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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 玉響すばる


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第35話 ようやく一つ返しましたけれど、向こうがそれで終わる気などないのも分かっておりますわ

 ――ようやく、一つ返しましたわね。


 その実感は、馬車が屋敷へ着く頃には、じわじわと体の奥へ落ちてきていた。


 勝った。

 少なくとも、あの場では。


 学院側には、制御できることを見せた。

 騎士団側には、勝手な理想像だけでは見られない形を残した。

 そしてアルベルトには、婚約相手としての基準が別にあると、はっきり伝えた。


 悪くない。

 かなり悪くない。


 だが同時に、レオノーラは冷静でもあった。


 向こうがそれで終わる気などない。


 それもまた、よく分かっている。


「お姉様」


「何かしら」


「今、だいぶ良い顔をしています」


 馬車の向かいでクラウスが言った。


「勝った顔ですかしら」


「半分は」


「残り半分は?」


「まだ油断していない顔です」


 レオノーラは小さく笑った。


「ええ。たしかに」


「でしょう」


 弟は当然のように頷く。


「お姉様は、一度勝った程度で気を抜く方ではありませんから」


「気を抜いた瞬間に、別のところから面倒が来ますもの」


「それもそうです」


 まったくもってその通りである。


 屋敷へ戻ると、父ヴァルターも母エレオノーラも、今日は珍しくはっきりと安堵した顔を見せた。


「どうだった」


 父の問いは短い。


「大きくは崩しませんでしたわ」


 レオノーラも短く返す。


「婚約の話も?」


「はい」


「騎士団の視線も?」


「たぶん、少しはずれましたわ」


 父はそれを聞いて、大きく息を吐いた。


「なら十分だ」


 母は席へ着くよう促しながら、穏やかに言った。


「詳しい話は食事のあとにしましょう。今日はまず、無事に終わったことを喜ぶべきだわ」


 その言い方は、少しだけ胸に染みた。


 無事に終わった。

 たしかにそれが一番大きい。


 夕食の席では、細かな分析はしなかった。

 それでも家族の空気が少しやわらいでいたのは、たぶん全員が今日の意味を分かっていたからだろう。


 食後、小会議室へ移る。


 父、母、クラウス、そしてレオノーラ。


 いつもの布陣だ。


「では改めて」


 父が言う。


「どうだった?」


 レオノーラは少しだけ考え、整理してから口を開いた。


「学院側には、制御できることを見せられましたわ」


「ええ」


「完全別枠の方向へは、たぶんもう戻りにくいかと」


 クラウスが頷く。


「それは大きいですね」


「騎士団側は?」


 母が問う。


「若手は、たぶん余計にかぶれますわ」


 父が顔をしかめた。


「やはりか」


「ですが」


 レオノーラは続ける。


「少なくとも、“ただ派手で強い”ではなく、“やたら実務的で面倒な剣の使い手”という印象も入ったはずです」


 母が扇を軽く閉じる。


「それなら悪くないわね」


「ええ」


「理想像だけで見られるより、ずっといいわ」


 そこは本当にそうだった。


「殿下は?」


 父の問いに、レオノーラは一瞬だけ黙った。


「……追及はされませんでしたわ」


「それはよかったのでは?」


 母が言う。


「半分は」


 レオノーラは正直に答える。


「ですが、納得して止まったというより、“確認した”上で持ち帰った感じですの」


 父も母も、少しだけ真面目な顔になる。


「なるほどな」


 父が低く言う。


「つまり、今日は今日で一度区切ったが、話が消えたわけではない」


「はい」


 クラウスがそこへ淡々と補足する。


「むしろ、殿下の中では材料が増えた可能性がありますね」


「ええ」


 レオノーラも頷く。


「だからこそ、今日で終わったとは思っておりませんわ」


 その認識に、父はむしろ少し安心したようだった。


「ならいい」


「お父様?」


「今日うまくいったからといって、お前が急に楽観へ傾くのが一番困ると思っていた」


「そこまで単純ではございませんわ」


「知っている。だが確認だ」


 また確認。


 レオノーラは少しだけ苦笑した。


「流行っておりますの、この言葉」


「お前の周りでだけだろう」


 それはそうかもしれない。


 そこへ、クラウスがふと口を開いた。


「お姉様」


「何かしら」


「今日の件で一つ、たぶん次に来るものがあります」


「何ですの?」


「騎士団だけでなく、貴族社会側の反応です」


 レオノーラは少しだけ目を細めた。


 たしかに。


「どういう意味かしら」


「学院での実力測定は、結局、上級生や教員だけで閉じる話ではありません」


 クラウスは整理するように続ける。


「一組の生徒は高位貴族が多い」


「騎士科の上級生も見ていた」


「騎士団側にも多少は伝わる」


「つまり」


「つまり?」


「“皇太子の婚約候補かもしれない公爵令嬢が、学院でどうだったか”は、遅れて外へ流れます」


 それは、かなりあり得る話だった。


 しかも厄介なことに、流れる時には要約される。

 誰かの主観も混ざる。

 つまり、また別の誤解が生まれる余地がある。


「……面倒ですわね」


「ええ」


 クラウスは即答した。


「ですが今度は、騎士団の偶像化よりは対処しやすいと思います」


「どうして?」


「お姉様ご自身が、今日の場で“学院の十分と婚約の十分は違う”と公言したからです」


 父がそこで少しだけ目を上げた。


「そこはかなり効くか」


「効きます」


 クラウスは迷いなく頷いた。


「少なくとも、“試験で評価されたから婚約に前向き”という雑な解釈は潰せる」


 それは大きい。

 かなり大きい。


「でしたら」


 レオノーラは静かに言う。


「次にやるべきは、外へ出る解釈を選ぶことですわね」


 母が微笑む。


「そう。そこまで見えていれば十分よ」


「具体的には?」


 父が問う。


 レオノーラは少し考えてから答えた。


「学院での結果そのものを外へ広める必要はございません」


「ええ」


「ですが、もし何かしら話が出回るなら、“安全管理と制御を重視した測定であった”ということだけが残る形が望ましいかと」


「なるほど」


 父も納得したようだった。


「“強かった”より、“学院側も慎重に運用している”の方が、婚約話には熱が乗りにくいか」


「はい」


 これが前世なら、完全に広報と火消しの中間みたいな作業である。

 色気も夢もない。

 だが、今のレオノーラにはむしろそれがしっくりくる。


「お姉様」


 クラウスが言う。


「今日はもう十分です」


「そうかしら」


「ええ。これ以上は、考えても精度より疲労の方が大きいです」


 レオノーラは一拍置いてから頷いた。


「……ええ、そうですわね」


 小会議室を出て、自室へ戻る。


 さすがに少し疲れていた。

 だが、嫌な疲れではない。


 重いものを運び切った後のような疲れだ。

 終わった。

 まだ全部ではない。

 だが一つ、確実に終えた。


 その夜、レオノーラは机に向かわなかった。

 紙も広げない。

 剣の手入れだけを最低限済ませ、窓辺に立つ。


 夜風は少し冷たい。


「……勝ちましたわね」


 小さく呟いてみる。


 口に出したのは、これが初めてかもしれない。


 すると不思議なことに、嬉しさより先に、次の面倒への警戒が浮かんだ。


 やはり自分はそういう性分なのだろう。


 翌朝。


 学院へ向かう馬車の中で、クラウスが言った。


「今日は少し楽では?」


「半分くらいは」


「残り半分は?」


「次が来る気がいたしますもの」


 クラウスは小さく笑った。


「たぶん当たりです」


「やはり?」


「はい」


「何か情報が?」


「正式ではありませんが」


 弟は少しだけ声を落とした。


「昨日の見学に来ていた騎士科三年の一部が、“公爵令嬢の測定は本物だった”と、だいぶ熱く語っているそうです」


 やめてくださいまし。


 本当にやめてくださいまし。


 レオノーラは額を押さえたくなった。


「そこ、熱く語るところですの?」


「騎士科にとってはそうなのでしょうね」


 まったくもって理解しがたい。


 だが、分からないでもない。

 見る側には、見る側の物語がある。


「……やはり、終わっておりませんわね」


「ええ」


 クラウスはあっさり頷いた。


「ですが」


「何かしら」


「前よりは、だいぶ良い形で広がっています」


「どういう意味?」


「“とんでもない怪物”ではなく、“やたら制御された危険物”くらいには」


「全然良くありませんわね?」


「前よりは良いです」


 否定しきれないのが悔しい。


 学院へ着くと、たしかに空気が少し違った。


 視線はある。

 だが昨日までの“珍しいもの”や“面白いもの”を見る目だけではない。


 どこか、慎重さが混ざっている。


 言い換えるなら、距離の取り方を考えている目だ。


 悪くない。

 かなり悪くない。


 教室へ入ると、今日はアーネストが最初からこちらを見ていた。

 だが、すぐには何も言わない。


 リヒャルトも静かだ。

 セシリアとレティシアも、必要以上に騒がない。


 そしてアルベルトは、机上の書類から顔を上げた。


「おはよう」


「おはようございます、殿下」


 短い。


 それだけだった。


 その一言だけで終わるのは、少し意外だった。

 だが、今はそのくらいがちょうどいい。


 席へ着き、教科書を出しながら、レオノーラは静かに思った。


 昨日、自分は一つ返した。

 なら次は、返したあとの余波を整える番だ。


 戦いはまだ終わっていない。

 だが、もう最初の頃のように、ただ巻き込まれるだけではない。


 こちらにも流れを選ぶ余地がある。


「お姉様」


 その日の昼、教室前まで来たクラウスが小さく声をかける。


「何かしら」


「少しだけ」


「ええ」


「昨日より、空気が変わっています」


「ええ。わたくしもそう思いますわ」


「でしたら」


 クラウスはほんの少しだけ口元を緩めた。


「お姉様の勝ちを、周囲も認識し始めたのでしょう」


 その言葉は、思った以上に心へ残った。


 勝ち。

 そうかもしれない。


 少なくとも昨日までと今日では、自分を見る目が違うのだから。


 だが同時に、レオノーラは分かっていた。


 勝ったからこそ、次に来るものもある。


 そしてその“次”は、やはりすぐに来た。


 午後の授業が終わった後、マグダ教員が教室へ入り、淡々とこう告げたのである。


「アルトヴァイス嬢」


「はい」


「放課後、応接室へ来なさい」


 レオノーラは一瞬だけ瞬きをした。


 応接室。

 教室ではなく、武芸棟でもなく。


 それはつまり、学院の外に近い話だ。


 やはり、次が来ましたのね。

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