすべてあちらへ着払いでお願いします」
「へ? あ、はい……?」
戸惑う運転手を急かし、栞さんを乗せたタクシーは急加速で走り去る。理不尽な復讐劇の裏で、日本陰陽師連盟の経理部には、またしても不条理な請求書が蓄積されつつあるのだった。




