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悪役令嬢のはずが、悪役になる前に剣聖になっていた  作者: 翡翠


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1/15

第1話 悪役令嬢は学院へ向かう前に大剣を背負う

 帝都の朝は早い。


 公爵家の本邸ともなれば、なおさらである。


 使用人たちは夜明け前から動き出し、厨房には火が入り、庭師は露を払うように庭園へ出て、侍女たちは主人の一日のために衣装と装身具を整える。


 そして、その日のアルトヴァイス公爵家では、屋敷全体にいつも以上の緊張と慌ただしさが満ちていた。


 本日、アルトヴァイス公爵家の長女にして帝国三大公爵家の一角を担う令嬢、レオノーラ・アルトヴァイスが、帝国貴族学院へ入学する日だったからである。


「お嬢様。本日の髪飾りは、こちらの白金細工でよろしいでしょうか」


「ええ。それで構いませんわ」


「制服の最終調整も完了しております。マントの徽章位置も問題ございません」


「ありがとう」


「それと」


 侍女長が一度言葉を切った。


 完璧な職務能力と沈着さで知られるその女性が、ほんのわずかにだけ視線を横へ滑らせる。


 レオノーラもまた、つられるようにそちらを見た。


 そこには、壁に立てかけられた一振りの大剣があった。


 大きい、などという言葉では足りない。


 人が扱うには明らかに過剰な幅と厚みを持つ、無骨な鉄塊めいた剣だ。刀身は鈍く重たい光を放ち、装飾は最小限。それでいて、よく見れば刃の根元から峰にかけて繊細な魔力紋が走っている。


 華奢な令嬢の部屋にあるには、あまりにも似つかわしくない代物である。


「本日も、そちらをお持ちになりますか」


「当然ですわ」


 レオノーラは即答した。


「学院は、これから起こり得る全ての破滅の起点ですもの。護身は万全であるべきですわ」


「……左様でございますか」


 侍女長は、もはや何も言わなかった。


 長年仕えてきた彼女は知っている。


 このお嬢様は、一度こうと決めたら梃子でも動かない。


 そして何より困ったことに、言っていることは支離滅裂なのに、結果だけは毎回間違っていないのだ。


 五歳の時、高熱を出して寝込んだ翌朝。


 当時はまだ愛らしい幼女でしかなかったレオノーラは、何かを悟ったような顔で起き上がり、両親を見据えてこう言ったのである。


「お父様、お母様。わたくし、将来、断罪されて投獄される可能性がありますわ」


 何を言っているのか分からなかった。


 当然である。五歳児が言う台詞ではなかった。


 心配した両親が医師を呼び、神官を呼び、祈祷師まで呼びそうになったのを、当の本人は至って落ち着いた様子で止めた。


「いえ、大丈夫ですわ。理由は分かりませんけれど、たぶんこれは前世の記憶というやつですの」


 そこから先がさらにひどかった。


 自分は前世で平凡な社会人だったこと。

 趣味で乙女ゲームを遊んでいたこと。

 そしてこの世界が、その昔遊んだ乙女ゲームの舞台であり、自分が悪役令嬢に当たる立場であること。


 ……らしい。


 本人も細かいところはあまり覚えていなかった。


 ただ、皇太子と婚約し、最終的に卒業式のパーティーで断罪され、投獄される。


 その一点だけは妙に鮮明だったらしい。


 だからレオノーラは、幼いながらに結論を出した。


「では、鍛えればよろしいのでは?」


 その理屈は今でも家族にはよく分からない。


 だが、レオノーラの中では完全に筋が通っていた。


 婚約を避けられないかもしれない。

 陰謀を完璧に防げるとも限らない。

 社交で勝てる保証もない。

 だったらせめて、拘束されても抜け出せるように。断罪されても生き残れるように。戦争に巻き込まれても自力で勝てるように。


 そうして彼女は、五歳の翌日から修行を始めたのである。


 剣を学び、身体を鍛え、無属性の身体強化魔法だけを異様な精度で磨き、気付けば公爵家付きの騎士たちが真顔になるほどの実力を得ていた。


 その結果が今だ。


 帝国貴族学院へ入学する本日、レオノーラ・アルトヴァイス十六歳は、淑女の制服姿に大剣を背負っている。


 控えめに言って異常だった。


「お嬢様」


「何かしら」


「恐れながら、そのお言葉を学院内で率直に述べられるのは、お控えになった方がよろしいかと存じます」


「どのお言葉ですの?」


「断罪、投獄、破滅、返り討ち、あたりでございます」


「なぜですの?」


「普通は口にしないからでございます」


「そういうものですのね」


 レオノーラは素直に頷いた。


 このあたり、彼女は意外と柔軟である。


 ただし柔軟なのは口だけで、考えの根本は一切変わらない。


「では控えますわ。ですが備えは必要ですもの。剣は持っていきます」


「左様でございますか」


 侍女長は微笑んだ。


 もう慣れている。


 昔は止めた。全力で止めた。


 令嬢が訓練場に籠もるのも、木剣より先に鉄塊みたいな訓練用大剣へ手を伸ばしたのも、貴族の令嬢教育を横目に素振りの回数を数えていたのも、何もかも止めた。


 だが、止まらなかった。


 それどころか、その訓練用大剣を本当に振れるようになり、壊れれば鍛え直し、重さが足りなければ素材を追加し、いつの間にかドワーフの鍛冶師たちまで巻き込んで、とんでもない代物へ進化させてしまった。


 最初はただの無骨な訓練剣だったはずだ。


 それが今では、魔鋼と竜骨と、なぜかオリハルコンまで混ぜ込まれた怪物剣である。


 作ったドワーフたちは満足げに笑っていた。


 アルトヴァイス公爵は頭を抱えていた。


 アルトヴァイス公爵夫人は笑いすぎて涙を浮かべていた。


 そしてレオノーラだけが、心の底から満足そうに言ったのだ。


「これでようやく、護身用ですわね」


 誰一人として意味が分からなかった。


「お姉様、準備は終わりましたか」


 扉の外から、落ち着いた少年の声がした。


「ええ、入ってよろしくてよ」


 扉が開き、部屋へ入ってきたのは、レオノーラの二歳下の弟、クラウス・アルトヴァイスだった。


 端正な顔立ちに、淡い銀灰の髪。姉と同じ色の瞳を持つ、理知的な少年である。


 もっとも、姉の影響を長年受けたせいか、その表情には年齢に似合わない諦観が宿っていた。


「馬車の用意が整いました。父上と母上も玄関ホールでお待ちです」


「そう。すぐに参りますわ」


 レオノーラが大剣の剣帯に手を伸ばすと、クラウスは一瞬だけ天を仰いだ。


「やはり、持っていかれるのですね」


「もちろんですわ」


「……学院の教師陣に心から同情いたします」


「大丈夫よ、クラウス。わたくし、なるべく穏便に過ごすつもりですもの」


「その台詞を信じられなくなって久しいのですが」


「失礼ですわね」


「失礼なのは常日頃の行動です」


 姉弟のやりとりに、侍女たちがくすりと笑う。


 レオノーラは少し唇を尖らせたが、すぐに巨大な大剣を軽々と持ち上げ、そのまま背中へと背負った。


 鈍い金属音が一つ、静かな室内に響く。


 クラウスは毎度のことながら理解不能なものを見る目をした。


「本当に、それを背負って歩くおつもりで?」


「当然でしょう。いざという時、手元になければ意味がありませんわ」


「何と戦う気なのですか、お姉様は」


「まだ分かりませんわ」


 レオノーラは真顔で答えた。


「ですが、乙女ゲーム本編の開始地点とは、すなわち全てのイベントの起点。婚約破棄、断罪、陰謀、派閥争い、暗殺、冤罪、戦争――何が起きても不思議ではありません」


「一つの学園に詰め込みすぎでは」


「備えあれば憂いなしですわ」


「その備えの規模がおかしいのです」


 弟のもっともな指摘を、レオノーラは笑顔で受け流した。


 実際、弟の言う通りである。


 だが彼女には彼女の理屈があった。


 前世の記憶は曖昧だ。細かい攻略対象の名前も、イベント条件も、ヒロインがどういう子だったかも、ところどころしか思い出せない。


 けれど人間、不確かな記憶ほど怖いものはない。


 はっきり思い出せないからこそ、最悪を想定するしかないのだ。


 そうして最悪に最悪を重ねた結果、今のレオノーラが出来上がった。


 彼女は自分が異常だとは思っていない。


 必要な備えを、必要なだけ積み上げてきただけである。


「参りましょう、クラウス」


「はい」


「案ずることはありませんわ。わたくし、目立たないように振る舞いますもの」


「その大剣を背負っておいて?」


「ええ」


「無理では?」


「気配を消せば何とかなりますわ」


「人は巨大剣を背負った人間から気配を感じ取る前に視認するのです、お姉様」


 至極正論だった。


 しかしレオノーラは、そこで初めて少し考え込むような顔をしたあと、さらりと言った。


「……では、極力、お淑やかにいたします」


「方向転換の仕方が雑すぎます」


 姉の言葉に頭痛をこらえるような顔をしつつも、クラウスは慣れた足取りで後に続く。


 レオノーラはドレスめいた学院制服の裾を乱すことなく歩き、背中の大剣だけが場違いなほどの威圧感を放っていた。


 長い廊下を進み、玄関ホールへ出ると、そこにはすでに両親が待っていた。


 アルトヴァイス公爵、ヴァルター・アルトヴァイス。

 その隣には、公爵夫人エレオノーラ・アルトヴァイス。


 帝国を支える大貴族にふさわしい威厳を持つ夫妻だったが、娘の姿を見た瞬間、二人ともわずかに表情を変えた。


「……レオノーラ」


「はい、お父様」


「確認だが、その剣は本当に持っていくのか」


「もちろんですわ」


「そうか」


 父は深く息を吐いた。


 止めても無駄だと知っている人間の、達観したため息だった。


 一方、母は扇の陰でくすくすと笑っている。


「よく似合っているわ、レオノーラ」


「ありがとうございます、お母様」


「制服も綺麗だけれど、その剣があるとあなたらしさが出るものね」


「褒められているのか判断に迷うな……」


 父が低く呟く。


 母は優雅に首を傾げた。


「もちろん褒めているのよ。うちの娘が、そこらの令嬢と同じであるはずがないでしょう?」


「それはそうだが」


「それに、あの子は昔から一度決めたら止まらないもの。今さらですわ」


「今さらで済ませてよい規模ではない気がするのだがな……」


 父は娘の背にある大剣を見て、再び沈黙した。


 レオノーラはそんな両親の様子にも動じず、すっと一礼した。


「お父様、お母様。本日より学院へ参ります」


「ああ。……いいか、レオノーラ。アルトヴァイスの名に恥じぬ振る舞いを」


「はい」


「必要以上に目立つな」


「はい」


「揉め事を起こすな」


「はい」


「大剣で校舎を壊すな」


「その予定はありませんわ」


「予定の話ではない」


 父の声が少しだけ真剣味を増す。


 レオノーラは素直に頷いた。


「心得ました」


 その返事を聞いた家族三人の脳裏に、同じ思いがよぎる。


 たぶん、安心はできない。


 だが本人が本気で聞いている時は、まだましな方でもある。


「まあ、何かあっても、レオノーラならどうにかしてしまうのでしょうけれど」


 母の言葉に、父とクラウスが同時に複雑な表情をした。


 それは否定できない。


 これまでだってそうだった。


 森に出た魔獣が領地の街道を荒らしていると聞けば、騎士団より先に現地へ行って叩き伏せた。

 盗賊団が潜伏していると聞けば、夜明け前に踏み込んで壊滅させた。

 山越えの訓練中に雪崩へ巻き込まれた騎士見習いたちを、一人で救助して帰ってきたこともある。


 どれも本来、公爵令嬢の経歴に載るような話ではない。


 だが当の本人は毎回こう言うのだ。


「いざという時のための実地訓練ですわ」


 いざという時が何を指すのか、家族はいまだによく分かっていない。


 レオノーラ自身も、きっと半分くらいしか分かっていないのだろう。


 ただ、学院だけは別だ。


 彼女にとってそこは、“ゲーム本編が始まる場所”であり、最悪の未来に繋がる可能性が最も高い舞台である。


 だから今日のレオノーラは、いつも以上に本気だった。


「では、行ってまいりますわ」


「ああ」


「ええ、行ってらっしゃい」


「姉上、どうか、本当に穏便に」


「任せてちょうだい、クラウス」


 レオノーラは微笑んだ。


 それは誰が見ても、完璧な公爵令嬢の微笑みだった。


 美しく、気高く、非の打ち所がない。


 ただしその背には、どう見ても護身用の範疇を逸脱した巨大剣がある。


 馬車へ乗り込む直前、玄関ホールの外で控えていた近衛騎士が、ちらりとそれを見て喉を鳴らした。


 新人なのだろう。まだ慣れていないらしい。


 レオノーラはそんな視線を受けても気にすることなく、優雅な仕草で馬車へ足をかけた。


 その動作の一つひとつは洗練されている。


 なのに背中の剣だけが、すべてを台無しにしていた。


 いや、むしろ完成させているのかもしれない。


 公爵令嬢レオノーラ・アルトヴァイス。


 帝国三大公爵家の令嬢にして、騎士たちすら黙らせる剣の持ち主。

 学院入学を控えた今なお、本人の認識はただ一つ。


 ――断罪される前に、万全を整える。


 それだけである。


 馬車の扉が閉まり、車輪がゆっくりと動き出す。


 帝都の大通りを進む馬車の中、レオノーラは窓の外を眺めながら、静かに息を吐いた。


 ついに来たのだ。


 乙女ゲーム本編の開始地点。


 攻略対象たち。

 ヒロイン。

 皇太子。

 婚約。

 断罪。


 あまり思い出したくもない、不吉な単語ばかりが頭に浮かぶ。


 だが、恐れはなかった。


 ここまで鍛えたのだ。


 剣もある。

 魔法もある。

 体も作った。

 心も折れていない。


 社交は多少不安だが、いざとなればどうにでもなる。


 少なくとも、泣きながら牢へ入る未来だけはあり得ない。


「来なさい、学院」


 誰に向けたとも知れぬ宣戦布告のように、レオノーラは小さく呟いた。


「婚約破棄でも断罪でも、受けて立ちますわ」


 その声は静かで、凛としていて、どこまでも本気だった。


 ただし、事情を知らぬ者が聞けば、学院へ向かう令嬢の台詞とは到底思えなかっただろう。


 そしてそんなことを口にした本人は、次の瞬間には至って真面目な顔で、大剣の位置を微調整していた。


 学院へ着いた時、即座に抜けるように。


 万が一に備えて。


 実に彼女らしい準備だった。


 この時、レオノーラはまだ知らない。


 自分が恐れている“悪役令嬢としての破滅”より先に、

 学院中の人間がまず抱く感想は、もっと単純だということを。


 ――あの公爵令嬢、なんだあれ。


 帝国貴族学院の新入生たちは、まもなくそれを思い知ることになる。

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