表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

95/95

幕間 帝国騎士団長、皇帝陛下の名を添えて、レオノーラへ名誉職として帝国騎士団総長就任を依頼する

 地竜討伐の報が帝都へ届くまで、そう時間はかからなかった。


 しかも今回は、ただの討伐報告ではない。


 公爵領山岳地帯に出現した地竜を、アルトヴァイス公爵令嬢レオノーラが討伐。

 死者なし。

 負傷者増加なし。

 戦果確保。

 ただし、山腹の一部地形に顕著な変化あり。


 最後の一文だけ、どこか妙に印象へ残る。


 帝都。


 帝国騎士団本部の一室で、その報告書を読んだ男がいた。


 帝国騎士団長、ルドルフ・ヴァイスハルト。


 五十代半ば。

 壮年を越え、老境にはまだ遠い。

 髪には白いものが混じっているが、立ち姿はまだ剣の人間だった。


「……地竜を討った」


 低くそう呟く。


「しかも」


 彼の指が報告書の末尾をなぞる。


「山腹の一部地形に顕著な変化、か」


 それは婉曲表現だ。

 官僚的に整えられている。

 だが逆に分かる者にはよく分かる。


 切ったのだ。

 竜ごと、山を。


「団長」


 副官が静かに声をかける。


「何だ」


「どうされますか」


 ルドルフはすぐには答えなかった。

 報告書をもう一度読む。

 討伐の速さ。

 初動の的確さ。

 戦果の扱い。

 そして、“領民への還元”という一文。


 ただ強いだけではない。

 討ったあとまで見ている。


「……おかしいな」


「何がでしょう」


「強いだけなら、まだ理解できる」


「はい」


「竜を討った、それも理解できる」


「はい」


「だが、討った後に山の線を見て、戦果を還元し、騎士団の運用まで乱さず回す」


 そこでルドルフは、ようやく報告書を置いた。


「それは、もう一個人の剣の枠ではない」


 副官は黙っていた。

 そして、その沈黙は肯定だった。


「陛下には」


「すでに概要が上がっています」


「そうか」


「ご関心を持たれたようです」


「だろうな」


 ルドルフは背もたれへ体を預け、少しだけ天井を見た。


 帝国騎士団。

 剣の頂点。

 帝国の武の象徴。


 だが象徴というものは、必ずしも日々前線を駆ける必要はない。

 時として必要なのは、剣そのものより、それが立つだけで意味を持つ存在だ。


「副官」


「はい」


「正式な使者を出す」


「誰宛に」


「アルトヴァイス公爵家」


「内容は」


 ルドルフは少しだけ笑った。


「依頼だ」


「依頼、ですか」


「そうだ」


「何の?」


 ルドルフは、ためらいなく言った。


「レオノーラ・アルトヴァイスへ、名誉職として帝国騎士団総長就任を依頼する」


 副官が、珍しく言葉を失った。


「……団長」


「何だ」


「それは、かなり」


「かなりだな」


「本気ですか」


「本気だ」


 その返答に迷いはなかった。


「もちろん常任ではない」


「ええ」


「帝都へ縛るつもりもない」


「ええ」


「だが、帝国騎士団総長の名誉職として」


「ええ」


「帝国の武の一つの象徴となることを、皇帝陛下の名を添えて依頼する」


 副官は、なおも少しだけ黙った。


「……受けるでしょうか」


 ルドルフは、そこで初めて本気で考えた。


「受けんだろうな」


「では、なぜ」


「だから依頼するんだ」


 短い。

 だがそれがすべてだった。


「命令ではない」


「ええ」


「任命でもない」


「ええ」


「依頼だ」


「皇帝陛下の名を添えて?」


「そうだ」


「ずいぶん重い依頼ですね」


「重くなければ意味がない」


 ルドルフは立ち上がった。


「相手は地竜を討ち、山を斬り、それでも戦果を領民へ返す女だ」


「ええ」


「軽い肩書で釣れると思う方が失礼だろう」


 その理屈に、副官は何も返せなかった。


 数日後。


 アルトヴァイス公爵家。


 その日、公爵家には帝都からの正式な使者が来た。

 家格にふさわしい礼装。

 騎士団の紋章。

 そして、封蝋には皇帝の意匠。


 応接間には、父ヴァルター、母エレオノーラ、クラウス、そしてレオノーラが揃っていた。


 空気が少しだけ重い。

 当然だ。

 皇帝名を添えた書状が、軽いはずがない。


「アルトヴァイス公爵閣下」


 使者が一礼する。


「帝都より、帝国騎士団長ルドルフ・ヴァイスハルト閣下の使いとして参りました」


「用件を」


 ヴァルターの声も低い。


 使者は、ひとつ呼吸を整え、それから書状を開いた。


「“地竜討伐並びにその後の指揮運用、戦果処理における働き、まことに見事であった”」


 それは導入に過ぎなかった。


「“よって、レオノーラ・アルトヴァイス嬢へ、名誉職として帝国騎士団総長就任を依頼する”」


 応接間が、完全に静まった。


 レオノーラは一瞬、目を瞬いた。

 母エレオノーラは扇を持つ手を止めた。

 クラウスは、珍しく本当に無言だった。

 父ヴァルターだけが、数秒遅れて低く言う。


「……何だと」


 使者は続ける。


「“本依頼は、常任の任ではない”」


「“帝都常駐も義務としない”」


「“だが、帝国騎士団総長の名誉職として、帝国の武を象徴する座に立つことを請う”」


「“なお、本依頼は皇帝陛下へ奏上済みであり、陛下もまたこれを可とされた”」


 最後の一文が重かった。


 皇帝陛下もまたこれを可とされた。


 つまり、ただの騎士団長の思いつきではない。

 帝国中枢が、一度は通した話だ。


「……お父様」


 最初に口を開いたのは、レオノーラだった。


「何かしらではない」


 ヴァルターは即答した。

 だいぶ珍しく、少しだけ険しかった。


「これは」


「ええ」


「どう受け取ればよろしいのかしら」


「重い依頼だ」


「ええ」


「だからこそ、即答するな」


「いたしませんわ」


 そこへ母エレオノーラが静かに入る。


「名誉職、なのね」


「はい」


 使者が答える。


「実務の総覧ではなく」


「ええ」


「象徴として?」


「はい」


「帝国騎士団長閣下は、“帝国の武の頂に、実在する剣を置きたい”と仰せでした」


 その言い方は、美しかった。

 そして、美しすぎるからこそ危険でもあった。


 クラウスが、ようやく口を開く。


「お姉様」


「何かしら」


「今、少しだけ興味を持ちましたね」


「少しだけですわ」


「少しではないわね」


 母が言う。


「かなりね」


 レオノーラは小さく咳払いした。


「ですが」


「何だ」


 父が問う。


「名誉職で、帝都常駐ではなく、象徴として」


「ええ」


「つまり、剣を振る実務ではないのでしょう?」


 その問いに、使者はすぐ頷いた。


「はい」


「では、どうしてわたくしなのかしら」


 その問いは、本気の疑問だった。


 使者は少しだけ視線を落とし、それから答えた。


「地竜を討ったからです」


「ええ」


「山を斬ったからです」


 父ヴァルターが目を閉じた。

 そこを真正面から言うのですね。


「そして」


 使者は続ける。


「それでも、その後を領地へ返したからです」


 応接間が、また少し静まる。


「強い方は他にもおられます」


「ええ」


「ですが、討ったあとまで武として扱える方は、そう多くありません」


 その説明は、妙に納得がいくから困った。


「ルドルフ団長は」


 使者が言う。


「“剣が立つだけでは足りない。剣が立ったあとに、人が続ける形まで見える者でなければ意味がない”と」


 レオノーラは、そこで黙った。


 それは少しだけ、今まで自分が考えてきたことにも近い。


 強いだけでは足りない。

 強い者がどう共同体へ入るか。

 どう止まり、どう渡し、どう残すか。


 学院で嫌というほど考えた。

 工房でも、森でも、そして山でも、その延長をやっていたのかもしれない。


「……なるほど」


 小さくそう呟いた時、父がすぐに言った。


「なるほどではない」


「どうしてですの」


「そこはもう少し抵抗しろ」


「ですが、お父様」


「何だ」


「理屈は通っておりますわ」


「通っているから困るのだ」


 それはその通りだった。


 母が静かに扇を閉じる。


「すぐには答えられません、とまず返しましょう」


「ええ」


「即答は危険ですわね」


「かなり」


 クラウスも頷く。


 使者は、そこに異論なく一礼した。


「もちろんです」


「帝国騎士団長閣下も、即答を求めてはおりません」


「ただ」


「何だ」


「“断られる可能性も込みで、それでも依頼する価値がある”と仰せでした」


 応接間の空気が、わずかに変わる。


 重い。

 だが、真摯でもある。


 父ヴァルターがゆっくりと息を吐いた。


「……分かった」


「では」


「返答は預かる」


「承知しました」


 使者が去ったあと、しばらく誰も口を開かなかった。


 最初に沈黙を破ったのは、やはり母だった。


「帝国騎士団総長」


「ええ」


「名誉職」


「ええ」


「皇帝陛下の名付き」


「ええ」


 そこで母はレオノーラを見た。


「どう思うの?」


 レオノーラは少しだけ考えた。


「重いですわね」


「ええ」


「そして」


「ええ」


「かなり、面倒ですわ」


 父が、そこでようやく少しだけ笑った。


「それでいい」


「どうしてですの」


「面倒だと思えるうちは、まだ大丈夫だ」


 クラウスが静かに言う。


「お姉様は、受けるか断るかより先に、“それが何を意味するのか”を考え始めています」


「ええ」


「それが一番お姉様らしいですね」


 レオノーラは、窓の外を少しだけ見た。


 夏の光。

 静かな庭。

 断星のある部屋。

 そして今、帝都から届いた重い依頼。


「……少なくとも」


 小さく言う。


「断るにしても、受けるにしても」


「ええ」


「軽く決めてよい話ではございませんわね」


 その言葉に、父も母もクラウスも頷いた。


 帝国騎士団総長。

 名誉職。

 皇帝陛下の名付き。


 それは栄誉である。

 同時に、意味を持ちすぎる座でもある。


 だからこそ、レオノーラはすぐには答えなかった。


 それが今の彼女にできる、最もまっとうな返答だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ