第16話 午後の武芸を避けたい気持ちはございますけれど、避けた瞬間に負けた気もいたしますの
二限目の授業が終わる頃には、レオノーラは一つの結論に達していた。
午後の選択基礎、武芸は取るしかない。
嫌ではある。
非常に嫌ではある。
ただでさえ昨日の武芸棟の件で注目を集めたのだ。そこへ自分から武芸を選べば、周囲に「やはりそうか」と確信を与えることになる。
静かな学院生活から、また一歩遠ざかる。
だが一方で、ここで武芸を避けるのもよろしくない。
不自然だからだ。
昨日あれだけのものを見せておいて、今日になって武芸を取らない。
それはそれで、妙な憶測を呼ぶ。
行動経済学的に言えば、人は大きな情報を得たあと、その整合性を無意識に探す。
つまり周囲はもう、巨大剣を背負う公爵令嬢=武芸を選ぶものという認知を持ち始めている。
そこで逆へ振ると、「なぜ?」が生じる。
そして、その「なぜ?」は大抵ろくな形にならない。
「……面倒ですわね」
ぽつりと漏らした時、前の席のリヒャルトが小さく振り返った。
「何がです」
「世の中の整合性ですわ」
「哲学の授業ならまだ先だ」
思ったより乾いた返しだった。
少しだけ面白い。
アーネストはというと、休憩に入った瞬間から妙にそわそわしていたが、今度は昨日より慎重だった。レオノーラに一度釘を刺されたのが効いているのだろう。
「……で、結局どうするんだ」
少し控えめな声で聞いてくる。
「何がですの?」
「午後」
「選択基礎ですわね」
「そう、それ」
やはりそこか。
レオノーラは鞄を整えながら、あえて即答せずに数秒置いた。
この程度の間は必要だ。すぐに答えると、待ち構えていた相手の土俵に乗る気がして癪である。
「武芸を選ぶつもりですわ」
最終的には、素直にそう答えた。
アーネストの顔が明るくなる。
分かりやすすぎる。
「だろうな」 「だが、騒ぐな」
リヒャルトが即座に刺す。
「騒いでないだろ」 「顔が騒いでいる」 「お前、最近ちょっと俺への当たり強くないか?」 「気のせいではない」
良い。
非常に良い。
この二人の会話は、微妙にレオノーラの負担を減らしていた。自分に意識が向き続けないからだ。
そこへ、斜め前からレティシアが振り返った。
「レオノーラ様も武芸をご選択なさるのですね」
やはり聞こえていたらしい。
「ええ、その予定ですわ」
「わたくしは礼法にいたしましたの」
それも実にレティシアらしい選択に見える。
というより、彼女が武芸を選ぶ絵が今のところ浮かばない。
レティシアは少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「見学できたらよかったのですけれど」
やめてくださいまし。
レオノーラは心の中で即答した。
また“見たい”が増える。とても困る。
「見学向きではございませんわ」
できるだけやわらかく返す。
「そうですの?」
「ええ。訓練とは、本来もっと地味なものですもの」
これは本心だ。
武芸棟で見せた三本の打ち込みは、あれでだいぶ整えたものだ。
普段の鍛錬はもっと反復的で、泥臭くて、見て楽しいものではない。
だがレティシアは、その答えにかえって感心したようだった。
「そういうところも、やはり素敵ですわね」
またそこですのね。
レオノーラは少しだけ視線を宙へ逃がした。
どうもこの少女には調子を崩される。
アルベルトは前方で何か書類を見ていたが、その会話は聞こえていたらしい。振り返らないまま言う。
「フローレンス嬢、君は本当にレオノーラ嬢を気に入っているな」
「はい」
即答だった。
レティシアは躊躇わず続ける。
「だって、格好いいのですもの」
教室が一瞬、静かになった。
レオノーラは固まった。
やめてくださいまし。
真正面からそういうことを言わないでくださいまし。
アーネストが噴き出しかけ、リヒャルトが咳払いで誤魔化し、セシリアが遠くから目を丸くしている。
そしてアルベルトだけが、静かに「そうか」と返した。
その声音が妙に落ち着いていて、かえって居心地が悪い。
「……光栄ですわ」
レオノーラはどうにかそれだけを返した。
それ以上は無理だった。
こういう場面で上手く返せるほど、前世も今世も恋愛に長けていない。
午前の授業がすべて終わり、昼休みに入る。
一組の生徒たちはそれぞれ昼食を取るため、教室や中庭、食堂へ散っていく。
レオノーラは昨日の経験を踏まえ、今日は最初から教室で食べることにしていた。
動けばそれだけ視線が増える。
ならば、移動を減らした方がいい。
「ここで召し上がるのですか?」
セシリアが、持参したランチボックスを抱えたまま近づいてくる。
「ええ。そのつもりですわ」
「でしたら、わたくしもご一緒してよろしいかしら」
これは悪くない申し出だった。
セシリアは距離感がいい。
必要以上に踏み込まないし、かといって気まずさだけを置いていくこともない。
今のレオノーラには、かなりありがたい相手だった。
「もちろんですわ」
二人で窓際の席に座る。
ほどなくして、レティシアも少し離れた席で昼食を取り始めた。彼女はこちらを気にしつつも、さすがにずけずけとは来ない。そのあたりの加減はあるらしい。
レオノーラは少し安心した。
「今日の午後、緊張いたしますわね」
セシリアが小さく言う。
「ええ」
「一組ですもの。選択基礎といっても、最初から見られている気がいたします」
「それはそうでしょうね」
実際、その通りだろう。
高位貴族や成績上位が集められたクラスで、最初の実技。
教師も周囲も、誰がどの程度できるかを見てくるはずだ。
つまり、単なる授業というより、ほぼ査定に近い。
「セシリア様は何をお選びになりましたの?」
「礼法ですわ。その後は魔術基礎も取るつもりです」
堅実だ。
そして賢い。
最初から自分の得意分野を明確にしつつ、無理なところへ行かない。
「よい選択ですわ」
「ありがとうございます。レオノーラ様は、武芸と……?」
「魔術基礎も見ておきたいところですわね」
「魔術もお得意なのですか?」
「身体強化だけですけれど」
セシリアは目を瞬いた。
「それだけで、あそこまで……?」
「ええ」
「……やはり、格好いいですわ」
レティシアの影響を受け始めていないかしら、この方。
少しだけそんな不安がよぎった。
昼食を終え、午後の移動時間になる。
選択基礎は、それぞれ希望科目の教室や訓練場へ移動する形式らしい。
廊下には再び人が増え、あちらこちらで生徒たちが別れていく。
レオノーラは大剣の位置を整えた。
武芸棟へ向かうなら、もはや隠しようもない。
静かに、淡々と行くしかない。
「レオノーラ」
またアーネストである。
「……何かしら」
「武芸棟、一緒に行くか?」
誘い方が妙に自然だった。
たぶん本人は本当に深く考えていない。
だがレオノーラとしては、そこにアルベルトとリヒャルトが混ざるかどうかで話が変わる。
「リヒャルト様もご一緒ですの?」
「行くぞ」
本人がすぐ後ろから答えた。
さらに、少し遅れてアルベルトも立ち上がる。
「私も武芸だ」
終わりましたわね。
結局そうなるのだ。
レオノーラはほんの少しだけ目を閉じたくなったが、すぐに諦めた。
一組の武芸選択組は、ほぼこの顔ぶれなのだろう。
ここで自分だけ時間差を作っても、不自然さが増すだけだ。
「では、ご一緒いたしますわ」
そう答えるしかなかった。
廊下を歩く。
前方にアルベルト。
その横にアーネスト。
少し後ろにリヒャルト。
そしてレオノーラ。
かなり目立つ並びである。
周囲の視線が痛い。
「……お姉様の気持ちが少し分かる気がする」
前を歩きながら、アーネストがふと言った。
「何がですの?」
「静かにしたいってやつ」
「今さらですの?」
「今さらだな」
笑っているが、少しだけ本気らしい。
レオノーラは意外に思った。
アーネストは目立つことを楽しむ側だと思っていたからだ。
「お前の場合は、自分から火の中に飛び込むだろう」
リヒャルトが冷たく言う。
「そんなことない」 「ある」 「あるな」 「殿下までひどくないか?」
前方のアルベルトまで同意した。
どうやらこの三人も、この三人で長い付き合いらしい。
そういう空気がある。
武芸棟へ着くと、昨日とは違って今日は通常授業仕様だった。
見学者の群れはない。教員も多すぎない。
少し安心する。
だが安心したのも束の間、入口で待っていた武芸担当教員がレオノーラを見つけるなり、はっきりと言った。
「アルトヴァイス嬢。君は別枠だ」
やめてくださいまし。
心の底からそう思った。
別枠。
その単語ほど平穏から遠い響きもない。
「……別枠、ですの?」
「昨日の確認がある。通常の基礎組へ混ぜるわけにはいかん」
理屈は分かる。
分かるが、そんなに分かりやすく区別しなくてもよろしいのではなくて?
教員は続ける。
「ただし、完全別行動にはしない。基礎内容は同じだ。君には制限付きで個別負荷をかける」
なるほど。
それならまだ理解できる。
つまり、
他の生徒と同じ授業に参加する
ただしレオノーラだけは武器や出力に制限をかけた別メニューも混ざる
ということだろう。
合理的ではある。
だいぶ目立つが。
アーネストが露骨に楽しそうな顔をした。
リヒャルトが嫌そうにその頭をはたく。
「痛っ」 「顔に出すな」 「出るだろ、これは」 「黙れ」
レオノーラは静かに息を吐き、大剣へ触れた。
もう仕方ない。
避けられないなら、せめてこれ以上“見世物化”しないように淡々とやるしかない。
「承知しましたわ」
すると教員は少し意外そうな顔をした。
「ずいぶん素直だな」
「不合理ではございませんもの」
「……なるほど」
そこでアルベルトが、さりげなく口を開いた。
「本人が納得するかどうかは、そこが基準なのか」
レオノーラは一瞬だけ彼を見た。
「だいたいは」
「興味深いな」
やめてくださいまし。
興味を持たないでくださいまし。
だが、もう無理だろう。
昨日からの流れで、それはとっくに手遅れな気がする。
武芸の授業が始まる。
最初は共通で、構え、足運び、基礎の打ち込み、受け流し。
その後、レオノーラだけは訓練棟の端区画へ移され、大剣使用を前提とした制限訓練へ回された。
そこでようやく、昨日の確認とは違う意味で周囲の視線が消えた。
少し落ち着く。
やはり剣を握っている時が一番楽だ。
余計な駆け引きがない。
やるべきことが明確だ。
だが、その安堵も長くは続かなかった。
授業の終盤、教員が全体へ向けて告げたのである。
「来週、一組は合同基礎試験を行う」
嫌な予感。
「武芸選択者は、基礎技能の確認に加え、模擬形式での実力測定も実施する」
さらに嫌な予感。
「アルトヴァイス嬢については、安全性を考慮した別条件を設けるが、同様に測定対象とする」
終わりましたわね。
レオノーラは静かに確信した。
これ、絶対にまた面倒になりますわね。




